山陽新幹線開業後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:23 UTC 版)
「こだま (列車)」の記事における「山陽新幹線開業後」の解説
1972年(昭和47年)3月15日:山陽新幹線岡山駅開業。山陽新幹線内でも「ひかり」とともに各駅に停車する列車として運行されることになった。また名古屋 - 岡山間を運行する「こだま」も設定され、新大阪駅を越える列車も登場した。またそのほかには静岡 - 岡山間の「こだま」も1往復設定された。山陽新幹線内を各駅に停車する「ひかり」が設定されたことから、同線内での「こだま」は東京発着の「ひかり」運行前・運行終了後の運行が中心となった。 東京発着の「こだま」は新大阪駅までの運行で、それ以西へは運行されていない。ただし1991年3月16日ダイヤ改正までは臨時列車(または定期列車の延長運転)として、東京 - 岡山間や名古屋 - 博多間を運転する「こだま」が設定されたことはあった。 東京 - 名古屋間をのぞき、「ひかり」との特急料金の区別を廃止。 6月29日:12両編成「こだま」の一部が16両編成に増結、1973年8月までにすべての「こだま」編成が16両化。 1973年(昭和48年)10月1日:「こだま」のビュフェを従業員の要員不足と利用客の減少を理由に休止し、売店と車内販売の営業体制に切り替え(その後1976年7月にセルフサービスでビュフェ営業が復活)。 1975年(昭和50年)3月15日:山陽新幹線博多駅延伸により、山陽新幹線内の運行区間も拡大。同時に東京 - 名古屋間の「ひかり」との特急料金の格差が廃止。 1976年(昭和51年)8月20日:「こだま」用編成(0系K編成)で運転される「こだま」の16号車自由席が禁煙になる。 1980年(昭和55年)10月1日:利用客が減少した「こだま」の運転本数が削減。自由席・指定席の配置を「ひかり」と同一方向とし、1号車が禁煙になる。 1984年(昭和59年)7月1日:禁煙車両が2両に増加。 1985年(昭和60年)3月14日:「こだま」編成が12両組成に減車。「ひかり」編成で運行される一部の「こだま」をのぞき「こだま」は12両で運行されることとなった。 6月:博多発着列車の一部で6両編成の「こだま」が運行開始。以後、山陽新幹線の各列車に拡大し、同線における「こだま」の本数増加。 1986年(昭和61年)5月:100系量産車の早期落成車を暫定的に東海道新幹線の「こだま」に充当。2階建て車両非連結の12両編成でG編成と名乗っていた。 11月1日:最高速度が220km/hに引き上げ、東京 - 新大阪間で運転する最速列車は3時間52分となる。
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