忠臣蔵 赤穂事件を題材とした歌舞伎と人形浄瑠璃

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 忠臣蔵の解説 > 赤穂事件を題材とした歌舞伎と人形浄瑠璃 

忠臣蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 07:54 UTC 版)

赤穂事件を題材とした歌舞伎と人形浄瑠璃

初期の芝居

浅野内匠頭の刃傷が起こると、元禄15年3月[187]にはこの事件が江戸の山村座で『東山栄華舞台』として取り上げられたという[187][188]。そして赤穂浪士が切腹すると、元禄16年2月16日から江戸の中村座で『曙曽我夜討』を上演して当時活躍中の中村七三郎らが曾我兄弟の仇討ちという建前で赤穂浪士の討入りの趣向を見せたものの、3日で上演禁止とされたという[188]。しかし『東山栄華舞台』の上演に関しては『歌舞伎年表』にも『歌舞妓年代記』にも載っていないため疑問が残るし、『曙曽我夜討』の上演に関しては宝井其角の書簡に載っているものの、この書簡には史料的に疑問が残るとされている[188]

また元禄15年10月の大坂竹本座『傾城八花形』の第一段に浅野内匠頭の刃傷を仕込んだともいわれ[187]、翌16年1月に江戸の山村座で上演された『傾城阿佐間曽我』にも大詰に集団の討ち入りを仕組んでいた[187]。同じく元禄16年1月には京都の早雲万太夫座で上演された近松門左衛門作の『傾城三の車』に討ち入りの場面が仕込まれているのも、赤穂浪士の討ち入りの影響とされている[188]。しかしこれらの上演は、幕府から差し止められたという[187]。実際、元禄16年2月には堺町と木挽町(いずれも当時の芝居町)で「近き異時」(最近の事件)を扱ってはならないという幕府の禁令が出ている[188]。このためしばらくは赤穂事件を扱った芝居は上演記録は残っていない[188]

『仮名手本忠臣蔵』まで

赤穂事件を題材にした演目は数多いが、以下代表的なものを紹介するに留める。

『碁盤太平記』

討入りから4年後の宝永3年(1706年)の6月に、赤穂事件に題材をとった近松門左衛門作の一段だけの人形浄瑠璃『碁盤太平記』が竹本座で上演されている[188]。これは(前述の禁令により赤穂事件を直接扱う事はできないので)太平記の世界に擬して赤穂事件を取り扱ったもので、同じく太平記に擬して赤穂事件を扱う『仮名手本忠臣蔵』に影響を与えている。とくに、大石内蔵助に相当する人物が『仮名手本忠臣蔵』と同じく大星由良之助おおぼしゆらのすけという名前で初めて登場している[188]ことは特筆に値する。時は暦応年間、大星は鎌倉の同志から密書を集め、荒法師の吉田兼好が大暴れ、力弥に討たれた塩冶の足軽平右衛門が死に際に碁盤に碁石を並べ高師直の邸内図としている[189]

『鬼鹿毛無佐志』

浅野内匠頭の17回忌にあたる正徳3年の12月には大阪の豊竹座で紀海音作の人形浄瑠璃『鬼鹿毛無佐志(むさし)鐙』が上演されている。これは宝永7年に大阪の篠塚庄松座で上演された吾妻三八作の『鬼鹿毛武蔵鐙』に負う所が大きい[188]もので、内蔵助は『鬼鹿毛武蔵鐙』と同じく大岸宮内という名である。この作品では赤穂事件を『太平記』に仮託しつつ、そこから離れて足利義政の時代の事件の小栗判官と照手姫の物語も取り上げられている[188]

本作は構成上の不備がある、討入りや義士たちをまったく賞賛してはいないなど、傑作とは言いがたい面がある[190]が、『仮名手本忠臣蔵』の七段目に影響を与えるなど、義士劇の系譜の上では重要な位置を占める[190]

この作品は近松門左衛門のライバルであった紀海音であり、内容的にも近松門左衛門の『碁盤太平記』を意識したものになっている[191]。 この『鬼鹿毛無佐志鐙』(とその前作『鬼鹿毛武蔵鐙』)は近松門左衛門の『碁盤太平記』と並び、『仮名手本忠臣蔵』につらなる源流の一つで[191]、この作品で出てきた大岸宮内、小栗判官といった名前は後の作品にも頻出する。

『忠臣金短冊』

浅野内匠頭の33回忌にあたる享保17年の10月には豊竹座で並木宗輔らの作による人形浄瑠璃『忠臣金短冊(こがねのたんざく)』が上演されているが[188]、これは『碁盤太平記』の系譜と『鬼鹿毛無佐志鐙』の系譜を妥協・融和させて描かれている[191]

作者の一人である並木宗輔は後に「並木千柳」と名をかえ、のちに『仮名手本忠臣蔵』の作者の一人になっている[192]。それゆえ『仮名手本忠臣蔵』の7段目や9段目に受け継がれた趣向も多い[192]

『大矢数四十七本』

そして翌延享4年(1747年)には京都の中村粂太郎座で、沢村宗十郎の自作自演による『大矢数四十七本』(延享3年のものと同じ外題)が上演された[188]

この『大矢数四十七本』は『仮名手本忠臣蔵』の粉本になったことで知られ[188]、大石内蔵助に相当する大岸宮内の役を沢村宗十郎が演じ、祇園町で生酔する演技をしたところ大当たりを取った[188]。後の『仮名手本忠臣蔵』において大星由良之助(大石内蔵助に相当)が遊興する場面は宗十郎のこの演技を真似たものである[45]

『仮名手本忠臣蔵』

赤穂浪士の討ち入りから47年目にあたる寛延元年(1748年)の8月14日に、大坂道頓堀の竹本座で、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作の人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が上演され[193]、連続4か月にわたって上演するほどの大当たりとなった[193]。同年12月には大坂の嵐座で歌舞伎でも上演されている[193]。歌舞伎では興行上の気付薬「独参湯」と呼ばれるほどの人気を博し、不入りが続くとこの演目を出すといわれた[193]

伊原青々園の『歌舞伎年表』によれば、慶応3年までに江戸だけで89回上演され、それに大坂、京都、その他での上演を加えると179回にもなる[193]。 人形浄瑠璃のほうでも、黒木勘蔵の『近世邦楽年表・義太夫節之部』には70回上演されたと記されている[193]

忠臣蔵事件

『仮名手本忠臣蔵』の上演に絡んで、竹本座で内紛があった。上演開始から二か月ほど経った十月に人形遣いの吉田文三郎から、九段目の段取りが詰まりすぎているところを少し変えてほしい旨の要望が座頭の竹本此太夫に対して出されたのだが、此太夫がこれを断ったところ、両者とも引き下がらず、どちらかが竹本座を辞めねばならぬところまで事態は発展した[193]。座元の竹田出雲は文三郎を失わないよう、此太夫を引かせることにし、此太夫以下四人が竹本座を辞して豊竹座に行った[193]。代わりに政太夫他3人が豊竹座から竹本座に招かれた[193]。この事件のため、『仮名手本忠臣蔵』の公演を続けることができなくなり、十一月で公演を終えている[193]。(この年は閏十月があったため、興業期間は4か月[193])。

文三郎の工夫で今日まで残っているものとして、由良之助の衣装に文三郎の家の家紋である「二つ巴」をつけたことがあるといわれている[193]

『仮名手本忠臣蔵』以後

『仮名手本忠臣蔵』以外にも赤穂事件を題材にした演目は作られ続け、『歌舞伎年表』に載っているものだけでも85個もある[193]

その中でも特に有名なのは人形浄瑠璃の『太平記忠臣講釈』(明和3年竹本座初演、近松半次ら6人の合作)で、本作は『仮名手本忠臣蔵』に次ぐ名作と名高く[194]、それまでの義士劇の集大成的な面があるが、第十段「討ち入り」が実はであったという落ちで終わる[194]。本作は『歌舞伎年表』に載っているだけでも前者は56回、後者は13回も上演されており[193]、特に8段目は近代まで上演されていた[194]

歌舞伎の『義臣伝読切講釈』も『歌舞伎年表』に載っているだけでも13回上演されており[193]、本作には今日も上演される『忠臣連理廼鉢植』の段がある。

寛政期の大坂で上演された奈河七五三助作の『いろは仮名四十七訓』は『泰平いろは行列』と『大矢数四十七本』を合わせて作り直したものと言われ[195]、6幕目が能狂言の『鎌腹』の換骨奪胎である「弥作の鎌腹」であり、今日も上演される[195]。また8幕目は今日でいう「鳩の平右衛門」で、寺岡平右衛門が仇討に行く最中、逢坂山で鳩の親子の愛情を見て、引き返して母親に討ち入りの話を明かし、母親が寺岡を激励するため自害する。8幕目はのちに書き換えられて『稽古筆七いろは』になり、今日では前述のように『鳩の平右衛門』という演題で上演される[195]。3幕目も明治時代まで上演されていた[196]

文政8年に初演された四代目鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は、『仮名手本忠臣蔵』と同時上演され、『仮名手本』の裏で起こっている事件として描かれている。 同じく鶴屋南北は他にも、四十七士の不破数右衛門が猟奇殺人鬼として登場する一種のパロディ作品『盟三五大切』や、『仮名手本』の悪役の斧定九郎を主人公とし、定九郎とその父の九郎兵衛が実は忠臣であったとする奇作『菊宴月白浪』を書いている[197][198]

天保年間に上演された『裏表忠臣蔵』には、蜂の巣の乱れで大事を知って寺岡平右衛門が江戸へと急ぐ「蜂の平右衛門」が含まれている[199]。 またこの演目が天保4年3月に河原崎座で上演された際には、三升屋二三治が市川海老蔵(後の7代目団十郎)と3代目の尾上菊五郎のために清元の「道行旅路之花聟」が書き下ろされており[200][199]、これが現在では歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』に取り込まれている。

安政期に書かれた『新舞台いろは書初』には現在でいう「松浦の太鼓」が含まれている[199]。 また黙阿弥の『仮名手本硯高島』には「徳利の別れ」が含まれており、『忠臣後日建前』はいわゆる「女定九郎」の物語であり[199]、鶴屋南北の草双紙を題材に黙阿弥が仕上げたものである[201]

明治以後

明治元年閏4月には大阪堀江の芝居で奈川七五三助作の忠臣蔵もの『武士鏡忠義の礎』が初演され[202]、明治2年3月には大阪筑後の芝居で同じく奈川七五三助の『仮名手本四十七文字』が初演されている[202]

同じ年の5月には河竹黙阿弥の『名大星国字書筆』が市村座初演された。これは脱盟者・小山田庄左衛門の遊蕩が実は家宝の金の鶏を詮議するためのものであったという筋で[203]、このとき大星由良助を演じたのは、のちの「劇聖」九代目市川団十郎であった[203]

続けて明治4年には黙阿弥の『四十七石忠箭計』という、討ち入りの一日を十二時に分けて演じる趣向の演目が初演されており、「南部坂の別れ」など実録所や講談で有名な場面がふんだんに取り入れられた[203]

明治6年には「義平拷問」、「山科閑居」、「島原遊興」に今日も演じられる「清水一角」を取り合わせた『忠臣いろは実記』が初演されている[204]。江戸時代までは幕府の禁令により、歌舞伎狂言で実在の人物を扱うときは名前は仮名にする必要があったが、本作では忠臣蔵ものとしては初めて、実在の人物の名前を本名のまま用いている[205]

明治7年には、桜田門外の変を忠臣蔵に仮託して描いた『讐怨(かたきうち)解雪赤穂記』が沢村座で初演されている[203]

明治期の歌舞伎の潮流のひとつは、これまでの歌舞伎の荒唐無稽な所を排して史実をそのまま描く活歴物が台頭してくることだが、忠臣蔵ものの歌舞伎にも活歴の影響が出ている。

前述した明治4年の『四十七石忠箭計』ではすでに九代目市川団十郎が大星由良助を実録風に演じていたが、他の場面では従来の歌舞伎の味を残したものになっておりやや不調和であった[206]。 明治23年には『実録忠臣蔵』という、その名の通り実録風の忠臣蔵ものが作られたが、不評であった。ただしこの中の「土屋主税」の場面は後まで残り雁次郎の当たり役となった[207]。 明治35年にも活歴物の福地桜痴作『芳哉(かんばやし)義士誉』が初演されているが不評だった[207]。講演には興行主が二の足を踏んでいたのに、活歴好みの団十郎があえて上演したという[207]

大正10年には二代目市川左團次一座の『忠義』が上演され好評を取った。この作品は、イギリスの詩人ジョン・メイスフィールドが膠着した西部戦線における連合軍の指揮を鼓舞するために忠臣蔵を翻案した『The Faithful』を日本に逆輸入して小山内薫が翻訳したものである[208]。『The Faithful』も再三上演され、『忠義』も築地劇場で再演されるなど好評であった[208]

昭和3年(1928年)8月には旧ソ連において二代目市川左團次らが史上初の歌舞伎の海外公演が行っており、その時の演目が『仮名手本忠臣蔵』であった。

昭和9年には今日でも上演される真山青果の連作『元禄忠臣蔵』の最初の作品である「大石最後の一日」が歌舞伎座で二代目市川左團次により上演されている。ただし、「史実と異なる」「大石の作中言動は有り得ない」との批判が上演当時からあり、真山は自ら反論も述べたが受け入れられなかった[209](詳細は後述)。

戦後

第二次世界大戦後、『忠臣蔵』は上演禁止の憂き目にあう。戦後日本を占領統治下においたGHQは軍国主義につながるものを禁止していったが、歌舞伎は忠義(愛国につながる)という理念の宣伝媒体だったとされ、そのように看做された一部の演目が上演を禁じられた。そのなかでも特に『忠臣蔵』は危険な演目であるとして目をつけられ、これも上演が禁止されていたのである。

昭和22年(1947年)7月その禁は解かれ、同年11月には空襲の難を逃れていた東京劇場で『仮名手本忠臣蔵』は上演された。この上演には「歌舞伎を救った男」フォービアン・バワーズの助力があったとされるが、近年の研究ではこれを否定するものもでている(詳細はフォービアン・バワーズの項目を参照)。

戦後の歌舞伎においても『忠臣蔵』は人気演目の一つで、1945年から2015年7月現在までに主要な劇場で歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』は213回も上演されており[210]、真山青果の『元禄忠臣蔵』も66回上演されている[211]

1960年6月には、『仮名手本忠臣蔵』が初めて海外に渡り、ニューヨークの大劇場シティー・センターで上演され、大好評を博した[212]。このとき外務省が切腹の場面を懸念したが、前述のフォービアン・バワーズが問題ないと太鼓判を押したという[212]

戦後の歌舞伎では新作の上演は少なくなっているものの、舟橋聖一作『瑤泉院』(1959年)[213]、『続・瑶泉院』(1962年)[214]三代目市川猿之助による2003年の『四谷怪談忠臣蔵』(1980年の『双絵草紙忠臣蔵』を改作)[215][216]など、わずかながら忠臣蔵ものの新作も作られ続けている。


  1. ^ 廣野行雄『なぜ大石が大星なのか』14頁(『駿河台大学論業叢』第51号、2015年)
  2. ^ 『常憲院殿御実記』巻四十七
  3. ^ 地域社会貢献活動 ふるさと歴史シリーズ「博多につよくなろう」福本日南西日本シティ銀行、平成12年1月
  4. ^ 元禄快挙録 岩波書店
  5. ^ ドナルド・キーン『日本文学史近世編二』中公文庫。p218
  6. ^ 宮澤(2001) p236
  7. ^ a b 佐藤(2003)
  8. ^ 山本(2012a) 第七章四節「自己犠牲の精神」
  9. ^ 山本(2012a) 第七章四節「赤穂浪士は義士か」より重引。
  10. ^ a b c d e 稲田(2014) p13
  11. ^ 谷川( 2013) p282
  12. ^ 谷川( 2013) p389-390
  13. ^ 初代 春日井梅鶯「義士伝 涙の本懐・泉岳寺」「輝く墓前」より「泉岳寺 輝く墓前」
  14. ^ 六代目 宝井馬琴『四十七士の最期』より「小田小右衛門」
  15. ^ 八代目 一龍斎貞山『四十七士の最期』より「誉の三百石」
  16. ^ 忠臣蔵 |ドラマ・時代劇 番組詳細情報”. 2012年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月1日閲覧。
  17. ^ 土曜時代劇第2弾は忠臣蔵!”. 時代劇シリーズ. NHKドラマ (2016年3月28日). 2016年8月23日閲覧。
  18. ^ 定本講談名作全集(1971) 「山鹿送り」p312-325
  19. ^ (『山鹿語類』、巻二十九
  20. ^ 『山鹿語類巻第二十一』より「士道」
  21. ^ 常陸宮妃華子中山慶子
  22. ^ 『仮名手本忠臣蔵』
  23. ^ 『元禄快挙別禄』
  24. ^ 『赤城盟伝』
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 野口(1994)p35-45
  26. ^ 実際の脇坂への処分は、赤穂城にて在番していた脇坂重臣の左次兵衛が乱心して、同僚の貞右衛門を切り殺すという事件が起こったためである(『赤穂城在番日記』)。
  27. ^ 近代デジタルライブラリ元禄快挙四十七士
  28. ^ コトバンクデジタル版 日本人名大辞典+Plus脇坂安照
  29. ^ a b c 野口(1994) p75
  30. ^ 講談名作文庫(1976)
  31. ^ 忠臣蔵新聞「ダイジェスト忠臣蔵(第12巻)」
  32. ^ a b 国際日本文化研究センターデータベース『近世畸人伝(正・続)』「大石氏僕」
  33. ^ 国際日本文化研究センターデータベース『近世畸人伝(正・続)』「寺井玄渓」
  34. ^ 国際日本文化研究センターデータベース『近世畸人伝(正・続)』「小野寺秀和妻」
  35. ^ 『筆のすさび、仁斎日礼ほか』 日野龍夫校注、<新日本古典文学大系99>岩波書店、2000年
  36. ^ 白峰旬「元禄14年の脇坂家による播磨国赤穂城在番について--播磨国龍野藩家老脇坂民部の赤穂城在番日記の分析より」
  37. ^ 八坂神社祇園商店街振興組合一力亭
  38. ^ a b 講談名作文庫(1976)
  39. ^ 田口(1998)、第四章2山科妻子の別れ
  40. ^ a b c d e 宮澤(1999) p118-119
  41. ^ a b c d e 山本(2012a) 第四章一節「祇園遊びの真意」
  42. ^ a b 佐々木(1983) p191
  43. ^ a b 野口(1994)p124
  44. ^ a b 宮澤(1999) p120-121
  45. ^ a b 今尾(1987)、p199
  46. ^ a b c 山本(2013) p131
  47. ^ 山本(2012a) 第五章二節「大石の残す子への思い」
  48. ^ a b c d e 佐々木(1983) p433
  49. ^ a b 宮澤(2001) p29
  50. ^ コトバンクデジタル版 日本人名大辞典+Plus『林鶴梁』
  51. ^ a b 宮澤(1999) p58-60
  52. ^ 山本(2012a) 第五章二節
  53. ^ a b c 谷川(2013)p280、283、379
  54. ^ 宮澤(2001) p47。関根(1924)149コマ目
  55. ^ コトバンク 新撰 芸能人物事典 『伊東燕尾』
  56. ^ a b c 箱根町観光情報ポータルサイト「箱根旧街道休憩所」
  57. ^ a b c d 講談名作文庫(1976)
  58. ^ 尾崎(1974) p249-252
  59. ^ a b c d e f g h 忠臣蔵文庫(1912)
  60. ^ 赤穂市忠臣蔵 第四巻 p876-883
  61. ^ a b c 田口(1998)第二章2節「いないはずの女たち」
  62. ^ a b c d 田口(1998)第二章3節「それぞれの母」
  63. ^ 『正史実伝いろは文庫』第十四回。忠臣蔵文庫(1912)
  64. ^ 佐々木(1983)。p756
  65. ^ a b 赤穂市忠臣蔵 第四巻p640
  66. ^ a b 田口(1998)第二章2節「絵図面をめぐる恋の話」
  67. ^ 山本(2013) p147
  68. ^ a b 山本(2012a) 第五章二節「赤穂浪人の潜伏先」
  69. ^ 内侍所 112コマ目から
  70. ^ 赤穂義士伝一夕話 七之巻二十九頁
  71. ^ 忠臣蔵文庫(1912) p15 -
  72. ^ コトバンク『忠臣蔵物』
  73. ^ 赤穂市忠臣蔵 第4巻p337
  74. ^ a b 佐々木(1983) p336
  75. ^ コトバンクデジタル版 日本人名大辞典+Plus『天野屋利兵衛』
  76. ^ 松島(1964) p174
  77. ^ a b 江崎(1940) p14 -
  78. ^ 佐々木(1983)
  79. ^ 中央義士会『忠臣蔵四十七義士全名鑑』より「大高源五忠雄」P177-178
  80. ^ 吉良氏秘伝の『吉良懐中抄』が松浦家に伝わり、その写しが平戸市に現存する(「松浦家関係文書」松浦史料博物館)
  81. ^ 『江戸歌舞伎の残照』吉田弥生著 文芸社 p165
  82. ^ a b c 佐々木(1983) p175
  83. ^ a b 佐々木(1983) p405
  84. ^ 両国の俵星玄蕃道場跡の看板
  85. ^ 立命館大学『忠臣蔵と見立て』誠忠大星一代話
  86. ^ 宮澤(1999)
  87. ^ 『赤穂義人纂書. 第2 巻之9−18』 国書刊行会 p432
  88. ^ データ百科シリーズ『元禄忠臣蔵データファイル』、元禄忠臣蔵の会編、人物往来社 p238。近代デジタルライブラリ『文芸叢書. 忠臣蔵文庫 』 四十七石忠箭計 四幕目(404コマから)の葉泉院第舎の場
  89. ^ コトバンク世界大百科事典「南部坂雪の別れ」
  90. ^ a b 南部坂雪の別れ 図書 桃中軒雲右衛門 講演 (東京明倫社(ほか), 1912年)近代デジタルライブラリの該当箇所
  91. ^ a b 大石内蔵助東下り : 武士道精華 雪花山人著 (立川文明堂, 1912年)。近代デジタルライブラリの該当箇所
  92. ^ a b c d e f g 谷川(2013)「瑤泉院に見られる字自立する女性のイメージ」 p369 - p376
  93. ^ 谷川(2013)ではその例として忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻1959年)と赤穂浪士1961年)を挙げている
  94. ^ 1958年大映版の忠臣蔵谷川(2013)より。
  95. ^ 真山(1982) p59
  96. ^ 『宝永四年江戸全図』(国会図書館蔵)でも空白で何も描かれていない。
  97. ^ 『元禄十年分間江戸図』に「アサノ式ブ(浅野長照)」とある
  98. ^ すみだあれこれ/討ち入り蕎麦
  99. ^ a b c 近代デジタルライブラリ『義士伝』泉岳寺書上。p450に楠屋の件が載っており、p466に浅野内匠頭の亡霊が登場する。p455には太鼓を打ち鳴らしたとある。
  100. ^ a b 三田村(1930) p256 -
  101. ^ 今尾(1987) p49
  102. ^ a b 赤穂義士史料下(1931) p4, p513
  103. ^ a b 山本(2012b)第四章3節「計画通りの討ち入り」
  104. ^ 赤穂義士史料上(1931)p268(本書では寺坂信行筆記のうち寺坂私記と共通する部分は省かれているため、寺坂私記の方に当該文書が載っている)
  105. ^ a b c 元禄(1999)p118
  106. ^ こよみのページ「暦のこぼれ話」赤穂義士祭
  107. ^ 講談名作文庫(1976)。「神崎与五郎かながきの詫び証文」
  108. ^ a b c d e f g 宮澤(1999) p163-166
  109. ^ 「浄瑠璃大全. 第1 仮名手本忠臣蔵」(和田三郎 編/1882年)
  110. ^ 『歴史群像デジタルアーカイブス<元禄赤穂事件と江戸時代>討ち入りは愚策? 山鹿流兵法と忠臣蔵』大山格
  111. ^ 山鹿素行『武教全書』巻二・営法
  112. ^ 落合勝信『家秘抄』『義人纂書』第二
  113. ^ 『山鹿素行兵法学の史的研究』(P173)
  114. ^ 赤穂市史編纂室主幹・三好一行「赤穂四十七士列伝」(P112)
  115. ^ 同市編纂室「赤穂四十七士列伝」大石内蔵助良雄
  116. ^ 「Web版(兵庫県赤穂市の文化財 -the Charge for Preservation of Caltural Asset ,Ako-)」赤穂城跡二之丸門枡形発掘調査現地説明会資料”. 赤穂市教育委員会. 2020年1月23日閲覧。
  117. ^ 松浦清「心得ぬ事なり。人を出して即往きたるに、果たして大石の輩」「弘前候ばかり之を知れり」(松浦清山『甲子夜話』)。
  118. ^ 『山鹿語録』第一(「臣道」より報仇論)
  119. ^ 松浦清『甲子夜話』では吉良関係者に尊称、赤穂義士を蔑称の記述あり
  120. ^ 堀勇雄『山鹿素行』
  121. ^ a b 『山鹿素行兵法学の史的研究』(P171-174、P260-272)
  122. ^ a b 『「兵法者の生活」第六章.幕末兵法武道家の生涯 三.窪田清音の業績』(P221-229)
  123. ^ 「剣法規則後伝口伝」および「論語私記」には赤穂事件(忠臣蔵)や赤穂義士に関係する記述はない。
  124. ^ a b c d e f g h i 宮澤(1999) p166-168
  125. ^ a b c d e f 山本(2012a)第六章四節「上杉家の対応」
  126. ^ 大佛次郎の小説並びにその映像化「赤穂浪士」、歌舞伎「松浦の太鼓」など
  127. ^ a b 宮澤(1999) p185-186
  128. ^ 佐々木杜太郎『吉良上野介の正体』。宮澤(1999) p184から重引
  129. ^ a b 宮澤(1999) p177
  130. ^ a b 『忠臣蔵四十七義士全名鑑 完全版』 中央義士会 p324-325
  131. ^ 佐々木(1983) p342
  132. ^ 「堀内伝右衛門覚書」に「神かけて泉岳寺が左様な事はないだろうと思ったが、事実であった」旨の記述あり 。
  133. ^ 兵庫県たつの市「赤穂浅野家資料」。再度の散逸防止のため非公開(教育事業部歴史文化財課)
  134. ^ 「芸術新潮」(特集「世紀の遺書」・2000年1月号)
  135. ^ 真山(1982)
  136. ^ a b c 佐々木(1983) p177-178
  137. ^ CiNii『 赤穂義士傳一夕話』
  138. ^ 近代デジタルライブラリ『赤穂義士伝一夕話』四巻53ページ
  139. ^ 山本(2013) p189
  140. ^ a b c 田口(1998)第三章3『祇園可音物語』
  141. ^ a b c 今尾(1987)、p108-119
  142. ^ a b 『歴史群像デジタルアーカイブス<元禄赤穂事件-忠臣蔵外伝>なぜ大多数の赤穂藩浪士は仇討ちに参加しなかったのか』桐野作人
  143. ^ 日暮高則『板谷峠の死闘』など
  144. ^ a b 谷口(2006) p179-180
  145. ^ 元禄(1999)p113
  146. ^ a b 山本(2012a)第四章三「脱盟者の思い」
  147. ^ 近代デジタルライブラリ『正史実伝いろは文庫』 p103, 177, 401を参照。
  148. ^ 今尾(1987)、p97
  149. ^ 近代デジタルライブラリー『赤穂義士伝一夕話』巻之六 三十八ページ
  150. ^ 「北斎」(3 - 5ページ、総合研究大学院大学教授・大久保純一、岩波書店)
  151. ^ 旧・吉良神社は明治政府の神社合祀の方針により旧・松坂稲荷と統合され、義央の墓を持つ現在の姿になっている。
  152. ^ 「三田村鳶魚編随筆百種」第六(1977年)
  153. ^ 現代でも曹洞宗では「自死志願者の24時間相談」など自殺防止に特化した寺院がある。
  154. ^ 『宝夢録』「東叡山通夜物語」
  155. ^ 定本講談名作全集(1971) p308
  156. ^ 山本(2013) p127
  157. ^ a b 赤穂市忠臣蔵 第四巻 p345-349
  158. ^ 定本講談名作全集(1971) 「お薬献上」p308-312
  159. ^ 定本講談名作全集(1971) 「向島の花見」p325-331
  160. ^ 定本講談名作全集(1971) p331-337
  161. ^ 『翁草』巻百六十七など
  162. ^ 講談名作文庫「名代の粗忽者」
  163. ^ 定本講談名作全集(1971) 「粗忽の権化」、「首のない馬」p379-386
  164. ^ 定本講談名作全集(1971) 「安兵衛の生立、良薬の由来」、「図らず知る孫の孝行」、「妻の貞節、懺悔の自殺」
  165. ^ 定本講談名作全集(1971) 「義母の仇討ち」p408-411
  166. ^ 定本講談名作全集(1971) 「高田馬場へ一ッ飛び」、「十八人切り、記念の五合枡」、「仇討の物語」・、「安兵衛の身元」、「入聟の相談」、「酔うても本心狂わず」p411-434
  167. ^ 定本講談名作全集(1971) 「意外の惨事」、「名主へ相談」、「情けも籠る奉行の裁断」p435-446
  168. ^ 定本講談名作全集(1971) 「雪ぐ師の恥」、「使者の供」、「槍術の妙」p464-471
  169. ^ 定本講談名作全集(1971) 「乞食の姉弟」p472-478
  170. ^ 定本講談名作全集(1971) 「放蕩指南」「伯母の執拗」、「万事休す」p479-490
  171. ^ 定本講談名作全集(1971) 「嫉妬のほむら」「孝子の袖乞い」、「親子の再会、「妻子の一心、一番槍の功名」p491-505
  172. ^ 定本講談名作全集(1971) 「伊勢屋の家宝」 p521-531
  173. ^ 講談全集(1929) 「父の訃音」、「重なる不幸」、「一夜に討つ君父の仇」 p581-599
  174. ^ 中央義士会『忠臣蔵四十七義士全名鑑 子孫が綴る、赤穂義士「正史」銘々伝』より「菅谷半之丞政利」(小池書院、2007年)
  175. ^ 定本講談名作全集(1971) 「同志の憤激」、「老人の屈死」 p532-538
  176. ^ 定本講談名作全集(1971) 「変名の再生」、「主家に擬する芝居」、「同志の落涙」 p568-576
  177. ^ 定本講談名作全集(1971) 「女武芸者」、「嫁入りの条件」、「正宗の刀が加増の種」 p611-621
  178. ^ 定本講談名作全集(1971) 「情けの勘当」、「報恩の身売り」、「情けが仇、事理明白」 p627-646
  179. ^ 関根(1924) p72
  180. ^ Google Books『窓のすさみ』 p200
  181. ^ 定本講談名作全集(1971) 「忠僕直助」 p678-708
  182. ^ 講談全集(1929) p1094
  183. ^ 今井敏夫 『<元禄赤穂事件と江戸時代>スッキリ解決! 忠臣蔵のなぜと謎』「吉良側に剣客はいなかったのか?」
  184. ^ 講談全集(1929) 「腕試し、父の仇討」、「怪物退治、上杉家召抱」p1094-1113
  185. ^ 講談全集(1929) p1114-1142
  186. ^ 『堀内伝右衛門覚書』で、堀内本人が当日帰宅について悪びれず記述している。
  187. ^ a b c d e 立命館大学デジタル展示『忠臣蔵と見立て』仮名手本忠臣蔵成立史
  188. ^ a b c d e f g h i j k l m n 松島(1964) p132-142
  189. ^ 松島(1964) p133
  190. ^ a b 赤穂市忠臣蔵 第四巻p302-303
  191. ^ a b c 松島(1964) p147-148
  192. ^ a b 赤穂市忠臣蔵 第四巻p305-306
  193. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 松島(1964) p180-189
  194. ^ a b c 赤穂市忠臣蔵 第四巻p318
  195. ^ a b c 松島(1964) p199-200
  196. ^ 赤穂市忠臣蔵 第四巻p640
  197. ^ 赤穂市忠臣蔵 第四巻p654
  198. ^ 松島(1964) p200
  199. ^ a b c d 松島(1964) p201
  200. ^ 松島(1964) p161
  201. ^ 赤穂市忠臣蔵 第四巻p661
  202. ^ a b 元禄(1999) p238
  203. ^ a b c d 宮澤(2001) p33-35
  204. ^ 吉田(2004) p136-137, p160
  205. ^ 赤穂市忠臣蔵第四巻 p678
  206. ^ 赤穂市忠臣蔵第四巻 p663
  207. ^ a b c 元禄(1999) p240
  208. ^ a b 宮澤(2001) p129-130
  209. ^ 『青果全集 第1巻』(講談社、復刊1975年)
  210. ^ 歌舞伎公演データベース『仮名手本忠臣蔵』
  211. ^ 歌舞伎公演データベース『元禄忠臣蔵』
  212. ^ a b 宮澤(1999) p234
  213. ^ 歌舞伎公演データベース『瑤泉院』
  214. ^ 歌舞伎公演データベース『続・瑶泉院』
  215. ^ 歌舞伎公演データベース『四谷怪談忠臣蔵』
  216. ^ 歌舞伎美人『通し狂言四谷怪談忠臣蔵』
  217. ^ a b c 宮澤(2001) p11-12。
  218. ^ 宮澤(2001) p11-12。関根黙庵『講談落語今昔譚』(雄山閣)を重引。関根(1924) 46コマ目
  219. ^ a b 宮澤(2001) p46-47
  220. ^ a b 宮澤(2001) p73-74
  221. ^ a b 宮澤(2001) p110-113
  222. ^ 『人生を豊かにしたい人のための講談』(2020年10月、マイナビ出版)ほか
  223. ^ 『神田松之丞 講談入門』p272、河出書房新社、2018年7月30日
  224. ^ a b c d e f 松島(1964) p203-208
  225. ^ 水野稔『山東京伝の黄表紙』有光書房、1976年。
  226. ^ a b c d e f g h i j k 宮澤(2001) p20-21
  227. ^ 谷口(2006) p187
  228. ^ 宮澤(2001) p22
  229. ^ 「水戸徳川家文書」財団法人水府明徳会・彰考館文庫
  230. ^ a b c 谷口(2006) p186-188
  231. ^ a b c d e f g h 松島(1964) p210-215
  232. ^ 青空文庫『学問のすすめ』
  233. ^ 宮澤(1999) p6-7
  234. ^ 『赤穂誠忠録』「序」に「吉良家の忠臣義人も併記」とある。
  235. ^ 萬松山泉岳寺公式web「泉岳寺の歴史」
  236. ^ 片山伯仙編「仙珪和尚日記抄」(花岳寺、1967年)
  237. ^ a b c 宮澤(2001) p15
  238. ^ a b 宮澤(2001) p82
  239. ^ 松島(1964) p217
  240. ^ 広瀬玲子 『国粋主義者の国際認識と国家構想─福本日南を中心として─』 芙蓉書房出版、2004年 ISBN 4829503394
  241. ^ a b c d e 宮澤(2001) p82-84
  242. ^ 御園京平『映画・忠臣蔵』。谷川(2013) p294から重引。
  243. ^ 宮澤(2001) p109
  244. ^ 宮澤(2001) p113-116
  245. ^ a b 宮澤(2001) p15
  246. ^ 柳敏栄『韓国演劇運動史』(檀国大学出版部、津川泉訳、風響社、2020年)
  247. ^ a b 宮澤(2001) p144-146
  248. ^ 宮澤(2001) p147-153
  249. ^ 松島(1964) p222
  250. ^ 「忠臣蔵」三社競作など映画界は花盛り『中外商業新報』昭和2年1月10日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p18 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  251. ^ a b 宮澤(2001) p167-168
  252. ^ 松島(1964) p223
  253. ^ 宮澤(2001) p175-176
  254. ^ a b 宮澤(2001) p15-16
  255. ^ 宮澤(2001) p181-186
  256. ^ 宮澤誠一『近代日本と「忠臣蔵」幻想』より「真山の忠臣蔵・その一、その二」
  257. ^ 宮澤(2001) p187-190
  258. ^ a b 宮澤(2001) p200-202
  259. ^ a b 宮澤(2001) p216-217
  260. ^ 『尋常小學修身書 複式編制學校兒童用. 第3・4學年 甲』(文部省, 1933.5)など
  261. ^ 宮澤(2001) p220-221
  262. ^ 宮澤(1999) p228
  263. ^ 谷川(2013) p290
  264. ^ a b 谷川(2013) p292
  265. ^ 谷川(2013) p22
  266. ^ 谷川(2013) p309
  267. ^ 佐藤(2003) p153-154
  268. ^ 今井正『自作を語る』(1990年、映画の本 工房ありす)p303
  269. ^ a b c d 谷川(2013) p306-311
  270. ^ a b c 宮澤(1999) p230-231
  271. ^ 「赤穂飛脚(走る忠臣蔵)」などを収録した短編集のタイトルであり、「妖説忠臣蔵」表題の小説自体は無い。
  272. ^ フジテレビ時代劇スペシャル『くノ一忠臣蔵』(1983年/昭和58年)ほか多数。
  273. ^ 『赤穂浪士 上・下』、大佛次郎、新潮文庫、新潮社、2007年11月 上 ISBN 4101083045 / 下 ISBN 4101083053
  274. ^ 番組エピソード 大河ドラマ『赤穂浪士』 - NHKアーカイブス
  275. ^ 番組エピソード 赤穂浪士を題材にした、主なNHKドラマ-NHKアーカイブス
  276. ^ 番組エピソード“忠臣蔵”でおなじみ!【赤穂浪士特集】-NHKアーカイブス
  277. ^ 谷川(2013) p331
  278. ^ 谷川(2013) p315
  279. ^ 『考えるヒント2』文春文庫、1975年(昭和50年) pp.10 - 33
  280. ^ A Collector's Guide to Books on Japan in English: An Annotated List of Over 2500 Titles with Subject Index Jozef Rogala, Routledge, 2012
  281. ^ a b c 宮澤(1999) p240-244
  282. ^ 元禄(1999) p216-217
  283. ^ 『キネマ旬報』(No.1072、1991年)
  284. ^ 浅野長矩が「乱心」だとすれば命は助かり、流罪もしくは蟄居で済み長広の家督継承が可能。
  285. ^ ’47 Ronin’ Tanks at Japanese Box Office; Is U.S. Doom Next?”. 2022年5月3日閲覧。
  286. ^ 「玉川太福 サカナ手本忠臣蔵」(江戸東京博物館、2021年3月13日)


「忠臣蔵」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「忠臣蔵」の関連用語

忠臣蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



忠臣蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの忠臣蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS