山陽新幹線開業による変更
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「国鉄165系電車」の記事における「山陽新幹線開業による変更」の解説
山陽新幹線岡山暫定開業による1972年3月15日ダイヤ改正では、岡山以東の昼行急行は原則全廃となった。本系列の山陽急行は岡山 - 広島・下関間での運転となり、山陽本線経由を「山陽」、呉線経由を「安芸」に統合。「とも」「やしろ」は廃止。「鷲羽」は山陽新幹線岡山接続が不可かつ京阪神地区 - 四国間に対応する宇高連絡船深夜早朝便連絡列車として夜行1往復のみ残存した。 運用は宮原電車区と向日町運転所からクハ165形を含む153系120両を下関運転所に転属移管。サロ165形・サハシ153形組込の6M4T10両編成は「山陽」「安芸」以外にも快速・普通も含むローカル列車への充当された。 玉突きでそれまで下関に配置されていた165系はサロ165形8両を除いて新潟運転所・大垣電車区・宮原電車区・岡山電車区へ転出し、大垣転出車は飯田線急行「伊那」や身延線急行「富士川」ならびに名古屋地区快速列車などに転用された。 向日町運転所の運用分担は全廃。また宮原配置車のうち「鷲羽」「比叡」に充当される153系編成は共通の8両基本+「鷲羽」増結用4両付属の12両に変更。本系列は従来から配置されていたクハ165形・サロ165形・モハ165形+モハ164形ユニットと下関運転所から転入したクハ164形を含む波動運用対応用4両編成x4本のほか、新たに京阪神地区新快速用に塗装を灰色9号に青22号の帯を巻いたブルーライナー色とした専用6両編成x20本が組成された。 新快速編成に必要な制御車40両のうち30両はクハ153形0番台・500番台とされたが、残りの10両はクハ165-159・160・163 - 165・167 - 169・183・184が充当された。 サハ165形は宮原・下関配置車共に全車新潟運転所へ、1965年製造の宮原区波動運用対応4両編成x8本は大垣電車区へ転出した。 1973年には中央西線全線電化用として1971年に下関運転所から転入した車両のうち15両とモハ165+モハ164形ユニット2組4両ならびにサロ165-105 - 108・112の計24両が神領電車区へ転出した。 山陽新幹線博多開業に伴う1975年3月10日ダイヤ改正により山陽本線の昼行特急・急行は全廃となった。167系が本来の修学旅行用から波動用に転用され、下関運転所から宮原電車区に転出。宮原区では不足するクハ167形補完と新快速用などにクハ165形、「鷲羽」「比叡」用153系編成に組成されるサロ165形が引き続き配置となったほかは関東・中部地区へ転出した。 1980年10月1日ダイヤ改正では117系電車への完全置換えにより、153系・165系京阪神地区新快速運用を終了した。ブルーライナー塗装のクハ165形は順次湘南色に復元されることになり、2両がクハ164形非冷房車置換えに転用されたほか、8両が転出。また1961年から宮原電車区が担当していた急行運用のうち「鷲羽」は廃止。「比叡」は大垣電車区へ移管し定期運用を終了。中京快速用モノクラス8両C編成での運転となり1982年11月15日ダイヤ改正で完全165系化されたが、1984年2月1日ダイヤ改正で廃止され京阪神地区での定期運用すべてが終了した。
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