路招
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建安四年(一九九)、袁術が徐州を通過して袁紹を頼ろうとしたので、曹操は朱霊と路招を劉備に付けて迎え撃たせたが、到着しないうちに袁術は病死した《先主伝》。 同十三年、曹操が荊州を征伐するにあたっては、于禁・張遼・張郃・朱霊・李典・馮楷とともに都督護軍趙儼に属していた《趙儼伝》。 同十七年、朱霊とともに行護軍将軍夏侯淵に属し、長安に駐屯している《夏侯淵伝》。 史書では名前に触れられるだけだが、朱霊と行動をともにすることが多く、于禁・張遼らとほぼ同格の高位の将軍であったと思われる。 【参照】于禁 / 袁紹 / 袁術 / 夏侯淵 / 朱霊 / 曹操 / 張郃 / 張遼 / 趙儼 / 馮楷 / 李典 / 劉備 / 荊州 / 徐州 / 長安県 / 護軍将軍 / 都督護軍 / 三国志演義 / 行 |
路招
路招(ろ しょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:12 UTC 版)
夏侯淵配下として漢中攻防戦で登場。特徴的な笑い方をする。劉備追撃時に夏侯淵の援護むなしく劉備の救助にきた馬超に討たれる。
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