山陽本線「さくら」・「あきよし」衝突事故とは? わかりやすく解説

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山陽本線「さくら」・「あきよし」衝突事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)

日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「山陽本線「さくら」・「あきよし」衝突事故」の解説

1961年昭和36年12月29日 山陽本線西宇部(現在の宇部) - 小野田間で20系客車による東京発長崎行き下り寝台特急「さくら」に、2時間57分遅れで運転されていた山口博多行き気動車準急「あきよし」(キハ55系気動車)が追突した。 この日は大雪影響通信不能となり、列車の運転は前方目視確認しながら15キロメートル毎時 (km/h) 程度低速一定時間間隔毎に列車運行する隔時法によっていた。前方先行列車を見つけて停車中の「さくら」に「あきよし」の運転士が気づいたのは「さくら」最後尾から約80 m手前で、45 km/h速度出していたこともあり非常ブレーキ扱ったが間に合わなかった。この事故機に隔時法廃止された。 この事故では双方列車乗客がいたが、「さくら」「あきよし」で計50名の重軽傷者を出したものの、20系客車軽量構造衝撃吸収し客室部分損傷最小限にとどめ、死者は出さなかった。この点では軽量車体優位性示したといえる。しかし、当時20系予備編成確保されていない状態での運転だったため、付属編成6両が不足する事態となった。そのため、急遽10系ナハネ10形オハネ17形や旧形客車スハネ30形20系併結して、急場しのいだ(→さくら (列車)#さくら・あきよし追突事故の影響参照)。

※この「山陽本線「さくら」・「あきよし」衝突事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の解説の一部です。
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