映画黄金期とは? わかりやすく解説

映画黄金期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 20:59 UTC 版)

飯田センゲキシネマズ」の記事における「映画黄金期」の解説

1947年昭和22年4月20日飯田大火では遊楽館も含めて飯田市街地の大半焼失した1949年昭和24年7月12日には遊楽館の流れをくむ劇場として飯田劇場(のちの飯田会館)が開館し1951年昭和26年3月5日には遊楽館の跡地中央劇場開館した中央劇場には大衆食堂「中劇食堂」が併設されており、中劇食堂入口内部には映画作品俳優ポスター飾られていた。 1948年昭和23年12月12日には常盤劇場再建され1949年昭和24年10月には主税町洋画専門館の銀星会館が開館していた。1958年昭和33年9月3日には飯田松竹劇場(後の飯田日活劇場)も開館しており、戦後から昭和30年代にかけて、映画飯田市民の庶民的な娯楽として人気集めた1958年には映画月刊誌飯田 映画ノート』が創刊されており、飯田市内の映画館の上作品や詳しい解説など掲載した伊那地方映画館1960年上伊那地域 伊那旭座伊那市飯伊地域 常盤劇場飯田市伊那電気館伊那市銀星会館(飯田市伊那中央劇場伊那市飯田東映中劇(飯田市) アカホ映画劇場駒ヶ根市飯田松竹劇場飯田市赤穂キネマ駒ヶ根市松川文化会館松川町赤穂銀映駒ヶ根市阿島文化会館喬木村辰野劇場辰野町満島劇場平岡町松島映画劇場中箕輪町盛会館(根羽村高遠文化会館高遠町1953年昭和28年)版の『全国映画館総覧』によると、同時期の長野県には80館の映画館があり、飯田市には中央劇場常盤劇場銀星会館の3館があった。同時の上伊那郡には5館の映画館があり、伊那地方全体では8館があった。日本の映画館数がピーク達した1960年昭和35年)版の『全国映画館録』によると、同時期の伊那地方には17館の映画館があり、飯田市には飯田東映中劇、常盤劇場銀星会館、飯田松竹劇場の4館があった。 1980年昭和55年)の『映画館名簿』によると、同時期の長野県には51館の映画館があり、飯田市には飯田中央劇場飯田名画座飯田常盤劇場1号館飯田常盤劇場2号館の2施設4館があった。中劇総合ビル1階には270席の飯田中央劇場が、2階には144席の飯田名画座があり、飯田中央劇場では松竹東映日活作品を、飯田名画座では洋画上映していた。

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映画黄金期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 01:44 UTC 版)

飯田トキワ劇場」の記事における「映画黄金期」の解説

伊那地方映画館1960年上伊那地域 伊那旭座伊那市飯伊地域 常盤劇場飯田市伊那電気館伊那市銀星会館(飯田市伊那中央劇場伊那市飯田東映中劇(飯田市) アカホ映画劇場駒ヶ根市飯田松竹劇場飯田市赤穂キネマ駒ヶ根市松川文化会館松川町赤穂銀映駒ヶ根市阿島文化会館喬木村辰野劇場辰野町満島劇場平岡町松島映画劇場中箕輪町盛会館(根羽村高遠文化会館高遠町1947年昭和22年4月20日飯田大火では大松座や遊楽館なども含めて飯田市街地の大半焼失した1948年昭和23年12月12日には大松跡地から道路隔てた現在地映画館常盤劇場として開館木造2階建の常盤劇場座席数は1,000席を超え長野県五指に入る大劇場だった。1949年昭和24年10月には主税町3丁目に洋画専門館の銀星会館が開館している。1950年昭和25年)頃からは映画専門館となり、それまで大映新東宝日活作品加わった映写室には3人の映写技師常駐しており、自転車置き場には自転車番も雇っていたという。 1951年昭和26年3月5日には中央劇場も、1958年昭和33年9月3日には飯田松竹劇場(後の飯田日活劇場)も開館しており、戦後から昭和30年代にかけて、映画飯田市民の庶民的な娯楽として人気集めた1958年には映画月刊誌飯田 映画ノート』が創刊されており、飯田市内の映画館の上作品や詳しい解説など掲載した日本の映画館数がピーク達した1960年昭和35年)版の『全国映画館録』によると、同時期の伊那地方には17館の映画館があり、飯田市には常盤劇場飯田東映中劇、銀星会館、飯田松竹劇場の4館があった。映画黄金期の常盤劇場経営者は、アカホ映画劇場駒ヶ根市)、赤穂キネマ駒ヶ根市)、赤穂銀映駒ヶ根市)、松川文化会館松川町)、阿島文化会館喬木村)も経営していた。 1970年昭和45年)には250席の飯田常盤劇場1号館150席の飯田トキワ劇場2号館改造し座席数の多い単独館から2スクリーン化を果たした1980年昭和55年)の『映画館名簿』によると、同時期の長野県には51館の映画館があり、飯田市には飯田常盤劇場1号館飯田常盤劇場2号館飯田中央劇場飯田名画座の2施設4館があった。180席の1号館では東宝作品上映し150席の2号館では洋画上映していた。1987年昭和62年)には改築行って現在の建物となった当初165席の1号館のみを使用しており、他の部分テナントとして貸していたが、やがて2館体制となった

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