旧館時代とは? わかりやすく解説

旧館時代(1976年-1985年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 00:47 UTC 版)

弥富市立図書館」の記事における「旧館時代(1976年-1985年)」の解説

明治時代海西郡(後の海部郡彌富村文鳥と金魚の養殖特産とするであり、1903年明治36年)には海西郡初め町制施行し彌富町となった太平洋戦争後にも弥富金魚養殖栄え、また名古屋市ベッドタウンとして宅地開発が行われた。1955年昭和30年)には彌富町から弥富町改称している。1971年昭和46年5月には旧弥富町役場跡地弥富町中央公民館開館しており、中央公民館には図書室があった。 電源立地促進対策交付事業として図書館整備計画され1975年昭和50年6月には弥富町役場とする施設着工した1976年昭和51年5月1日弥富町役場2階一角弥富町図書館設置された。開館した1976年度の蔵書数11,025冊。延床面積は360m2であり、その内訳は開架書架が154m2、一般閲覧コーナーが40m2、児童コーナーが40m2、ブラウジングコーナーが24m2などだった。開館日水曜土曜・日曜日の週3日間(に加えて祝日)であり、休館日は月曜火曜・木曜金曜第3日曜日年末年始だった。開館時間は9時から16時30分だった。弥富町在住在勤者に対して、2冊まで2週間館外貸出行った1978年昭和53年時点では公民館長を兼任する図書館長、司書資格有する係長女子職員2人の計4人が運営にあたっていた。1978年時点貸出冊数対す比率を見ると、高校生以上40%、小中学生60%と、子どもの利用多かった1978年8月31日時点蔵書数18,391冊だったが、年間に4,000冊から6,000冊を購入したことで、1980年度には蔵書数30,330冊となり、1983年度には蔵書数45,334となった1976年度の貸出冊数35,055冊だったが、1983年度には2倍の70,366となった弥富町北部商工業中心とする人口の多い地域であり、南部農業中心とする人口のまばらな地域である。弥富町町域南北に長iく、図書館町域北部にあるため、利用者北部在住者がほとんどだった。南部住民に対して公平なサービス提供するという観点から、開館翌年1977年昭和52年2月には移動図書館サービス開始した1977年開始当初は、ポプラ団地白鳥台団地・楽荘団地弥生保育所大藤団地鍋田支所藤木海運寮・二葉保育所の8ステーションを、1か月1回頻度巡回した移動図書館一般成人(主に主婦)を重視する方針をとっており、1978年利用者比率高校生以上63%、小中学生37%と、図書館本館とは逆の結果になっている

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旧館時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:11 UTC 版)

京都みなみ会館」の記事における「旧館時代」の解説

1950年代のみなみ館は木造2階建ての建物であり、500席の1スクリーン有していた。木造館時代のみなみ館では松竹日活新東宝各社邦画上映していた。 1963年昭和38年12月には鉄筋コンクリート造3階建てビル建て替え邦画封切館として営業再開した映画黄金期1960年昭和35年時点では京都市70館の映画館があり、うち南区には、八千代座映画劇場東九条札の辻町)、朝日館(東九条南岩本町)、富士映画劇場西九条小寺町7)、南洋館西九条開ヶ町3)、みなみ館(西九条永城34)と、みなみ館を含めて5館の映画館があった。昭和40年代から昭和50年代には映画斜陽産業化し、みなみ館では成人映画上映した1980年昭和55年時点京都市映画館27館にまで減っており、南区映画館はみなみ館のみとなっていた。 1988年昭和63年)には金属リサイクル業を営む巖本金属株会社がみなみ館を買収し京都みなみ会館改称した。これにともなって再び一般映画上映するようになった1993年平成5年)には京都駅北側ルネサンスホール閉館しルネサンスホール上映拠点としていた映画上映会社RCS京都みなみ会館プロデュース手がけるようになったRCSロードショー上映リバイバル上映以外に、「ポップコーンナイト」という覆面上映会などを行い、その独特な番組編成企画話題となった。特に、ジャン=リュック・ゴダールアッバス・キアロスタミ黒沢清相米慎二など国内外著名監督焦点当てたオールナイト特集上映定評があった。単一スクリーン映画館ありながら年間300本を超える作品上映した年もあった。映画監督三島有紀子は、京都市右京区東映京都撮影所助監督務めていた頃にみなみ会館に通っていたという。かつて建物1階にはパチンコ店があり、パチンコ店店員の声が映画館まで響いてきたこともあったという。 2010年平成22年3月14日RCSとの業務提携終了すると、4月1日からはみなみ会館が独自に番組編成を行う映画館として上映再開した番組編成RCS時代踏襲したものとなったが、配給会社直接交渉する必要が生じたことで上映作品集めるのに苦労し観客数大幅に減少したRCS時代人気のあったオールナイト上映が行なくなり、後に支配人となる吉田由利香はこの時期を「暗黒3年間」と表現している。2013年平成25年)には京都造形芸術大学映像芸術コース出身吉田由利香24歳若さ支配人就任2014年平成26年)にインド映画特集の1本として『きっと、うまくいく』を上映した際には、階段の下まで観客行列伸びるほどの人気得た2016年平成28年1月デヴィッド・ボウイ死去すると、みなみ会館はボウイの初主演作品地球に落ちてきた男の上取得し、他館に先駆けて同年8月13日から上映した1963年昭和38年竣工建物老朽化していたが、多額の費用がかかる耐震工事断念した2018年内の営業再開目指し移転候補地調査中として、2018年平成30年3月31日一時閉館した3月中旬からは「さよなら特別興行」を行いミュージシャン曽我部恵一向井秀徳出演するMatch-up Theater」、スタッフ手作業椅子揺り動かしたりする4DX風上映「カナザワ映画祭 2018『ギミック・シアター』in 京都みなみ会館」、「京都みなみ会館 さよなら爆音上映 3DAYS produced by boid」などが行われた。最後6日間一般的な特集上映行い、『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』、『青い春』など38本を上映した

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旧館時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 21:15 UTC 版)

揖斐川町立いびがわ図書館」の記事における「旧館時代」の解説

1980年昭和55年4月10日上南方15番地1に揖斐川町図書館新館開館した鉄筋コンクリート造2階建であり、延床面積は589m2だった。1980年度昭和55年度)末の蔵書数25,995冊であり、1980年度昭和55年度)の貸出冊数40,020冊だった。 1995年平成7年)までの貸出方式ブラウン方式採用していたが、1995年平成7年7月には図書館システムコンピュータ導入し、またタッチパネル式の利用者検索端末設けられた。岐阜県町村立図書館としては早い開館だったため、ビデオやCD視聴覚コーナーがなく、設置要望強かったこのため1995年平成7年11月には増築工事着手し1996年平成8年2月1日には図書館休館として、隣接する揖斐川町中央公民館1階第2会議室臨時図書館設けられた。8月1日には増改築経てリニューアルオープンし、延床面積が820m2となった工事費用は1億4000万円2002年度平成14年度)末の蔵書数76,644冊、2002年度平成14年度)の貸出冊数64,659冊だった。講演会コンサート人形劇おはなし夕べなどを開催し文学講座短歌会・読サークルおはなしの会などの自主活動グループがあった。揖斐川図書館は子どもの読書推進活動力を入れており、絨毯敷かれ1階絵本コーナーには約7,000冊の絵本があった。2階郷土資料室には約5000冊の資料があった。 2005年平成17年1月31日には(旧)揖斐川町谷汲村久瀬村春日村坂内村藤橋村の1町5合併して(新)揖斐川町発足し揖斐川町図書館揖斐川町揖斐川図書館改称した2008年平成20年3月上旬には、町内建設会社社長から寄付され300万円元に福祉教育交通安全主題とする高田直希文庫設置された。

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旧館時代(1917年 - 1970年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:10 UTC 版)

刈谷市図書館」の記事における「旧館時代(1917年 - 1970年)」の解説

大正時代には全国図書館設置動きがみられ、その多く大正天皇即位の礼御大典)の記念事業として計画されているが、刈谷図書館御大典記念して建設され図書館ではない。1916年大正5年時点愛知県には公立24館、私立18館の計42館の図書館があった。 1914年大正3年)には、刈谷町議会議員宍戸俊治医師藤井清七が、刈谷藩侍医村上忠順蔵書25,000冊を購入し書庫閲覧室とともに碧海郡刈谷町寄付した。この蔵書碧海郡高岡町(現・豊田市)の村上忠浄の文庫所蔵されいたものだった。宍戸藤井動き並行して同年には亀城尋常高等小学校高須鉈吉も、刈谷町教育会事業として図書館建設すべしと主張している。 1915年大正4年11月23日には愛知県から図書館の設置認可された。1916年大正5年6月頃から1917年大正6年3月末までの1年9か月間は、後に書誌学者となる森銑三図書整理行っている。1917年7月3日には刈谷町刈谷図書館の開館が行われ、松井茂愛知県知事碧海郡長、警察署長などの来賓得た1915年度愛知県において、蔵書数1万冊を超える図書館刈谷図書館含めて4館のみであり、刈谷図書館県内有数規模を持つ図書館だった。建物刈谷公会堂隣接しており、建設費は1,378円だった。閲覧室12坪、事務室は6坪、2階書庫20坪である。初代館長には高須鉈吉が就任している。開館時点の蔵書数25,805冊であり、館長1人司書2人職務にあたっていた。 1917年開館時からは長らく日曜日のみ開館していたが、太平洋戦争後の1946年昭和21年8月から1950年までは祝日を除く毎日開館となった1950年昭和25年4月には刈谷町市制施行して刈谷市となったため、刈谷町刈谷図書館から刈谷市刈谷図書館改称した1955年昭和30年5月には閲覧室増設し1956年4月には初め専任館長迎えている。1952年昭和27年)には愛知県中央図書館貸出文庫によって巡回文庫開始されたが、1956年昭和31年)には休止している。このため1959年昭和34年)には本館蔵書による巡回文庫開始した1961年昭和36年9月26日には公共図書館学校図書館公民館図書室事業所附属図書室などの活動進展を図るために刈谷図書館協会設立されている。1965年昭和40年)には創立50周年記念式典挙行した。1967年昭和42年)には刈谷市名誉市民大野一造寄付により、児童室に大野文庫児童文庫)が開設された。

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