『カサブランカ』(1942年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 14:00 UTC 版)
「イングリッド・バーグマン」の記事における「『カサブランカ』(1942年)」の解説
第二次世界大戦が勃発したときにバーグマンは、ドイツで『4人の仲間 (Die vier Gesellen)』に出演したことを「間違った選択だったと自責の念にかられ」るようになった。バーグマンの伝記作家の一人シャーロット・チャンドラーは2007年の著書で、バーグマンはナチスを「一過性の異常な状態で、まじめに受け止めるにはあまりに馬鹿げている」と考えており、ドイツが戦争を始めることはありえず「ドイツの良識派が戦争を容認するはずがない」と信じていたとしている。さらにチャンドラーは「イングリッドは終戦時にドイツにいたことについて生涯にわたって罪悪感を感じており、ナチスの絶滅収容所を誰かと訪れることに恐怖感を抱き続けていた」と書いている:293–295。 スウェーデンで最後の映画に出演した後、1941年にバーグマンは『四人の息子』、『天国の怒り』、『ジェキル博士とハイド氏』の3本のアメリカ映画に出演し、どの作品も大きな成功を収めた。翌1942年には、現在でもバーグマンの代表作と目されている『カサブランカ』でハンフリー・ボガートと共演した。『カサブランカ』の舞台はナチスの影響力が及ばない中立地帯であるフランス領モロッコのカサブランカで、バーグマンはポール・ヘンリードが演じた反ナチス地下組織の指導者ヴィクター・ラズローの妻である美しいノルウェー人女性イルザ役を演じた。世評とは裏腹にバーグマン自身は『カサブランカ』に必ずしも満足しておらず「私は多くの映画に出演し、なかには『カサブランカ』よりも重要な役も演じてきたつもりです。しかし人々が話題にしたがるのはボガートと共演した映画のことばかりなのです と語ったこともある。しかしながら後にバーグマンは「すでに『カサブランカ』は独り歩きしている映画なのでしょう。人々を惹き付ける不思議な魅力を持つ作品で、映画に求められていた想いを十分に満足させることができる作品といえます」とも語っている:88。ただし晩年には、「こんなに良い映画だったんですね」と言っている。
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