山陽新幹線室木軌道工事区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 18:02 UTC 版)
前述のとおり、室木線は山陽新幹線の建設現場に近かったことから、その建設に大きな貢献をしている。 1972年(昭和47年)9月1日、国鉄は山陽新幹線建設に向け、以前石炭の積み込みに使われその後空き地となっていた室木駅の構内と、隣接する鞍手町の土地(工場誘致のための造成団地だったが、立地条件が悪いなどで使われていなかった)を利用して下関工事局室木軌道工事区を設置、室木駅から室木トンネルの工事現場まで専用線を敷設した。トンネル内のレール敷設工事が始まると、新日本製鐵八幡製鐵所から輸送されてくる25-50mのレールを室木軌道工事区で溶接し100-150mにして枕木を取り付け、この線路を通って現場へ輸送され、さらにそこで溶接し1km以上のロングレールにして敷設していった。 工事が進むとさらに北九州市八幡西区茶屋原にもこの工事区の出先基地が設けられ、線路敷となる箇所に2台の溶接機が設置され同様の工事が行われた。室木には鳥栖レールセンター、茶屋原には千葉と草津のレールセンターから、それぞれ技術者が来ていた。 1974年(昭和49年)9月25日、山陽新幹線のレールが博多駅までつながり、翌年の1975年(昭和50年)3月10日に山陽新幹線は博多駅まで開業した。 その後工事区は解散となり、同年5月末までに工事区の施設や延長されたレールは全て撤去され、その10年後室木線は廃止となった。 この資材運搬用の線路部分は山陽新幹線完成後も築堤として残っており、国土地理院の地図にも記載されている。
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