165系の充当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:25 UTC 版)
碓氷峠区間はアプト式を廃止し粘着運転化されても最大66.7‰の急勾配が残されたためEF63形電気機関車を麓の横川方に2両連結し牽引・推進運転とされ、新前橋電車区所属サロ165形2両組込8両編成により1963年10月1日から以下の急行列車に充当され、キハ57系気動車で運転されていた「信州」「丸池」「志賀」「とがくし」の愛称を統合・整理した上で置換えた。 上野 - 長野:「信州」4往復「とがくし」1往復 上野 - 湯田中:「志賀」2往復 このうち「信州」は昼行、「とがくし」は夜行。また「志賀」は湯田中発着列車のみとした上で上野 - 屋代は「信州」併結。「志賀」は屋代から長野電鉄に乗入を行い河東線・長野線経由で運転された。 また同改正では準急「軽井沢」2往復を定期列車に格上げし、1往復が165系での運転となった。このうち中軽井沢発着の1往復が、1965年10月1日ダイヤ改正で長野まで延長され、全車指定席急行「信越いでゆ」1往復に格上げされた。残存した準急1往復は1966年3月5日に国有鉄道運賃法改正で急行列車に格上げされた。 長野 - 直江津間電化完成による1966年10月1日ダイヤ改正では特急「あさま」が181系で運転開始されるとともに、上野 - 直江津間「妙高」2往復にも165系が充当された。「あさま」新設に伴い全席指定の「信越いでゆ」は「信州」に統合された。不定期客車急行「高原」も165系化された。 また本ダイヤ改正に合せて同年5月より長野運転所に165系新製車を配置。改正当日付で新前橋からの転入車も含めて一部を運用移管し、新前橋と長野による共管となったが、1967年10月1日付で長野運転所に完全移管され、新前橋区「軽井沢」専用編成と共通の8両編成x9本と予備車のクモハ165形・モハ164形・クハ165形・サロ165形各1両ずつ計76両が配置された。 長野運転所165系信越急行編成 形式別配置車一覧(1967年10月1日) ← 上野 湯田中・長野・直江津 → クモハ165モハ164クハ165クモハ165モハ164サロ165サロ165クハ165形式車両番号両数小計クモハ1655 - 7・9・53 - 56・65・77 - 81・105 - 109 19 モハ1645 - 7・9・512 - 514・42・44 - 49・69 - 73 19 クハ16514 - 16・18・46 - 49・65・81 - 85・137 - 141 19 サロ16543・44・45 - 48・64・65・72 - 78・86 - 89 19 備考 車両番号太字書体:1966年長野運転所新製配置車 車両番号標準書体:1966年新前橋電車区からの転入車 車両番号斜体:1967年新前橋電車区からの転入車 上野方3両は「志賀」で長野電鉄屋代 - 湯田中への乗入運用あり クモハ165形・モハ164形・クハ165形:1968年10月1日付で新前橋電車区へ転出 サロ165形:1968年中にサロ169形へ改造施工 引き続き長野運転所配置 表以外にサロ165-5 - 7が1966年10月1日付で新前橋電車区から転入 同年12月5日付で田町電車区へ転出 信越急行では8両までの最大編成両数制限により慢性的な混雑が顕著になっており、一部列車は高崎以南で長野方に新前橋所属車3両を増結する対策が採られたが、信越本線そのものの抜本的な輸送量増強に対応できないため1967年12月にEF63形と協調運転を可能にし12両編成まで碓氷峠を通過できる165系900番台を試作し新前橋電車区に配置。横川 - 軽井沢間での試運転で良好な結果を残したことから、1968年から長野運転所の信越急行運用は169系へ置換えられることが決定。長野配置の165系はサロ169形改造種車となったサロ165形を除き全車新前橋区に再転出した。
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