水間沾徳とは? わかりやすく解説

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水間沾徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/14 14:50 UTC 版)

水間 沾徳(みずま せんとく、1662年寛文2年) - 1726年6月29日享保11年5月30日))は、江戸時代初期の江戸俳人。はじめ門田沾葉、のち水間沾徳。名は友兼、通称治朗左衛門、号は合歓堂[1]松尾芭蕉宝井其角の没後、享保期の江戸俳壇の中心となった。

生涯

16歳で福田露言(保守派の岸本調和門の門人。調也とも)に入門[1]。露言に伴われて、奥州磐城平藩主・内藤義概(俳号風虎)の江戸藩邸の句会に参加し、内藤風虎の嗣子・義英(俳号露沾)の知遇を得、露沾から一字を賜り、沾葉と名乗った[1]。以後、露言とともに調和系の俳書に入集する。同じ頃、山口素堂の手引きで林家に入門し、山本春正や清水宗川に歌学を学び、原安適とも親交を結んだ[1]

1682年天和2年)露沾の退身によって出仕の望みがなくなったため、1685年貞享2年)内藤家を致仕して法体となる[1]。貞享4年(1687年)名を沾徳と改め、立机した(=俳諧宗匠となった)[1]。露沾とともに調和系を離れ、山口素堂を介して蕉門と親交を持ち、其角と提携した。やがて宗匠として内藤家の微禄を食み、諏訪忠虎大村純庸といった大名を顧客に持った[1]1694年元禄7年)に芭蕉が没すると、宝井其角とともに江戸俳諧の中心となり、1707年宝永4年)に其角が没すると、江戸俳壇の諸派を集めて「大宗匠」と仰がれるに至るも、俳壇経営には必ずしも積極的ではなかった[1]。1726年(享保11年)5月30日没。65歳。本所法恩寺子院である陽運院に葬られたが、昭和初期の特設墓地造営で子院の共同墓地に再建された[1]

元禄赤穂事件

「浅野が天子様の勅使御馳走を削ろうとし(前回と同じ七百両で計算)、吉良の反対にあい立腹したのが原因。時代経過(元禄改鋳による物価上昇)があるのに其れも読めず、三月十四日事件になった」という見解を俳書に記している[2]

作風

古きを新しくする句作を重視し、しかもその手際の跡を見せない緊密直裁な仕立てを良しとした[1]。抜け風的難解性や付合の疎句化が特徴である[1]

編著書

刊本

  • 『俳林一字幽蘭集』(1692年(元禄5年)刊)
  • 『文蓬莱』(1701年(元禄14年)刊)
  • 『余花千句』(1705年(宝永2年)刊)
  • 『後余花千二百句』(1721年〈享保6年)刊) など

写本

  • 『沾徳随筆』(1718年(享保3年)成立)
  • 『合歓堂家集』 など

追善集

  • 『水精宮』(仙鶴編)
  • 『白字録』(沾州・長水・風葉編)
  • 『知里之粉』(紹蓮編)- 一周忌
  • 『浜松ヶ枝』(沾山編)- 七回忌
  • 『合歓の花道』(沾山編)- 十三回忌

沾徳が宗匠として点を付けたものとして、『江戸筏』『宇呂利五十韻』[3]『稲はらむ五十韻』[4]『残る蚊歌仙』[5]『置く扇子歌仙』[6]が知られる。句の解釈や句点の特徴など、未解明の部分が多く、今後の研究が俟たれている。

代表句

  • 折て後貰ふ聲あり垣の梅
  • 帯程に川も流れて汐干かな
  • 岩を飛ぶ美人は愛宕杜宇
  • そら言のそらの海道したすゞみ
  • 低きかたへ水のあわつや初あらし

(『日本古典文学全集』「近世俳句俳文集」収載)

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 日本古典文学大辞典編集員会 『日本古典文学大辞典第3巻』岩波書店、1984年4月、654-655頁。 
  2. ^ 『沾徳随筆』より「浅野家滅亡之濫觴」
  3. ^ 中嶋隆 荻原大地 庄司早希 白鳥敬秀 中野あい 七井亜聡 昼田葵「(新出資料 早稲田大学所蔵) 水間沾徳点・大村蘭台撰『宇呂利』五十韻注解」『近世文芸 研究と評論』第91巻、近世文芸 研究と評論の会、2016年11月、 80-100頁。
  4. ^ 中嶋隆 荻原大地 庄司早希 白鳥敬秀 中野あい 七井亜聡 昼田葵「(新出資料 早稲田大学所蔵) 水間沾徳点・大村蘭台撰『稲はらむ』五十韻注解」『近世文芸 研究と評論』第92巻、近世文芸 研究と評論の会、2017年11月、 59-82頁。
  5. ^ 中嶋隆 荻原大地 木村有紀子 白鳥敬秀 冨永真由 長谷川美菜 昼田葵「(新出資料 早稲田大学所蔵) 水間沾徳点・大村蘭台撰『残る蚊』歌仙注解」『近世文芸 研究と評論』第93巻、近世文芸 研究と評論の会、2017年11月、 45-61頁。
  6. ^ 中嶋隆 荻原大地 木村有紀子 白鳥敬秀 冨永真由 長谷川美菜 昼田葵「(新出資料 早稲田大学所蔵) 水間沾徳点・大村蘭台撰『置く扇子』歌仙注解」『近世文芸 研究と評論』第94巻、近世文芸 研究と評論の会、2018年6月、 53-70頁。


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