キネマ多治見館とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > キネマ多治見館の意味・解説 

キネマ多治見館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 08:55 UTC 版)

多治見シネマ」の記事における「キネマ多治見館」の解説

1893年明治26年)には岐阜県土岐郡多治見町錦町3丁目の新羅神社北側西ヶ原遊郭移転し、この地域遊郭中心ににぎわい見せた1925年大正14年1月5日多治見町初の常設映画館として新羅神社南側にキネマ多治見館(多治見館)が開館した同年3月には愛知県名古屋市などでも人気があった『母九巻・大毎ニュース・バクダットの盗賊』などが上映されている。8月日活の『大地微笑む』が上映された際には、女優飯田蝶子栗島すみ子いずれも大地微笑む』の出演者ではない)が舞台上で挨拶行い超満員観客から喝采浴びた1931年昭和6年11月には田中絹代主演の『マダムと女房』が上映されたが、この作品日本初本格的なトーキー映画である。多治見館は愛知県瀬戸市映画館連携して経営されたため、(フィルム輸送が間に合わずに)定刻から一時間上映開始が遅れることもあった。 太平洋戦争戦時色濃くなった1944年昭和19年)には豊岡劇場とともに多治見館も閉館しており、多治見営業続け映画館元座のみとなった戦後1947年昭和22年)にはハンフリー・ボガート主演『カサブランカ』1942年アメリカ)、マルク・アレグレ(英語版監督作乙女の湖(英語版)』(1934年フランス)、ヴィクトル・ユーゴー原作の『ノートルダムの傴僂男』(1939年アメリカ)、セシル・B・デミル監督作大平原』(1939年アメリカ)などの洋画相次いで上映された。同年邦画では、『路傍の石』(1938年日活)、成瀬巳喜男作『鶴八鶴次郎』(1938年東宝)、長谷川一夫主演の『藤十郎の恋』(1938年東宝)などが上映された。 1960年多治見市映画館(4館)多治見館(白銀町元座(新町多治見文化劇場本町多治見東映劇場栄町昭和20年代末には黒澤明監督作七人の侍』(東宝)、美空ひばり市川雷蔵共演した歌ごよみ お夏清十郎』(新東宝)、ウィリアム・ワイラー監督作『ローマの休日』ヴィクター・フレミング監督作『風と共に去りぬ』などが上映され、『七人の侍』などはとても人気があった。多治見市立池田小学校クラス全員小学校から多治見館まで歩いてから映画観る鑑賞会行っていた。 映画黄金期多治見には4館の映画館があり、キネマ多治見館のほかは1882年明治15年)に芝居小屋として開館した元座(松竹東映)、1947年昭和22年)に豊岡劇場から改称した文化劇場映画実演)、1956年昭和31年1月26日開館した多治見東映東映)だった。映画黄金期昭和30年代には東濃地区だけで約20館の映画館存在した

※この「キネマ多治見館」の解説は、「多治見シネマ」の解説の一部です。
「キネマ多治見館」を含む「多治見シネマ」の記事については、「多治見シネマ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「キネマ多治見館」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「キネマ多治見館」の関連用語

キネマ多治見館のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



キネマ多治見館のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの多治見シネマ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS