旧館山藩領の解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/09 19:31 UTC 版)
館山藩の廃藩後、館山城の受け取りの任にあたった佐貫藩主内藤政長がそのまま安房一国の管理に当たった。元和4年(1618年)に幕府代官の手によって再検地が行われた安房国は、以後天領、旗本領、小藩、他国の藩の飛び地領に細分化され、安房一国を治めていた旧館山藩の規模を継承する藩は現れなかった。 旧館山藩領には、元和6年(1620年)に東条藩(1万石)、元和8年(1622年)に安房勝山藩(3万石)、寛永15年(1638年)に北条藩(1万石)と安房三枝藩(1万石)が成立している。ただし、安房勝山藩・北条藩を除いていずれも短命に終わっている。最大の安房勝山藩も藩主の相次ぐ早世によって寛永6年(1629年)に除封されているが、寛文8年(1668年)より酒井家を藩主として再び立藩され、1万2000石の藩として、江戸時代初期に成立した藩では唯一幕末まで存続する。
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