映画黄金期
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「飯田センゲキシネマズ」の記事における「映画黄金期」の解説
1947年(昭和22年)4月20日の飯田大火では遊楽館も含めて飯田市街地の大半が焼失した。1949年(昭和24年)7月12日には遊楽館の流れをくむ劇場として飯田劇場(のちの飯田会館)が開館し、1951年(昭和26年)3月5日には遊楽館の跡地に中央劇場が開館した。中央劇場には大衆食堂「中劇食堂」が併設されており、中劇食堂の入口や内部には映画作品や俳優のポスターが飾られていた。 1948年(昭和23年)12月12日には常盤劇場が再建され、1949年(昭和24年)10月には主税町に洋画専門館の銀星会館が開館していた。1958年(昭和33年)9月3日には飯田松竹劇場(後の飯田日活劇場)も開館しており、戦後から昭和30年代にかけて、映画は飯田市民の庶民的な娯楽として人気を集めた。1958年には映画月刊誌『飯田 映画ノート』が創刊されており、飯田市内の映画館の上映作品や詳しい解説などを掲載した。 伊那地方の映画館(1960年)上伊那地域 伊那旭座(伊那市) 飯伊地域 常盤劇場(飯田市) 伊那電気館(伊那市) 銀星会館(飯田市) 伊那中央劇場(伊那市) 飯田東映中劇(飯田市) アカホ映画劇場(駒ヶ根市) 飯田松竹劇場(飯田市) 赤穂キネマ(駒ヶ根市) 松川文化会館(松川町) 赤穂銀映(駒ヶ根市) 阿島文化会館(喬木村) 辰野劇場(辰野町) 満島劇場(平岡町) 松島映画劇場(中箕輪町) 森盛会館(根羽村) 高遠文化会館(高遠町) 1953年(昭和28年)版の『全国映画館総覧』によると、同時期の長野県には80館の映画館があり、飯田市には中央劇場、常盤劇場、銀星会館の3館があった。同時期の上伊那郡には5館の映画館があり、伊那地方全体では8館があった。日本の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)版の『全国映画館録』によると、同時期の伊那地方には17館の映画館があり、飯田市には飯田東映中劇、常盤劇場、銀星会館、飯田松竹劇場の4館があった。 1980年(昭和55年)の『映画館名簿』によると、同時期の長野県には51館の映画館があり、飯田市には飯田中央劇場・飯田名画座、飯田常盤劇場1号館・飯田常盤劇場2号館の2施設4館があった。中劇総合ビルの1階には270席の飯田中央劇場が、2階には144席の飯田名画座があり、飯田中央劇場では松竹・東映・日活作品を、飯田名画座では洋画を上映していた。
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映画黄金期
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伊那地方の映画館(1960年)上伊那地域 伊那旭座(伊那市) 飯伊地域 常盤劇場(飯田市) 伊那電気館(伊那市) 銀星会館(飯田市) 伊那中央劇場(伊那市) 飯田東映中劇(飯田市) アカホ映画劇場(駒ヶ根市) 飯田松竹劇場(飯田市) 赤穂キネマ(駒ヶ根市) 松川文化会館(松川町) 赤穂銀映(駒ヶ根市) 阿島文化会館(喬木村) 辰野劇場(辰野町) 満島劇場(平岡町) 松島映画劇場(中箕輪町) 森盛会館(根羽村) 高遠文化会館(高遠町) 1947年(昭和22年)4月20日の飯田大火では大松座や遊楽館なども含めて飯田市街地の大半が焼失した。1948年(昭和23年)12月12日には大松座跡地から道路を隔てた現在地に映画館の常盤劇場として開館。木造2階建の常盤劇場の座席数は1,000席を超え、長野県で五指に入る大劇場だった。1949年(昭和24年)10月には主税町3丁目に洋画専門館の銀星会館が開館している。1950年(昭和25年)頃からは映画専門館となり、それまでの大映と新東宝に日活作品も加わった。映写室には3人の映写技師が常駐しており、自転車置き場には自転車番も雇っていたという。 1951年(昭和26年)3月5日には中央劇場も、1958年(昭和33年)9月3日には飯田松竹劇場(後の飯田日活劇場)も開館しており、戦後から昭和30年代にかけて、映画は飯田市民の庶民的な娯楽として人気を集めた。1958年には映画月刊誌『飯田 映画ノート』が創刊されており、飯田市内の映画館の上映作品や詳しい解説などを掲載した。日本の映画館数がピークに達した1960年(昭和35年)版の『全国映画館録』によると、同時期の伊那地方には17館の映画館があり、飯田市には常盤劇場、飯田東映中劇、銀星会館、飯田松竹劇場の4館があった。映画黄金期の常盤劇場の経営者は、アカホ映画劇場(駒ヶ根市)、赤穂キネマ(駒ヶ根市)、赤穂銀映(駒ヶ根市)、松川文化会館(松川町)、阿島文化会館(喬木村)も経営していた。 1970年(昭和45年)には250席の飯田常盤劇場1号館と150席の飯田トキワ劇場2号館に改造し、座席数の多い単独館から2スクリーン化を果たした。1980年(昭和55年)の『映画館名簿』によると、同時期の長野県には51館の映画館があり、飯田市には飯田常盤劇場1号館・飯田常盤劇場2号館、飯田中央劇場・飯田名画座の2施設4館があった。180席の1号館では東宝作品を上映し、150席の2号館では洋画を上映していた。1987年(昭和62年)には改築を行って現在の建物となった。当初は165席の1号館のみを使用しており、他の部分はテナントとして貸していたが、やがて2館体制となった。
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