旧駅 1840年 - 1955年
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「ハイデルベルク中央駅」の記事における「旧駅 1840年 - 1955年」の解説
1840年9月12日に、マンハイムからのバーデン本線の最初の区間の終点として、ハイデルベルクに当初の頭端式の駅が開業した。頭端式の形態が選ばれたのは、駅をできるだけ町に近づけられるようにするためであった。駅はこんにちのポスト通りとバーンホーフ通りの間に位置し、駅前広場はローアバッハ通りに面していた。建築家のフリードリヒ・アイゼンローア(ドイツ語版)が設計した駅は、装飾によってロマン主義を添えられた、いくつかのシンプルな新古典主義の建物で構成されていた。主な駅舎は市街地側に建てられており、赤いネッカー砂岩とスレートで作られた屋根が対照をなしていた。2径間のトレインシェッドが合計4線の番線を覆い、全長75 m、幅28 mで当時としては大変大きかった。このトレインシェッドは木造であった。大きな径間を実現するために、アイゼンローアは後に鋼製構造物に用いられるのと似たような構造を採用した。駅から線路が出ていくところは両脇に2つの塔が建てられており、高架水槽として利用されていた。駅構内には6か所の分岐器と15か所の転車台が設置されており、転車台では軽い車両を載せて手作業で回転させることができた。当初の時刻表によれば、1日に4本の列車がマンハイムへ運転されており、所要時間は35分から40分であった。 1843年にハイデルベルクからカールスルーエまでの路線が開通した。1846年にフランクフルト・アム・マインまでマイン-ネッカー鉄道が開通し、1848年には2番目の駅が「建築的に模範的な形態で」開設され、既存の駅の施設に統合された。この駅もアイゼンローアによって設計され、既存の駅施設に対しておおむね対称的な形で設計され、また将来的に北側へ拡張の余地があるように建設された。バーデン大公国邦有鉄道が1,600 mmの広軌であったのに対してマイン-ネッカー鉄道は標準軌で開通したため、バーデン大公国邦有鉄道が1855年4月に改軌するまでの間、駅の中央付近に設けられた貨物上屋においてすべての貨物を積み替えなければならなかった。2つの主な駅舎を連絡してアーケードが設けられており、その中央部分が駅への主要な入口として機能していた。これに加えて、2か所に三線軌条が分岐器を通って通じていた扇形庫と、トラバーサーによって通じていた車庫があった。駅では1854年から、大学の書店であるカール・シュミットの営業による駅構内書店があり、これはドイツでも初期のもので、100年後までその基本的な形態を保持していた。 1862年にオーデンヴァルト線が開通した際に駅は通過式の配線になり、またこの機会に南側へわずかに拡張された。1873年にはハイデルベルクはシュヴェツィンゲンからシュパイアーへの支線(ドイツ語版)のターミナルともなった。1864年には駅の容量を救済するためにマンハイムへの路線とカールスルーエへの路線を結ぶ連絡線が使用を開始した。また1873年にはレーマー通りの西、マンハイムへの路線に沿って、新しい貨物駅と操車場が設置された。
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