映画館興行主となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:25 UTC 版)
弁士で稼いだ金で目黒の目黒キネマを買収したことを皮切りに下番線の三流映画館を次々に買収して財を成す。毎朝、チェーン館の支配人たちが前日の売上を麻袋に入れ、大蔵邸に集合するとソロバン片手に夫人がピーナッツ袋一つの売上まで厳しくチェックしたという。麻布の松竹の下番線館を買収したのを機に、大谷竹次郎の知遇を得る。弁士時代にハリウッド映画に通じた大蔵は、当初は高級なハリウッド映画を上映したが、これが全くの不評で、投資額の半分に及ぶ大赤字を出す。 この経験から大蔵は「郷に入れば郷に従え」と反省し、高級な洋画から庶民的な邦画に上映作品を変えたところ、大成功。こうして東都随一の映画興行師となった1936年、経営難に喘ぐ日活が常務に迎える。大阪の森田佐吉と共に、東宝・松竹の両社から狙われた日活の自主再建のため中立的な存在として経営に当たったものだが、実は既述の通り大谷と通じていたため利益相反行為で執行停止処分を受け、辞任を余儀なくされた(なお、後任の堀久作は小林一三と通じていた。)。戦後、「日活常務」のため、公職追放となる。
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