信夫恕軒
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信夫 恕軒(しのぶ じょけん、天保6年5月5日(1835年5月31日) - 明治43年(1910年)12月11日)は、日本の漢学者。東京大学講師。名は粲(あきら)[1]、字は文則。号は恕軒、天倪(てんげい)。
- ^ a b c d e f g h i j 『鳥取県大百科事典』407頁
- ^ a b c 『新聞人 信夫韓一郎』6頁
- ^ 自撰碑文に「雁行なし」とあって兄弟はないとされているが、漢学者伝記集成には尚貞の弟となっていて詳かでない(『因伯杏林碑誌集釈』213頁)
- ^ a b c d 森納著『因伯の医師たち』 361頁
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)14頁
- ^ 『新聞集成明治編年史. 第十四卷』p.339
- ^ 『赤穂誠忠録』244p
- ^ 『赤穂誠忠録』407p
- ^ 松島栄一『忠臣蔵』214p(岩波書店)
- ^ 『赤穂誠忠録』425p
- ^ a b c d e f g h i j 『因伯杏林碑誌集釈』211頁
- ^ 怙恃=ともにたよる、あてにするの意で、怙は父を、恃は母を言う(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ 順序正しく飛ぶ雁のことより、兄弟をたとえる(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ 短気でまっすぐな気性(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ 外に出て勤めず、家にいて(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ a b c d e f g h i j 『因伯杏林碑誌集釈』212頁
- ^ 狷介であること。妥協することのない性格(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ 行きなやむさま(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ 世俗を忘れた清らかな議論。主として老荘の議論を言う(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
- ^ 郷曲=故郷(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
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