クハ164形
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1965年10月1日ダイヤ改正で下関運転所(現・下関総合車両所)にクモハ165形+モハ164形ユニット1組2両・クハ165形4両の新製車6両ならびに宮原電車区よりクモハ165形+モハ164形500番台ユニット11組22両・153系からサロ153形6両・クハ153形8両の転入車36両で計42両が配置された。クモハ+モハ+クハ3両編成の中間にサロ153形を組成する7両編成x6本で山陽本線急行・準急運用に充当されたが、車両需給上最低2本は先頭車に組成せざるを得ないクハ153形からの制御では抑速ブレーキが使用ができなくなることから、最大22.6 ‰の急勾配が介在する瀬野 - 八本松駅間(瀬野八区間)では下り勾配となる下り列車での抑速ブレーキ使用を考慮して、クモハ165形+モハ164形は本来の山陽本線基準上り向きから逆となる下り向きとし、クハ153形はすべて上り向きに方向転換した上で編成組成して対処した。しかし融通性向上と制約解除の観点から運用開始から4ヶ月程経過した1966年2月 - 3月に幡生工場で本運用に充当されていたクハ153形0番台8両へ165系編入改造を施工したのが本形式である。 主な改造内容は主幹制御器をMC22形からMC37形へ、総括制御用ジャンパ連結器をKE57A形からKE64形への交換である。車両番号は改造種車の番号順に1 - 8が付番された。耐寒耐雪構造は暖地向けとなる山陽本線で運用されることから施工を省略。種車が低運転台構造のため塗装はクハ153形のまま正面に緑が回らない塗り分けの異端車となった。 改造後も引き続き下関運転所に配置され山陽本線で運用に充当されたが、山陽新幹線岡山暫定開業による運用減により1971年から1972年にかけて以下の車両基地へ転出した。 1 - 4 → 大垣電車区(現・大垣車両区) 大垣転入後は同区の153・155系と混用されたが、1974年から1975年にかけて宮原へ再転出。修学旅行専用列車廃止後に下関運転所から転入してきた冷房化改造前の167系と編成を組成し波動運用に充当された。167系冷房化改造後は同区配置のクハ165形と差換えられ、非冷房のまま1979年 - 1980年に廃車。 5 - 8 → 宮原電車区(→宮原運転所→宮原総合運転所→現・網干総合車両所宮原支所) 宮原転入直後の1972年に5 - 7が吹田工場(現・吹田総合車両所)で110 kVA MG搭載ならびに片渡り構造への変更を伴う冷房化改造を施工。なお5・7は前面強化と前灯シールドビーム化を1977年に施工された。 1973年に神領電車区へ転出し中央西線急行に充当。1975年に大垣へ再転出し「東海」「伊那」「富士川」などで運用されたほか、1976年に8が長野工場(現・長野総合車両センター)で5 - 7と同様の冷房化改造を施工された。運用減と老朽化のため1983年までに廃車され形式消滅した。 クハ164形改造履歴車番種車改造日施工配置転属廃車日冷房化その他改造1 クハ153-1 1966.02.15 幡生 下関 大垣1972.02.29 宮原1974.12.13 → 1980.09.19 未施工 2 クハ153-2 1966.02.21 大垣1972.02.29 宮原1975.01.11 → 1980.02.21 3 クハ153-17 1966.03.16 大垣1972.02.27 宮原1974.12.20 → 1980.08.02 4 クハ153-18 1966.03.10 大垣1972.02.27 宮原1974.12.20 → 1979.11.29 5 クハ153-19 1966.02.23 宮原1971.12.02 神領1973.06.13 大垣1975.04.04 1982.09.27 1972年吹田 前灯SB化前面強化 6 クハ153-20 1966.02.10 宮原1971.12.02 神領1973.05.15 大垣1975.05.07 1983.03.18 7 クハ153-25 1966.02.05 宮原1971.11.18 神領1973.05.15 大垣1975.05.07 1983.09.03 前灯SB化前面強化 8 クハ153-26 1966.03.19 宮原1971.11.18 神領1973.05.11 大垣1975.04.04 1982.09.27 1976年長野
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