蕭塔列葛とは? わかりやすく解説

蕭塔列葛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 06:48 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

蕭塔列葛(しょう とうれつかつ、生没年不詳)は、(契丹)の政治家は雄隠。契丹五院部の出身。

経歴

塔列葛の八世の祖の剌只撒古魯は、遙輦氏の可汗時代に虞人をつとめていた。安禄山が契丹に侵攻してくると、剌只撒古魯は黒山の南で戦い、安禄山を撃退した。その功績により剌只撒古魯は北府宰相となり、その子孫は代々北府宰相に選ばれた。

塔列葛は開泰年間に出仕し、西南面招討使(本紀によると西北路招討使)に累進した。重熙11年(1042年)、西夏への使者をつとめ、共同して北宋を攻撃することを李元昊と約束した。重熙12年(1043年)、右夷離畢・同知南京留守となり、左夷離畢に進んだ。まもなく東京留守に転じた。重熙19年(1050年)12月、北府宰相に選ばれた。重熙21年(1052年)12月、南京統軍使となった。

伝記資料

  • 遼史』巻85 列伝第15




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蕭塔列葛」の関連用語

1
8% |||||

蕭塔列葛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蕭塔列葛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蕭塔列葛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS