ほん‐ぐう【本宮】
もと‐みや【本宮】
もとみや【本宮】
本宮
本宮
本宮
本宮
本宮
本宮
本宮
本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:48 UTC 版)
本宮は高龗神を祭神とする。本殿・拝殿は2007年に改築されたばかりである。社務所等は本宮境内にある。
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本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 07:43 UTC 版)
昭和9年本殿を再建し、末社、浅間社、大神社を合祀。昭和48年に拝殿を造営。本宮の周囲には、末社、稲荷社、小御岳社が位置する。夫婦木、御神石(お伺い石)がある。御神石は、神様に願いが叶うか否かお伺いをたてる石で、持ち上げて軽く感じるようだと願いが叶うといわれている。
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本宮(里宮)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:24 UTC 版)
本殿は形式の等しい右殿・中殿・左殿が並ぶ三殿方式で、この三殿と規模の小さい神明社が一直線に並ぶ。このうち中殿には、穂高神社だけに伝わる独特の形式の「千木(ちぎ)」と「勝男木(かつおぎ)」が乗せられている。勝男木は釣竿または船の帆柱を表していると言われ、この形式は「穂高造」といわれる。式年の遷宮祭では、『定日記』に定められた方式で社殿の造替・配置替が行われる。 境内では、拝殿の前に神楽殿が立ち、その右手に若宮社と境内社数社が鎮座している。そのほか、手洗石と手水舎、神橋が安曇野市指定文化財に、大門の欅と若宮西の欅が安曇野市指定天然記念物に指定されている。 天保14年(1843年)の『善光寺道名所図会』には穂高神社が載せられており、当時の境内の様子がうかがわれる。 拝殿 神楽殿 若宮社 若宮西の欅(安曇野市指定天然記念物) 神橋(安曇野市指定文化財) 神船「穂高丸」 手水舎(安曇野市指定文化財) 大鳥居
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本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:18 UTC 版)
本宮(ほんみや)は、赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座する。社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県指定の天然記念物に指定されている。 拝殿(重要文化財) - 拝殿の後ろに幣殿、左右に片拝殿が続く「諏訪造」と呼ばれる独自配置。 拝所 - 拝殿から斎庭を隔てて建つ。 勅願殿(祈祷所) - 元禄3年(1690年)建立。守屋山に向かって祈願するための建物と言われているが、元々は拝殿に向いていたという説もある。 四脚門(重要文化財) - 慶長13年(1608年)、徳川家康が大久保長安に命じて建立させたもの。現在は重要な祭事においてのみ開かれる。 西宝殿 - 本宮の宝殿は拝殿の外、四脚門の両脇にあり、参拝のラインと直角を向いている。 東宝殿 - 宝殿からは必ず日に3滴雫が落ちるといわれる(諏訪大社七不思議)。 硯石(すずりいし) - 諏訪七石の一つに数えられる。境内最上段に位置し、上部の凹面に水を張っていることに由来する。諏訪明神が降臨する磐座として信仰された。なお、明治以前の古絵図には境内に硯石が描かれていないため、過去において現在地と異なる場所にあったと考えられる。 上社宝物殿 - 上社に伝わる武田信玄が戦の折りに鳴らしたと言われる鉄鐸(さなぎの鈴)や八栄鈴、薙鎌等の宝物が保管・展示されている。また、諏訪大社には日本画の前田青邨、岩波昭彦、川崎日香浬や、漫画家の山本鈴美香の原画、絵本作家の平林いずみの絵馬等も奉納されている。 布橋(重要文化財) - 古くは大祝のみが渡り、布が敷かれた。 入口御門(重要文化財) - 文政12年(1829年)造営。 額堂(絵馬堂、重要文化財:附指定) - 堂内に御柱祭のメド梃子。 神馬舎(重要文化財) 贄掛けの欅 - 境内最古の樹木の1つ。 五間廊(重要文化財) - 安永2年(1773年)造営。 勅使殿(重要文化財) - 元禄3年(1690年)造営。数々の神事が行われた。 神楽殿(重要文化財) - 文政10年(1827年)造営。殿内に大太鼓。 天流水舎(重要文化財) 御沓石(おくついし) - 諏訪七石の一つ。諏訪神の馬がこの石を乗り越えたときに、蹄の跡が石面に留まったと伝わる。 天逆鉾 明神湯 - 温泉の出る手水。諏訪の温泉の源泉とされている。無色透明のアルカリ性で、温度は約60度。飲める温泉として平成23年(2011年)に認可された。 蓮池 - 池の端には蓮池院(下の坊とも)という寺が存在していた。池にある蛙形の石は諏訪七石の一つに数えられる蛙石。 南鳥居(二之鳥居) - 南東方に建つ。前には御手洗川があり、橋が架けられている。かつては本宮の正門とされた。 正面鳥居 - 平成15年(2003年)造営。この鳥居のある北参道は太平洋戦争中に開設されたものである(敗戦と同時に一時中断、後に工事再開)。 浪除鳥居(なみよけとりい、一之鳥居) - 北西方に建つ。昭和15年(1940年)造営で、諏訪大社唯一の木造両部鳥居。古くは諏訪湖がこの鳥居の前まで延びていたと言われている。 拝殿(重要文化財) 拝所 勅願殿(祈祷所) 四脚門(重要文化財) 西宝殿 東宝殿 硯石 上社宝物殿 布橋(重要文化財) 入口御門(重要文化財) 額堂(絵馬堂、重要文化財:附指定) 神馬舎(重要文化財) 贄掛けの欅 勅使殿(左)・五間廊(右、いずれも重要文化財) 雷電爲右エ門銅像矢崎虎夫作。 神楽殿(重要文化財) 天流水舎(重要文化財) 御沓石・天逆鉾 明神湯 蓮池 南鳥居(二之鳥居) 正面鳥居 浪除鳥居(一之鳥居)
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本宮(もとみや)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/20 09:48 UTC 版)
高名な演出家。「河島アンナ物語」を担当するも、相次ぐトラブルに愛想をつかす形で降板。後に桃子原案の「その後のアンナ物語」に参加した。オネエ言葉を使う。
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本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:02 UTC 版)
現在の正式名称は「加波山三枝祇神社」。当該神社内において「加波山三枝祇神社本宮」を称し、また「加波山神社本宮」或いは「加波山本宮」とも通称される。旧来の信仰圏は西麓の桜川市真壁地区周辺。加波山山頂に本殿が鎮座し、その少し南側に拝殿が、また西麓の桜川市真壁町長岡には里宮としての遙拝殿がある。近世までは別当正幢院(しょうとういん)と称した。
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本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 04:28 UTC 版)
本宮は海に向かって西面し、西から東に第三本宮(第三殿)・第二本宮(第二殿)・第一本宮(第一殿)が縦一列に建ち並び、第三本宮の南側に第四本宮(第四殿)が並ぶ。各本宮はほぼ同形同大の本殿・渡殿・幣殿からなり、主祭神4柱が各1柱祀られる。 本殿は4棟とも江戸時代後期の文化7年(1810年)の造営。「住吉造(すみよしづくり)」と称される独特の様式で、神社本殿としては神明造・大社造・大鳥造と並んで飛鳥時代まで遡る最古様式に位置づけられる。建物は桁行(本建物の場合は側面)四間、梁間は正面三間・背面二間で(または正面一間・背面二間)、切妻造、妻入とし、屋根は檜皮葺で、内部は前後2室とする。柱は丸柱で礎石上に建てられ、正面中央の柱は省略して板扉を設ける。屋根は反りがなく直線的で、屋根上には千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が乗る。鰹木の数は4棟とも5本であるが、千木は第一本宮から第三本宮は外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)、第四本宮は内削ぎ(水平に削る)。内部を2室とする様は奈良時代の橘夫人宅(法隆寺東院伝法堂)・長屋王邸跡でも確認されており(ただし建物自体は平入)、上代の宮殿の間取りから発想された様式とされる。柱などの軸部と垂木・破風板は朱塗り、壁は白(胡粉)塗りである。また社殿周囲に廻縁を巡らさない点も古色とされる。本殿周囲には瑞垣(本殿下半を隙間なく隠す垣根)・玉垣(瑞垣外側の角柱の垣根)が二重に巡らされるが、これらも古色を残す。本殿4棟は国宝に指定されている。 各本殿の前面には渡殿(わたりでん)・幣殿(へいでん)が建てられており、いずれも本殿と同様に江戸時代後期の文化7年(1810年)の造営である。第一本宮の幣殿は中世には存在したとされる一方、第二・第三・第四本宮の幣殿は慶長造替以後の設置とされる。第一本宮の幣殿は桁行五間・梁間二間、切妻造で、正面千鳥破風及び軒唐破風付、屋根は檜皮葺で甍棟を積む。割拝殿形式で、中央は拭板敷馬道、左右は二間四方の部屋とする。第二・第三・第四本宮の幣殿は桁行三間であるほかは第一本宮と同様の形式。桁行三間のため左右の部屋は狭くなる。本殿・幣殿をつなぐ渡殿は「間ノ廊下」とも称され、4本宮とも同じ形式で、桁行二間・梁間一間の両下造で、屋根は檜皮葺。幣殿の馬道を伸ばして廊下とし、中間に朱塗り角柱の鳥居を付す。渡殿・幣殿は合わせて1棟として計4棟とも国の重要文化財に指定されている。 なお他の住吉造の本殿としては、境内摂社の大海神社本殿(宝永5年(1708年)造営、重要文化財)、博多の住吉神社本殿(元和9年(1623年)造営、重要文化財)が知られる。また古代の建築様式のうちでは、神明造を穀倉型神殿、大社造を宮殿型神殿、住吉造を祭場型神殿と見なす説がある。住吉造には大嘗宮正殿との関連も見られており、両者をヤマト大王の住居の名残とする説や、大嘗宮正殿を参考にして住吉造が創出されたとする説もある。 第二本宮社殿中央の本殿前面に渡殿・幣殿が接続する。 第二本宮幣殿桁行は三間。 第三本宮本殿(手前:千木は外削ぎ)・第四本宮本殿(奥:千木は内削ぎ) 第三本宮幣殿(奥)・第四本宮幣殿(手前) 本殿平面図
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本宮(もとみや)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 00:59 UTC 版)
「マスカレード・ホテル」の記事における「本宮(もとみや)」の解説
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本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 14:40 UTC 版)
本殿は鎌倉時代後期の造営。桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺。神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形になっており、その独特な構造から「御上造」と呼ばれることもある。裏側には扉・庇があるが、三上山の遥拝所であった名残とする説があるほか、神宝庫・祭器庫としての建築とする説がある。国宝に指定されている。 拝殿は桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺で本殿と似た構造である。かつての本殿を移築・改造したものと伝えられている。国の重要文化財に指定されている。 楼門は鎌倉時代後期の造営。三間一戸、入母屋造、檜皮葺。国の重要文化財に指定されている。 境内前には「悠紀斎田」と呼ばれる斎田が広がっている。昭和天皇即位時、大嘗祭に供える献上米の栽培地として指定された。以来毎年5月には御田植祭として、昔ながらの服装で田植えが行われる。 境内本殿(中央)の左手に若宮神社、右手に三宮神社と天神宮神社。 本殿裏面 悠紀斎田鳥居奥に記念碑。
※この「本宮」の解説は、「御上神社」の解説の一部です。
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本宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:27 UTC 版)
朝から神輿渡御が行われ、神社を出立した神輿は美浜町にある御旅所を経て、市内を巡行する。 神輿一行は正午には神社に帰着し、午後3時より各組の宮入が行われる。この日は宵宮と異なり、獅子舞や踊りは境内にて奉納を行うが、四つ太鼓は境内に入らず神社前の広場にて担がれ続ける。 宮入は各組1時間の持ち時間であり、最終組が終わるのは日付が変わる頃となる。宮入では、境内にて奉納を終えた連中を広場に出すことにより宮入が終了してしまうため、祭りを続けたい四つ太鼓の担ぎ手達がそれを防ごうと進路を妨害する。そのため宮入時間がしばしば伸び、終了が午前4時という年もあったが、近年は各参加者の自覚のもと、持ち時間の厳守に努めている。
※この「本宮」の解説は、「御坊祭」の解説の一部です。
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