萱野重実と俳諧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/27 14:57 UTC 版)
重実が赤穂に仕官していた貞享・元禄時代は、松尾芭蕉などの多くの俳人が出て、俳諧が盛んな時代であった。江戸俳壇の中心人物であった水間沾徳(みずませんとく)門下の大高忠雄(子葉(しよう))、神崎則休(竹平(ちくへい))、萱野重実(涓泉(けんせん))の技量は当時の俳諧人にも広く認められ、その作品は『文蓬菜(ふみよもぎ)』『三上吟(さんじょうぎん)』等の俳書に収められている。また萱野一族の中には、重実のほかにも兄重通(紅山(こうざん))を始め、母の弟藤井家房とその子光貞(蘭風(らんふう))、北河原好昌、小畑治左衛門(和泥(わでい))、北河原保親(休計(きゅうけい))等の多くの優れた俳人が活躍し、蘭風編「椎柴集(しいしばしゅう)」「萱野草」、休計編「浪速置火燵(なにわおきごたつ)」等の俳書に多くの句を残している。
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