文則とは? わかりやすく解説

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文則Wen Ze

ブンソク

(?~199?)

建安三年一九八)、袁紹易京総攻撃をかけると、公孫瓚子息公孫続使者として黒山張燕救援求めた。翌四年春、張燕公孫続軍勢十万人を率いて城外まで来援した。公孫瓚は文則を城外出し、「鉄騎五千率いて城北湿原に潜み、合図狼煙挙げよ。吾も城を出るから挟み撃ちにするのだ」と公孫続伝えさせようとしたが、文則は袁紹斥候手紙奪われた。袁紹は偽の狼煙挙げて公孫瓚誘き出して大破易京陥落させた《公孫瓚伝・後漢書同伝》。

参照袁紹 / 公孫瓚 / 公孫続 / 張燕 / 易京 / 黒山


于禁

(文則 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 03:45 UTC 版)

于 禁(う きん、? - 黄初2年(221年))は、中国後漢末期から三国時代の武将。文則(ぶんそく)。兗州泰山郡鉅平県(現在の山東省泰安市岱岳区)の人。子は于圭。『三国志志「張楽于張徐伝」に伝がある。


  1. ^ 会稽太守王朗とは別人。この人物の出身郡や他の事蹟は不明。
  2. ^ この反乱は2度目であり、1度目は張遼によって説得され、罪を許されていた。
  3. ^ 「臧覇伝」によると、臧覇も従軍。
  4. ^ 逸周書』「諡法解」


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