木造館時代(1939-1967)
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「津島市立図書館」の記事における「木造館時代(1939-1967)」の解説
1939年(昭和14年)には津島尋常第二小学校の敷地内に図書館専用建物が建設され、10月10日に旧校舎内から移転した。この建物は49坪(162 m2)であり、書庫、男女別の閲覧室、応接室、事務室、小吏室などがあった。1940年(昭和15年)には江上が大垣市立図書館を視察、同年には館外貸出に対する保証金を緩和して館外貸出を奨励したとされる。 1941年(昭和16年)には津島町出身の詩人ヨネ・ノグチを顕彰し、ノグチの著作物や関連図書を収集した野口文庫を設置した。1942年(昭和17年)3月末日には『津島町図書館 図書分類目録』を完成させた。10月20日に愛知県図書館協会が巡回用貸出文庫の制度を施行すると、津島町立図書館はすぐさまこの制度を活用している。 太平洋戦争時には閉館を余儀なくされる公共図書館もあったが、津島町は戦火に見舞われることもなく、閲覧者は減少したものの活動が続けられた。戦時中には特高警察による検閲や没収も経験している。1944年(昭和19年)8月以降には出征者が増加し、児童・学生の勤労奉仕が活発となったため、男性利用者数が激減し、図書館の歴史上初めて女性利用者が男性を上回った。1945年(昭和20年)3月20日には南門前町から天王通り5丁目の職業安定所跡地に移転した。 1947年(昭和22年)3月1日には津島町が市制施行して津島市となり、津島市立図書館に改称した。同年11月16日には南門前町の旧館に再移転している。1948年(昭和23年)には市制施行を記念して『津島市図書館 図書目録』を刊行したが、戦後しばらくは利用者数が極めて少なかった。1949年(昭和24年)頃には図書館内にはCIE図書室が設置されている。 Clip 図書館の玄関前から天王川公園の中ノ島に移設されたヨネ・ノグチ像 1951年(昭和26年)4月1日には津島市立図書館から津島市立津島図書館に改称。1950年(昭和25年)10月27日には図書館の前庭にヨネ・ノグチの銅像が設置されたが、図書館利用者の少なさが原因で市民の目に触れなかったことから、2年後の1952年(昭和27年)8月には天王川公園の中ノ島に移設された。 1957年(昭和32年)には津島町出身の生化学者である杉浦兼松から1万円の寄付を受けて杉浦兼松文庫を設置、以後も杉浦から寄付を受ける度に文庫を拡大させた。1958年(昭和33年)には本格的に館外貸出サービスを開始し、この年からは館外貸出冊数を独立した統計としている。1959年(昭和34年)9月に東海地方を襲った伊勢湾台風では浸水被害こそなかったものの、屋根の破損、天井の崩落、土壁の剥落などの被害(被害額17万円)が生じた。屋根の損傷による雨漏りが原因で、約17,000冊の蔵書のうち約300冊が水に濡れて損害を受け、さらに貸出中の300冊も水濡れ被害を受けるか流出した。津島市内の他の公共施設と比べて復旧が遅れ、1960年(昭和35年)2月11日まで長期休館を余儀なくされた。 1961年(昭和36年)6月24日-27日には梅雨前線豪雨(三六災害)が愛知県西部を襲い、日光川・領内川・目比川など近隣の河川が軒並み氾濫、尾西市・祖父江町・津島市などは広範囲に渡って冠水した。図書館の玄関前の水位も約60cmに達したが、図書館の建物入口にはこれを上回る高さの階段があったため、床上浸水は免れている。7月2日には水が引いたものの、後片付けなどのために7月13日まで休館した。1962年(昭和37年)2月には津島町出身でアメリカ・ロサンゼルス在住の武藤竹代から洋書184冊の寄贈を受け、武藤文庫を設置した。1964年(昭和39年)4月1日には津島市立津島図書館から津島市市立図書館に改称。9月には図書館専用の電話回線が開設された。同年には津島市青少年問題協議会が「悪書」13トンを回収して古紙再生業者に売却し、図書館はその売上金で購入された300冊の寄贈を受けた。
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