近代の人物と自由恋愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 09:24 UTC 版)
「自由恋愛主義」の記事における「近代の人物と自由恋愛」の解説
「自由恋愛」と理想を共有する初期の社会運動、つまり、「フェミニズム」、「平和主義」、「シンプルな共同生活」などとは、19世紀初めのフランスと英国の「ユートピア社会主義共同体」であり、アンリ・ド・サン=シモンやシャルル・フーリエ、そしてイギリスのロバート・オウエンなどと関連する。「フェミニズム」という言葉をはじめにつくったフーリエは、「真の自由」は労働の精神がなく、情熱の抑制がなく、教師がいない状態でのみ生じると主張した。情熱の抑制は、個人にとって破壊的なだけではなく、社会全体にとって破壊的である。彼は人々が濫用しないかぎり、あらゆる性的表現を楽しむべきだと主張し、「違いをみとめる」ことがこそ、実際の社会統合を高めることができると主張した。ロバート・オウエンは、結婚は宗教や私有財産とおなじように人類に対する「ひどい三位一体」の抑圧者だとした。彼の息子のロバート・デイルは「自由離婚」の提唱者だった。サン=シモン主義のフェミニストのポーリーヌ・ローランドは1830年代に4人の子供がいたが、結婚に反対する自由恋愛の姿勢をとった。 ドイツの作曲家、リヒャルト・ワグナーは、いくつかの作品で自由愛ににたようなものを提唱し、まだ指揮者ハンス・フォン・ビューロと結婚していたコジマ・リストと不倫関係になり、家族をもった。そのような情事は、当時、あきらかにスキャンダラスであったにもかかわらず、社会的な慣習というよりはむしろ自分たちの意志にしたがう賞賛されるべき芸術家の行動にみえた。このようにして、彼らは、時代のリベラルな哲学者への信仰の情熱と歩調をあわせていた。上記のフーリエやオーウェンのような、実際の、または結果としての開放性は、20世紀のより自由な社会への前奏曲であると理解することができる。 フリードリッヒ・ニーチェはしばしば自由恋愛のようなものを好んで語ったが、女性作家ルー・アンドレアス・サロメにプロポーズしたとき、彼女は彼の自由で道徳を超越した超人哲学と矛盾していると彼を批判した。 ニーチェはそれを真剣にうけとめたようだった。作曲家フレデリック・ショパンと作家ジョルジュ・サンドの関係は、おおくの点で自由愛を例証するものとして理解することができる。 大衆の目のつく人物によるこのような行動は、特に伝統主義者が実際におこなって不幸をもたらした場合、伝統主義の信頼性をおおきく損ねてしまう。
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