165系の形式
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クモハ165形 モハ164形とユニットを組む定員76名の2等制御電動車 (Mc) で、主制御器・主抵抗器を搭載。勾配線区で使用される特質上電動車比を高める必要から、基幹形式の一つとして1963年から1970年にかけて、0番台1 - 141と信越本線横川 - 軽井沢間でEF63形との協調運転用試作車900番台901 - 904の計145両が製造された。 451系・471系では電動車ユニットを両方向に使用可能としたため両渡り構造としたが、本系列では奇数向き(東海道本線基準で上り東京方)に固定を原則としたことから片渡り構造を採用した。 外観上は、主電動機冷却風の取り入れのため前部出入台(デッキ)屋根上部に設けられた大型の通風器や床下艤装の関係で他車の700リットルに対して本形式およびモハ165形は枕木と平行に設置された550リットルの水タンクが特徴である。 1 - 122が非冷房、900番台がAU12形分散式冷房装置搭載準備車、123 - 125がAU13E形搭載冷房準備車、126 - 141はAU13E形5基搭載の新製冷房車として落成した。新前橋区所属の先行冷房改造試作車と900番台はAU12S形6基搭載で冷房化された。 クモハ165形製造メーカー別分類製造年川崎車輌汽車製造日本車輌近畿車輌東急車輛帝國車輛備考1963 1・20 - 3042 - 50 2・313 - 19・39 4 - 1237・38 31 - 36・4041・51 - 57 1964 65 - 68 58 - 60 61 - 64 1965 69・7083 - 94 71 - 7495 - 104 75 - 82 1966 105・106 110 107 - 109 1967 118 - 122 111 - 115901 - 904 116・117 901 - 904冷房準備車 1968 123 - 125 冷房準備車 1969 126 - 129 130 - 138 新造冷房車 1970 139 - 141 モハ165形 モハ164形とユニットを組む2等中間電動車 (M) で定員84名。165系ではクモハ+モハのユニットが主流となったことから、需要は小さく21両のみ製造された。 1 - 17は非冷房で1963年 - 1966年に落成し、モハ164形800番台とユニットを組成し波動輸送に充当された。 18 - 21はAU13形6基搭載の新製冷房車として1969年に落成、モハ164形0番台とユニットを組成し山陽本線急行「とも」「鷲羽」増発に充当された。非冷房車も後にAU13形分散式冷房装置6基を搭載する改造工事を施工された。 1963年製造車は新前橋配置後に三鷹→田町を経て1975年には神領区へ、1965年製造車は宮原電車区配置の後に大垣区と神領区へ、1966年製造車は岡山電車区配置を経て1972年には大垣区へ、1969年製造車は宮原区配置を経て1973年ならびに1975年に神領区へ転出したが、1982年に神領区の運用がいったん終了したためにその後は大垣区に集中配置となった。このため分割民営化以前の1987年2月に廃車となった2 - 5を除き全車JR東海へ継承されており、残存車は1989年以降に静岡運転所へ集中配置となった。 モハ165形製造メーカー別分類製造年川崎車輌汽車製造日本車輌モハ164形ユニット相手方新製配置備考1963 1・2 3 - 5 801 - 805 新前橋 1965 8・9 10 - 13 6・7 828 - 835 宮原 1966 14 - 17 836- 839 岡山 1969 18 - 21 81 - 84 宮原 新造冷房車 モハ164形 電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP)・パンタグラフを搭載する2等中間電動車 (M') で定員84名。1963年から1970年にかけて以下の番台区分で計166両が製造された。0番台:1 - 84 500番台(回送運転台装備)501 - 514 800番台(狭小トンネル区間対応パンタグラフ搭載部低屋根化):801 - 864 900番台(EF63形との協調運転試作車):901 - 904 クモハ165形とのユニット組成を基本としたが、波動運用対応用として製造された801 - 805・828 - 839ならびに1969年に山陽本線急行増発用として製造された81 - 84はモハ165形とユニットを組成する。また本形式も0・500・800の番台区分が存在することから、1963年製造の1 - 41と協調運転試作車901 - 904を除きユニット間車両番号は一致しない。 モハ164形製造年別新製時ユニット相手方一覧1963年モハ1641 - 41 501 - 514 801 - 805 42・43 クモハ1651 - 41 42 - 55 56・57 モハ165 1 - 5 1964年モハ164806 - 812 44 813 - 815 クモハ16558 - 64 65 66 - 68 1965年モハ164816 - 823 45 - 50 824 - 827 828 - 835 51 - 68 クモハ16569 - 76 77 - 82 83 - 86 87 - 104 モハ165 6 - 13 1966年モハ164836 - 839 69 - 73 840 CPMH80A-C1000x2↓MH113A-C2000Mx1 クモハ165 105 - 109 110 モハ16514 - 17 1967年モハ164841 - 845 74 - 80 901 - 904 901 - 904冷房準備車 クモハ165111 - 115 116 -122 901 - 904 1968年モハ164846 - 848 冷房準備車 クモハ165123 - 125 1969年モハ164849 - 861 81 - 84 新造冷房車 クモハ165126 - 138 モハ165 18 - 21 1970年モハ164862 - 864 新造冷房車 クモハ165139 - 141 狭小トンネル区間での運用は低屋根構造の800番台に限定されていたが、1973年に折畳高を縮小したPS23形が開発された以降は換装により当該区間へ入線可能となり限定が解除された。また電化区間延伸による運用線区拡大で広域転配が行われた結果、終始新前橋電車区配置となった900番台を除き0・500・800番台は多くの車両基地に配置された。 モハ164形番台区分別配置実績番台区分新潟長野 松本新前橋小山 浦和 三鷹田町 津田沼 幕張静岡豊橋神領大垣宮原 向日町 日根野岡山 広島 下関 0番台○○△○--△○-△△△△△○----○500番台△△△○---△-△△△△△○--△-△800番台○-○○○●○△○△△▽△▽○△△○▲○900番台---○----------------民営化後JR東日本JR東海JR西日本 備考 ○:新製配置 △:転入による配置 ▽:暫定配置・正規転入配置ともにあり ●・▲:暫定配置で正規運用なし -:配置経歴なし 新潟・松本・三鷹・静岡・豊橋・神領・大垣:0・500番台車はPS23A形パンタグラフへ換装 車両基地名称は配置開始時の名称 運転所:新潟・長野・松本・静岡・向日町・広島・下関 電車区:新前橋・浦和・三鷹・田町・津田沼・幕張・神領・大垣・宮原・日根野・岡山 機関区:豊橋 太字書体車両基地:民営化後もモハ164形の配置があった車両基地 ただし長野はサハ165形 松本は1991年 - 1993年に三鷹との車両交換で転入した廃車前提の保留車 宮原はクハ165形の配置あり 製造途中での大きな設計変更は1965年度第2次民有車以降に増備された69- ・836- からは、CPをMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基へ変更した。 国鉄急行形電車2等車(現・普通車)冷房化計画では以下の設計変更が行われた。901 - 904:1967年製造。AU12S形5基搭載準備車。冷房化は169系化改造後の1971年にAU72形搭載に変更の上で施工。 846 - 848:1968年製造。AU72形集中式冷房装置搭載準備車、 81 - 84・849 - 864:1969年・1970年製造。新造冷房車。 それ以前の非冷房車は、新前橋区所属で先行冷房改造試作車となった8両にはAU71形、その他の車両にはAU72形が搭載された。 モハ164形製造メーカー別分類製造年川崎車輌汽車製造日本車輌近畿車輌東急車輛帝國車輛備考1963 1・20 - 3042 - 50501 - 509801 - 803 2・313 - 19・39804・805 4 - 1237・38 31 - 3640 - 43510 - 514 1964 44813 - 815 806 - 808 809 - 812 1965 51 - 58816・817824 - 827830・831 59 - 68818 - 821832 - 835 45 - 50822・823828・829 1966 836 - 839 69・70 840 71 - 73 1967 76 - 80 841 - 845901 - 904 74・75 901 - 904冷房準備車 1968 846 - 848 冷房準備車 1969 81 - 84 849 - 852 853 - 861 新造冷房車 1970 862 - 864 クハ165形 1963年から1970年にかけて206両が製造された2等制御車 (Tc) で定員76名。非冷房車では方向転換可能な両渡り構造を採用したが、冷房改造により冷房用三相交流電源引通を追設したため片渡り構造となった。クモハ165形が奇数向き固定のため本形式では3 - 11・109・113・159・161・163・169・171・173・177・179ならびに117 - 135の奇数番号車計29両を除き偶数向き固定とされた。 クモハ165形+モハ164形+クハ165形を基本に編成組成される本系列であるが、クモハ165形+モハ164形ユニット145組に対して製造両数が61両多い理由は、以下によるものである。1963年に製造された宮原電車区配置の準急編成増結用クモハ165形+モハ164形500番台ユニット11組は単独製造であり、1965年に下関運転所へ転出。その際に8ユニットはクハ153形→クハ164形と編成を組成したが、3ユニットはクハ165形3両を単独製造し組成した。 モハ165+164の中間電動車ユニットを本形式で挟み込む波動輸送対応編成として製造された4両編成が17本存在した。 松本運転所付属編成が本形式2両を組込む4両編成を組成した。 新潟運転所「佐渡」編成では利用者増から本形式増結による対応を行った。 153系との混結運用に充当する目的で宮原電車区ならびに大垣電車区へ配置された冷房準備工事車32両が単独製造された。 製造途中で2等車冷房化計画が進行したため以下の変更を実施。非冷房→冷房改造:1 - 155 AU12S形6基搭載準備工事車(協調運転試作車):901 - 904 AU13E形5基搭載準備工事車:156 - 190 AU13形5基搭載新造冷房車:191 - 206 冷房化改造では900番台ならびに新前橋区所属先行冷房改造試作車がAU12S形6基とされたほかはAU13E形5基、冷房電源用として新前橋区所属先行冷房改造試作車が90 kVAの、新製冷房車ならびに準備車を含む搭載改造車は容量110 kVAの電動発電機が搭載された。 クハ165形製造メーカー別分類製造年川崎車輌汽車製造日本車輌近畿車輌東急車輛帝國車輛備考1963 1 - 729 - 35 8 - 1221 - 2843・44 13 - 2041・42 36 - 4045 - 55 1964 65 - 68 56 - 58 59 - 64 1965 69・7087 - 99117・118 71 - 78100 - 112119 - 128 79 - 86113 - 116 1966 129 - 136 137・138 142 - 146 139 - 141 1967 151 - 155 147・148901 - 904 149・150 901 - 904冷房準備車 1968 156 - 187 188 - 190 冷房準備車 1969 191 - 195 196 - 203 新造冷房車 1970 204 - 206 サロ165形 1等付随車 (Ts) で、定員48名。1963年 - 1969年に134両が製造された。本形式は165系との編成組成のほか、サロ153形・サロ152形を113系編入改造の種車として捻出する目的から、波動運用対応編成とは別に既存の153系と編成を組成することを前提に宮原電車区ならびに田町電車区へ新製配置された車両、またダイヤ改正による増発用として新製されたものの早期落成により本来配置される車両基地とは別に大垣電車区ならびに小山電車区へ暫定配置された車両が存在する。 外観的には台車を除き特徴的な二連式大型下降窓や回送運転台の装備などサロ152形を踏襲しており、車内には専務車掌室を設置し冷房搭載車は洗面所にウォータークーラーを搭載した。 国鉄急行列車1等車冷房化計画の過渡期に製造されたために冷房装置は以下の4種類が存在する。非冷房→AU12S形6基搭載冷房改造(1963年 - 1964年上期製造):1 - 28(24は冷房改造未施工で廃車) AU12S形6基搭載準備工事車(1964年下期製造):29 AU12形6基搭載新造冷房車(1965年 - 1968年製造):30 - 129 AU13形5基搭載新造冷房車(1969年製造):130 - 134 新製冷房車は、冷房電源に自車給電用20 kVA電動発電機を床下搭載し、非冷房車・冷房準備車は事故廃車の24を除く全車が冷房化改造された際に同仕様とした。 総括制御回線は両渡り構造としたが、急行列車2等車冷房化に際し三相交流電源引通を追設したことから1968年製造の94 - 96ならびに117以降は片渡り構造へ設計変更を実施。同仕様に1 - 93・97 - 116も改造施工された。 1967年10月1日ダイヤ改正時点で長野運転所に配置されていた信越本線急行充当車19両は、1968年10月1日ダイヤ改正でEF63形と横軽区間で協調運転を行う169系へ移行した際に対応機器搭載と上述した三相交流電源引通追設ならびに総括制御回線片渡り化工事を長野工場で施工されサロ169形へ改造された。 二連式大型下降窓から雨水侵入による車体腐食で老朽化進行に加え国鉄末期の1980年代初頭より特急格上げによる急行運用の削減・短編成化・グリーン車利用率低下による連結両数減などにより余剰車が発生したことから、5両がクハ455形へ、1両がサロ110形へ改造施工されたほかは廃車が進行し、分割民営化時に車籍を有していたのは「東海」と共通運用の東京 - 大垣夜行普通列車に充当されるJR東海大垣電車区所属サロ165-105 - 108・112・125・126・132の8両まで縮小した。 1989年3月11日ダイヤ改正で運用移管により105を除いた7両は静岡運転所へ転出。105は神領電車区へ転出したが直後の同年5月15日に廃車。しかし「東海」関連運用も1996年3月で営業運転終了。106を除き同年8月までに廃車となったが、106は静岡車両区所属で車籍を有したまま浜松工場に留置。2009年3月31日付で廃車され本系列は廃系列となった。 サロ165形製造メーカー別分類製造年川崎車輌汽車製造日本車輌近畿車輌東急車輛帝國車輛備考1963 18 - 24 9 - 17 1 - 8 25・26 1 - 28:非冷房車29:冷房準備車 1964 29 27・28 1965 30 - 3752 - 55 38 - 5156 - 58 59 - 62 AU12Sx6基新造冷房車 1966 63 64・65 66 - 7179・80 81 - 93 72 - 78 1967 107 - 116 97 - 103 104・105 106 1968 94 - 96117 - 129 1969 130 - 132 133・134 AU13Ex5基新造冷房車 サハ164形 1966年10月ダイヤ改正で中央東線急行増発用として同年3月に川崎車輌で以下の経緯から2両のみが製造された定員56名の売店付2等付随車 (Tk) 。中央東線急行列車利用者には登山客が多く、座席定員を確保できない観点から混雑時サービスに課題が生じていた。 ビュフェ車のサハシ165形では製造ならびに営業でのコスト面で不利となるほか、サハシ153形からの改造編入も種車が供給できない状況にあった。 このためモハ165形をベースに後位側客用乗降扉およびデッキを車体中央側に寄せた上で、車端側3.5区画分をキハ81形ならびにモハ156形で採用された売店ならびに車内販売準備室としたほか、幅600 mmの物資積卸扉を追加する設計変更をしたのが本形式である。165系としては最初のサハになるが、特殊仕様のため偶数形式とされた。 床下には自車設備給電用5 kVAのMH81-DM44形MGを搭載したが、1970年に施工された冷房化改造により冷房電源兼用110 kVAに換装した。なお冷房装置はAU13E形分散式を客室部に4基、後位側デッキ部と売店部物資積卸口の上にそれぞれ1基搭ずつの計6基としたことから、モハ165形・サハ165形とは搭載位置が異なる。 1974年にはビュフェ営業を休止していた上越急行用サハシ165形とトレードされる形で新潟運転所へ転出し「佐渡」編成に組成。さらに1978年には大垣電車区へ転出し「東海」ならびに東京 - 大垣間夜行普通列車用K編成に組成されたが、1979年から1980年にかけて松本運転所へ転属となり再び中央東線急行基本編成に組成。1983年に余剰となった新前橋電車区から転入したクハ165形と差換により廃車され形式消滅した。 サハ164形経歴車番製造会社製造日新製配置新潟転属大垣転属松本再転属廃車日備考1 川崎車輌 1966.03.08 松本 1974.12.12 1978.07.21 1979.03.28 1983.01.21 1970年冷房化 2 1980.01.26 サハ165形 車体構造・車内設備はモハ165形と同一となる定員84名の付随車 (T) 。11両全車が新製時からTR69B形台車を装着し、AU13E形分散式冷房装置6基と冷房電源用110 kVA MGを搭載して落成。 1969年10月ダイヤ改正で山陽本線不定期急行の定期列車化用として1 - 10が川崎車輌で製造され宮原電車区へ、1970年に呉線電化による増発用として11が近畿車輌で製造され下関運転所へ配置された。 1972年3月ダイヤ改正以降は、全車新潟運転所へ集中配置とされ上越急行へ転用。1974年には5・9が神領区へ転出し中央西線でも運用された。1984年にはクハ455形・サロ110形へ6両が改造されたが、本形式のまま残存した神領配置の2両ならびに新潟配置の3両計5両は松本運転所に転出。1986年に新急行「かもしか」充当用にシート交換などのグレードアップ改造を施工され長野運転所へ再転出。「かもしか」の「みすず」格下げ後は長野ローカルで運用されたが、1999年に保留車となり2001年までに全車廃車となった。 サハ165形経歴車番製造会社製造日新製配置転属廃車・改造1 川崎車輌 1969.09.01 宮原 →新潟 クハ455-501 2 クハ455-502 3 クハ455-503 4 クハ455-504 5 →新潟→神領→松本→長野 2001.01.12 6 1969.09.16 →新潟 クハ455-505 7 サロ110-501 8 →新潟→松本→長野 1999.01.11 9 →新潟→神領→松本→長野 1999.03.10 10 →新潟→松本→長野 1999.01.11 11 近畿車輌 1970.05.30 下関 →津田沼→下関→新潟→松本→長野 1999.03.10 サハシ165形 1963年に川崎車輌・近畿車輌で12両が製造された2等・ビュフェ合造付随車 (Tb) 。2等客室部定員は36名。車体中央部に設置された幅700 mmの客用扉を境に前位寄りを2等客室、後位寄りを電子レンジを標準装備するビュフェとし、トイレ・洗面所は設置しない。基本構造はサハシ451形に準じているが、客用扉ステップを省略し、サハシ153形で設置された寿司コーナーは蕎麦コーナーに変更を実施。また車内販売用業務用控室を出入台寄りに設置した。 新製時は総括制御回線を両渡り構造としたほか、ビュフェ部分はAU12形4基搭載により冷房車とし側窓も固定式としたが、1969年 - 1972年に客室部もAU13E形2基で冷房化。松本配置車は電源供給上の理由からMGを従来の40 kVAから110 kVAに交換した。また同時に冷房電源用三相交流引通装備ならびに総括制御回線片渡り構造化も施工された。 新製配置は全車新潟運転所とされ上越急行で運用されたが、1965年12月から中央東線急行「アルプス」でビュフェ営業を開始するため2・4・6・8・10の5両は松本運転所(現・松本車両センター)へ転出。しかし2は車両需給の関係から1966年から再び新潟運転所配置となった。 1973年10月1日ダイヤ改正で「佐渡」減便ならびにビュフェ営業終了により、翌1974年に1 - 3が松本へ転出。松本配置車も1976年には「アルプス」のビュフェ営業を終了。1978年から余剰廃車が開始され、1983年に形式消滅した。 サハシ165形経歴車番製造会社製造日新製配置松本転属廃車日MG備考1 近畿車輌 1963.04.12 新潟 1974.12.12 1983.03.19 110 kVA 2 1965.11.01 1982.07.27 1966.04.02 - 1974.12.12新潟所属 3 1974.12.12 1978.12.26 4 1965.11.01 1982.03.17 5 1978.09.11 40 kVA 6 1965.11.01 1982.12.25 110 kVA 7 川崎車輌 1963.04.25 1978.09.11 40 kVA 8 1965.11.01 1982.03.17 110 kVA 9 1978.09.11 40 kVA 10 1965.11.30 1982.02.12 110 kVA 11 近畿車輌 1963.05.17 1978.09.11 40 kVA 12
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