山陽新幹線全通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:08 UTC 版)
「あさかぜ (列車)」の記事における「山陽新幹線全通後」の解説
1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線博多駅開業によるダイヤ改正を実施。「あさかぜ」の運行体系を変更。14系客車を使用した博多発着「あさかぜ」(下り)2号・(上り)3号を廃止し、「あさかぜ」2往復体制となる。 20系客車を使用した博多発着便に連結していたグリーン車の連結と20系客車では唯一の全室個室寝台車であったナロネ20形の連結を終了。このときの編成図は下記を参照されたい。また、食堂車担当であった都ホテルが新幹線食堂車営業移行により日本食堂門司営業所に移管する。 下関発着便は「瀬戸」と共通運用化された。このときの編成図は下記を参照されたい。 1976年(昭和51年)8月:51号に24系25形客車を使用。臨時ながら東京発着の寝台特急として初の2段B寝台投入。 1977年(昭和52年)9月28日:下関運行便を、24系25形客車に置き換え。電源車および荷物車はカニ24形100番台を使用、食堂車の連結はなし。 1978年(昭和53年)2月1日:東京発便を1・3号に、着便を2・4号に変更。博多発着便も、24系25形客車に置き換える。電源車および荷物車はカニ24形100番台を使用、食堂車のみオシ24形を連結。このとき、食堂車は新たに製造を行わず、先に24系25形に置き換えられていた「富士」「はやぶさ」「出雲」の食堂車を基本編成から途中駅折り返しの付属編成に連結を変更して車両を捻出した。 1986年(昭和61年):EF30形の退役に伴い、門司駅での機関車付け替えを廃止。下関 - 博多間はEF81形400番台が通しで牽引することとなった。 11月29日:1・4号のB寝台車、オハネフ25形100番台と200番台とオハネ25形0番台とオハネ25形100番台と200番台と食堂車のオシ24形0番台とA個室寝台車のオロネ25形0番台のグレードアップを行う。オハネ24形0番台(3両)からの改造車4人用B個室寝台車オハネ24形700番台「カルテット」の連結も開始。 オロネ25形(3両)からの改造車一人用A個室寝台車オロネ25形700番台シングルDXの連結とオシ24形0番台(5両)からの改造車オシ24形700番台食堂車の連結を開始。 1987年(昭和62年)3月14日:「あさかぜ1・4号」に、(シャワー室とミニロビー室を兼ねた)オハネ25形100番台からの改造車二人用B個室寝台車スハネ25形700番台「デュエット」を連結開始。1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)にかけて向日町運転所からオハネ25形0番台の一部(オハネ25形)が品川転入して博多行き九州寝台特急「あさかぜ」1・4号と浜田行き山陽寝台特急「出雲」1・4号の一部で使用を開始した。
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