山陽新幹線全線開業以降
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「ひかり (列車)」の記事における「山陽新幹線全線開業以降」の解説
食堂車組み込み「ひかり」 16両編成編成図(1975年3月10日時点) ← 博多 東京 → 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 自 自 自 自 指 指 指 D B指 指 G G 指 指 指 指 記号凡例 D=食堂 B=ビュフェ G=グリーン車指定席 指=普通車指定席 自=普通車自由席 1975年(昭和50年)3月10日:山陽新幹線が博多駅まで開業する。山陽新幹線区間では、岡山開業時の流れを継いで日中には「こだま」を設定せず、「ひかり」にその代替を担わせることとしたため、各駅停車の「ひかり」が速達の「ひかり」に追い抜かれるという現象も発生した。国鉄はもっとも停車駅の少ないパターン(下記の「Wひかり」)に「赤いひかり」、それに次ぐもの(下記の「Aひかり」)に「青いひかり」という俗称を与え、駅掲示の時刻表などに反映させたが、定着せずに終わる。ただし、最速達パターン専用の赤文字の方向幕はその後も100系に至るまで長く使用された。「Wひかり」では号数を1 - 2桁としたが、小郡駅停車列車では+20の号数を付与した。 博多開業時の基本的な停車パターンは次の3通りであった。〔 〕は一部停車。ただし一部に例外設定の列車あり。最速達タイプ(Wひかり)… 新大阪駅 - 岡山駅 - 広島駅 - 〔小郡駅(現・新山口駅)〕 - 小倉駅 - 博多駅 一部通過タイプ(Aひかり)… 新大阪駅 - 新神戸駅 - 姫路駅 - 岡山駅 - (各駅停車) - 博多駅 「こだま」代替タイプ(Bひかり)… 山陽新幹線内各駅停車。ただし、博多開業時点では博多発着のBひかりは新大阪 - 岡山間または広島間でWひかりと同一の停車駅とされ、その補完に岡山または広島発着のBひかりを設定する形態となっていた。 この時、東京 - 名古屋間のみ残されていた「ひかり」の料金格差も廃止された。 1976年(昭和51年)7月1日:新横浜駅と静岡駅に停車する「ひかり」が初めて設定される。一部通過タイプ(Aひかり)の停車駅から新倉敷駅と三原駅を除外。 1980年(昭和55年)10月1日:新幹線初の列車削減が行われ、「こだま」が大幅に削られる中、一部の「ひかり」が小田原駅・浜松駅・豊橋駅・岐阜羽島駅にも停車するようになり、それらの列車は(俗称として一部では)「ひだま」と呼ばれるようになった。また、1号車が禁煙席となった。なお、小田原駅・浜松駅・豊橋駅・岐阜羽島駅に停車する「ひかり」は、国鉄内部ではちょっと「こだま(K)」っぽい「ひかり(H)」という意味で「HKひかり」と呼称されていた。 1985年(昭和60年)3月14日:「ひかり」が新横浜駅に毎時2本、静岡駅に毎時1本、小田原駅・熱海駅・三島駅・浜松駅・豊橋駅のうち2駅に毎時1本停車、同時に熱海駅・三島駅にも停車するようになる。 10月1日:100系登場に伴い「ひかり」に使用される。 1986年(昭和61年)11月1日:国鉄最後のダイヤ改正を実施。最高速度を220km/hに引き上げ、東京 - 新大阪間の「ひかり」を2時間56分運転とする。この時点で初めて東京 - 新大阪間を3時間を切ることとなり、同時に「ひだま」型列車も従来の「ひかり」並みの3時間10分前後での運転が中心となる。
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