信夫恕軒とは? わかりやすく解説

信夫恕軒

読み方しのぶ じょけん

儒学者。名は粲、字文則別号天倪・含翠子因幡鳥取生、東京住した大槻磐渓らに学んだ詩文・書を能くした。明治43年(1910)歿、76才。

信夫恕軒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 03:11 UTC 版)

信夫 恕軒(しのぶ じょけん、天保6年5月5日1835年5月31日) - 明治43年(1910年12月11日)は、日本漢学者東京大学講師。名は粲(あきら)[1]、字は文則。号は恕軒、天倪(てんげい)。


  1. ^ a b c d e f g h i j 『鳥取県大百科事典』407頁
  2. ^ a b c 『新聞人 信夫韓一郎』6頁
  3. ^ 自撰碑文に「雁行なし」とあって兄弟はないとされているが、漢学者伝記集成には尚貞の弟となっていて詳かでない(『因伯杏林碑誌集釈』213頁)
  4. ^ a b c d 森納著『因伯の医師たち』 361頁
  5. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)14頁
  6. ^ 新聞集成明治編年史. 第十四卷』p.339
  7. ^ 『赤穂誠忠録』244p
  8. ^ 『赤穂誠忠録』407p
  9. ^ 松島栄一『忠臣蔵』214p(岩波書店)
  10. ^ 『赤穂誠忠録』425p
  11. ^ a b c d e f g h i j 『因伯杏林碑誌集釈』211頁
  12. ^ 怙恃=ともにたよる、あてにするの意で、怙は父を、恃は母を言う(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  13. ^ 順序正しく飛ぶのことより、兄弟をたとえる(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  14. ^ 短気でまっすぐな気性(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  15. ^ 外に出て勤めず、家にいて(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  16. ^ a b c d e f g h i j 『因伯杏林碑誌集釈』212頁
  17. ^ 狷介であること。妥協することのない性格(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  18. ^ 行きなやむさま(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  19. ^ 世俗を忘れた清らかな議論。主として老荘の議論を言う(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)
  20. ^ 郷曲=故郷(『因伯杏林碑誌集釈』212頁)


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