ドラえもん (1979年のテレビアニメ)
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『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄[注 1]による日本の漫画。本項では同名の漫画を原作としたテレビアニメの中の、1979年からテレビ朝日系列にて放送中の2作目のアニメシリーズのうち、2005年3月放送分までについて述べる。
注釈
- ^ a b c 放送開始から1987年までは「藤子不二雄」名義。1988年から1989年1月までは「藤子不二雄Ⓕ」名義。1989年2月から「藤子・F・不二雄」名義。
- ^ a b 作画監督を務めた中村英一によると、チーフディレクターには高畑勲や吉田茂承が候補に挙がっていたが、いずれもテレビシリーズ制作開始時点で離脱している(吉田は後年各話演出として参加)。その為、1981年にもとひら了が就任するまではチーフディレクターは立てられず、福冨博が演出のまとめ役となっていた(「まんだらけZENBU No.62」中村英一インタビュー、p224、2014年3月)。また、各話演出の森脇真琴も同様の証言をしている[1]。
- ^ 日曜放送は4月8日から
- ^ 劇場版のテレビ放送を最終放送とした場合は3月25日
- ^ これより前の『ジャングル黒べえ』(同じ藤子アニメ) - 『ジムボタン』は、当時NETとネットしていた毎日放送制作のアニメが放送されていた。
- ^ 翌1982年3月からは、東映・旭通信社による特撮ドラマ『宇宙刑事ギャバン』(『メタルヒーローシリーズ』)に変更、以後この特撮枠は月曜19:00→日曜9:30(本作が放送された枠)→日曜8:00と変遷し、現在は日曜9:00で『仮面ライダーシリーズ』を継続中。
- ^ 1988年5月27日放送「パパのおみやげ」、2004年10月1日放送「ためしにさようなら」、2005年3月4日放送「魔法使いしずかちゃん」、2005年3月18日放送「ドラえもんに休日を?!」(本作最後の作品)。映画でも「のび太の結婚前夜」以降の作品は30分時代に放送された作品をリメイクしたものである(帯放送枠時代にも放送された「おばあちゃんの思い出」、「ぼくの生まれた日」を含む)。
- ^ かつては、お正月にも『お正月だよ!ドラえもん』と題して1時間の特番が放送されていた。
- ^ 広島ホームテレビでは、1986 - 87年に、夏の1時間特番を番組返上として、自社送出の上ネットスポンサー付で過去の通常30分版を再放送を行い、19:30からプロ野球広島東洋カープ主催試合の中継を放送したことがあった(19:30 - 20:00はローカルセールス扱い。20時台の『ワールドプロレスリング』→『ミュージックステーション』は深夜枠で放送)。また、1995年は春の1時間特番を翌週月曜の17:00から遅れネットとして広島戦中継を放送した。
- ^ 1997年以降の映画は当初、お正月特番の代替で翌年の正月に、本作最末期からは現在と同様、新作映画公開直前での放送となった。
- ^ なお、『パーマン』はその後新作映画公開記念として2002年度と2003年度にも傑作を2本程度放送された
- ^ 映画シリーズは第17作まで担当。後任は大江千里及び堀井勝美。
- ^ その後、同じく高畑が関与したアニメ『じゃりン子チエ』(毎日放送制作・TBS系)が金曜19時枠に移動して表裏となった期間があった。
- ^ 元シンエイ動画プロデューサーの別紙壮一は、『藤子・F・不二雄大全集 パーマン 7』(2010年)に寄稿した文章でほぼ同様の経緯を記しているが、楠部がアニメ化承諾後のエピソードとしている「権利料を先に払う話」(藤本が断る)を、許諾を求める際に持ち出して藤本がお金はいらないが、その代わりレポートを求めたとしている。
- ^ よみうりテレビは日本テレビから第1作をネット受けしていた。
- ^ 本番組が開始される際、この編成は結果的に18時から18時半がローカルニュース(テレビ朝日では『6時のサテライト』)となり、全国ニュースは18時30分開始を維持することとなった。
- ^ a b 1980年4月以降は朝日放送テレビの制作枠となり、しばらくは情報番組やトーク番組が放送されていたが、1984年10月の改編で『とんがり帽子のメモル』が土曜19時枠から移動してABC・東映動画のアニメ枠となり2022年現在まで続いている。
- ^ ただし、第1作の最終話でドラえもんは一度未来に戻っているため、どのような経緯で現代に帰還したかは不明となっている。
- ^ 前述の通り1979年4月2日から月曜 - 土曜18:50 – 19:00に10分の帯番組として開始し、1981年9月26日に30分版と統合・移動する形で終了。
- ^ a b c d e f g h i 30分版は1979年4月8日から1980年3月30日まで日曜 8:30 - 9:00、1980年4月6日から1981年9月27日まで日曜 9:30 - 10:00、1981年10月2日から1987年10月9日まで金曜 19:00 - 19:30、1987年10月23日から1989年3月31日まで金曜 18:50 - 19:20、1989年4月14日から2005年3月25日終了まで金曜 19:00 - 19:30に放送。
- ^ 帯番組版は1979年10月から放送を開始し、月曜 - 金曜 16:50 - 17:00に放送されていた。
- ^ 開局直後の1991年10月4日に放送開始。
- ^ 1996年10月開局時に放送開始。
- ^ 1992年10月開局時に秋田放送から移行。
- ^ 1993年4月に放送ネットワークをフジテレビ系列からテレビ朝日系列へネットチェンジした際に山形放送から移行。
- ^ サービス放送期間中の1981年9月27日(日曜日朝の放送枠最終日)に放送開始。1981年10月1日と2日には、18時48分から、「ゆめのまちノビタランド」(1日)、「変身ビスケット」(2日)が放送された。金曜日に放送時間移動後初回にあたる1981年10月2日放送から正式に同時ネットを開始。以降の放送時間の変動はテレビ朝日と同じ。
- ^ 1979年8月25日に放送開始[18]。土曜 6:15 - 6:45に放送。
- ^ 1983年10月開局時に新潟総合テレビから移行。
- ^ 1991年4月開局時にテレビ信州から移行。
- ^ 開始当初から静岡けんみんテレビ (SKT)
- ^ 帯番組版は1979年10月から月曜 - 土曜18:50 – 19:00にて放送。
- ^ 作者の出身地。
- ^ 1980年4月5日に第3話よりネット開始[19]し、1985年9月28日まで土曜 17:00 - 17:30に、1985年10月4日から1996年9月27日までは金曜 17:00 - 17:30、1996年10月4日から1999年3月26日までは金曜 16:55 - 17:25、1999年4月9日から2002年9月27日までは金曜 16:27 - 16:55、2002年10月1日から2005年3月22日までは火曜 16:27 - 16:55にて放送[20]。
- ^ 1991年10月開局時に石川テレビから移行。
- ^ 1979年10月4日に放送開始[21]。1987年9月まで木曜 17:30 - 18:00、1987年10月から1988年3月までは火曜 19:00 - 19:30。1988年4月から1989年3月までは日曜 10:30 - 11:00[22]1989年4月から1990年代後半まで木曜 17:30 - 18:00。以後、ローカル情報番組の開始で時間変動あり。1987年10月からテレビ朝日のスポンサー付きネット。
- ^ 開始当初から1989年3月までは日本テレビ系列単独ネット。
- ^ 1989年10月に日本海テレビから移行。
- ^ 1993年10月開局時にテレビ山口から移行。
- ^ 1995年4月開局時にテレビ愛媛から移行。
- ^ 1990年7月時点では、月曜 16:30 - 17:00に放送[23]。但し、放送時間が1時間を超える場合(『大晦日だよ!ドラえもん』など)、RKCサタデースペシャル枠にて放送。
- ^ 1990年4月開局時に長崎放送より移行。
- ^ 1989年10月開局時に放送開始。
- ^ 1993年10月開局時に大分放送から移行。
- ^ 1979年の放送開始から1999年までは宮崎東芝会の一社提供で、「東芝こどもマンガ劇場」枠での放送。但し、スポンサードネット扱いの時期もあり、放送枠の名称はそのまま複数社提供として前述のローカルスポンサーとともに提供していたことがあった。金曜 16:55 - 17:25に放送。
- ^ 1982年10月開局時に鹿児島テレビから移行。
- ^ 1995年10月開局時に琉球放送から移行。
- ^ 1979年8月25日に土曜 7:45 - 8:15にて放送開始する[24][25]も、テレビ岩手のANN脱退・NNSフルネット局化に伴い、同年9月29日にわずか1ヶ月で打ち切り[26]。因みに、『コロコロコミック』1979年7月号(6月15日発売)93頁や8月号(7月15日発売)では金曜 17:30 - 18:00に放送との表記があるが、各新聞テレビ欄には未掲載のため誤記。
- ^ 1979年6月8日に金曜 17:00 - 17:30にて放送開始[27]。テレビ信州の開局に伴い、1980年9月26日に打ち切り[28]。
- ^ 1979年4月10日に火曜 18:00 - 18:30にて放送開始し[29]、1981年6月30日に福島中央テレビのANN脱退・NNSフルネット局化に伴い打ち切り[30]。
- ^ 1979年4月20日に日曜 18:00 - 18:30にて放送開始。鹿児島放送の開局により1982年9月に打ち切り。
- ^ 現:NST新潟総合テレビ。
- ^ 1981年3月までは日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのトリプルネット局。1981年4月 - 1983年9月はテレビ朝日系列とのクロスネット局。
- ^ 1979年に金曜17:00 - 17:30にて放送開始。その後、月曜、16:50-17:20、月曜 19:00 - 19:30に移動した後、1983年9月に新潟テレビ21の開局により打ち切り[31]。
- ^ 1979年6月19日に火曜 17:00 - 17:30にて放送開始[32]。北陸放送の方針により、1985年9月23日に打ち切り[33]、石川テレビに移行された。
- ^ 1979年9月5日に水曜 17:00 - 17:30にて放送開始。その後、金曜16:00-16:30に移動し熊本朝日放送の開局準備に伴い、1989年8月以前に打ち切り[34]。
- ^ 1979年4月に土曜 17:30 - 18:00にて放送開始。1989年9月に打ち切り。
- ^ 1990年3月まで月曜 16:50 - 17:20にて放送。長崎文化放送の開局に伴い、打ち切り。
- ^ 1980年10月開局時に信越放送より移行。長野朝日放送の開局に伴い、1991年3月に打ち切り。 開局から打ち切りまで同時ネットだった。
- ^ 1979年4月5日に木曜 17:30 - 18:00にて放送開始[35]。当初は先行ネット(30分版の内容自体は帯番組の再編成なので遅れネットでもある)だった。その後日曜9:30-10:00→日曜10:30-11:00に移動し、1991年9月24日に打ち切り[36]。
- ^ 1985年11月1日に金曜 17:32 - 18:00にて放送開始し、同年12月20日まで同時間帯にて放送[37]、同年12月24日のみ火曜 16:30 - 17:00にて放送し[38]、1986年1月5日に日曜 9:00 - 9:30に移動した[39]。北陸朝日放送開局に伴い1991年9月22日に打ち切り[40]。
- ^ 1979年7月17日に火曜 17:00 - 17:30にて放送開始し[41]、土曜 17:00 - 17:30、火曜 17:00 - 17:30を経て、末期は木曜 17:30 - 18:00に放送。1992年9月24日に秋田朝日放送の開局に伴い打ち切り[42]。
- ^ 1979年4月に火曜 17:00 - 17:30にて放送開始。その後は月曜19:00-19:30、火曜 19:00 - 19:30、日曜8:00-8:30、日曜 8:30 - 9:00、日曜 9:30 - 10:00[43]に放送され、1993年3月に山形テレビがANNにネットチェンジしたため打ち切り。
- ^ 1980年3月までは日本テレビ単独加盟局。1980年4月から1993年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局。
- ^ 1979年に放送開始、山口朝日放送の開局に伴い1993年9月に打ち切り。金曜 17:30 - 18:00に放送。
- ^ 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局。
- ^ 1979年に放送開始。大分朝日放送の開局に伴い、1993年9月に打ち切り。火曜 17:20 - 17:50、火曜16:50-17:20に放送。
- ^ 1979年10月に放送開始、1995年3月に愛媛朝日テレビの開局に伴い打ち切り。月曜17:00-17:30、月曜 19:00 - 19:30[23]→水曜 17:25 - 17:55[23]に放送。
- ^ 1979年に放送開始。琉球朝日放送の開局に伴い、1995年9月に打ち切り。金曜 17:30 - 18:00→木曜 16:30 - 17:00
- ^ 1979年10月2日に放送開始[44]。1996年3月に岩手朝日テレビの開局準備に伴い、打ち切り。開始時は火曜 17:30 - 18:00に放送。
- ^ 1995年6月までは岩手放送。
- ^ 1979年に放送開始し、1990年代後半に打ち切り。金曜18:00-18:30→ 金曜 17:30 - 18:00に放送。
- ^ 放送されたのは水曜日であり、当時のテレビ朝日水曜19時台前半枠はローカルセールス枠(および朝日放送制作枠)であるため、一部地域では19:30から同時ネットされた。
- ^ この時のみドラえもんの相手役は、『キャンディ・キャンディ』のキャンディだった。
- ^ 金曜19:00の『魔法少女ララベル』は休止。
- ^ なお8月15日にはドキュメンタリー特番『父よ、母よ、祖国よ…孤児たちの望都』(19:00 - 20:54)、8月22日は『ワールドプロレスリングスペシャル』(19:30 - 20:54)を、それぞれ放送した。
- ^ 帯番組版では翌日分の予告テロップを表示するスペースだった。そのため、1期終了まで行っていた次回予告はこの枠移動まで日曜版のみの放送だった。
- ^ ただし、後述のように(1992年9月25日放送「ボディガードにご用心」、1994年4月1日放送「ハリ千本ノマス」他)その後も度々開始当初の1979年~1981年までの最初期BGMが復活・採用される話も現れる。
- ^ 『パーマン』『フクちゃん』『愛してナイト』など。なお朝日放送制作アニメは『レディジョージィ!』と『とんがり帽子のメモル』が参加。名古屋テレビ制作アニメは1本も参加しなかった。
- ^ ただし1987年では『猿』は放送せず、代わりに『エスパー魔美』と『ウルトラB』を加えた。
- ^ 92・93年では『春一番!日本一のアニメ祭り』と改題し、放送枠も『水曜特バン!』に変更した。
- ^ 理由は不明だが、番組内で「空き地」という名称は使われず「広場」に言い換えられている。
- ^ 竹内郁子は、後に第2作2期でジャイアンの母ちゃんの声を務めている。
- ^ 本作と同じテレビ朝日系列シンエイ動画製作の『クレヨンしんちゃん』は同年5月25日放送分より、他局では、『それいけ!アンパンマン』(日テレ系列)は2000年11月10日(関東地区)放送分より、『名探偵コナン』(同)では2002年7月29日放送分より、『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系列)は1999年9月26日放送分より、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(同)は2000年1月2日放送分より、『しましまとらのしまじろう』(テレビ東京系列)は1998年より、『ポケットモンスター』は2002年8月15日放送分より、それぞれ移行
- ^ 引き続き金曜19時で放送されたが、2019年10月5日以降は土曜17時枠に移動。
- ^ 5名とも、パイロットフィルム『勉強部屋のつりぼり』にて初収録。
- ^ 旧名・横沢啓子を経て現在の芸名に変更
- ^ パイロットフィルム『勉強部屋のつりぼり』にて初収録。
- ^ 当初は加川三起名義
- ^ 当初は横尾マリ名義
- ^ 2000年6月16日に放送された『ハッピー』では緑川光がスネ夫の従弟の声を担当していたが、それがスネ吉であるかは明確でない。
- ^ 一時期ノンクレジットの時期あり。
- ^ ノンクレジット。
- ^ テレビスペシャル(ザ・ドラえもんズなど)のみ。
- ^ 3月18日のスペシャルはオープニングは無く、提供クレジット画面のBGMのみで使用されている。
- ^ 当初はドラえもん達が地球の上で手をつないで歩いている映像が延々と流されていた。映像追加後はそれがラストシーンになった。
- ^ 例えば、1979年4月10日放送分の『恐竜ハンター』は中村英一が全て一人で原画を担当。
- ^ 旧作画と新作画が交錯していた
- ^ 玉子の腰掛が青から白になったり、スネ夫の首襟がオレンジから白になったり、静香の靴の色が赤にされた点、など。
- ^ ドラえもんに限ればヒゲの位置などで (2) を思い起こさせるデザインだが大きく異なる点が多い。
- ^ しずかのニックネームは原作とアニメで各々異なって統一された。ただし統一までにはある程度期間を要しており、放送初期では「しずちゃん」と呼ばれていることがある他、サブタイトルを「しずちゃんのはごろも」としてそのまま使用することもあった。
- ^ 藤子・F・不二雄大全集第1巻『ドラえもんの歌』、てんとう虫コミックス第11巻『からだの部品とりかえっこ』など。
- ^ うち、映像ソフトにおけるスタッフのクレジット表記は放送時のものとビデオ刊行時のものが混在して表記されている。
- ^ これはVHS時代に権利関係の問題で本編に手を加えたり、主題歌・挿入歌の音源をステレオ音源に差し替えたりなど劇場公開時の状態で販売できないことが原因の一つである。
- ^ 2018年にネット配信が解禁されている。
- ^ 主に黒人差別に関わる演出。
- ^ 黒肌の人食い人種となってジャイアンが追いかけて来る描写がある「オーバーオーバー」なども映像ソフトに収録されている。
- ^ ドラえもんが出した「コンピュータペンシル」でのび太にノートに書かせるシーン。「交流回路で消費される○○」「負荷が××の時」といった表現(記号に当たる箇所が性的表現箇所)があった。
- ^ 1981年のみ、劇場用作品が2作公開されているが、3月の公開でない上、同時上映でカップリングされていた経緯上『桃太郎のなんなのさ』は劇場用作品から除かれるケースが多々ある。
出典
- ^ NU INTEVIEW 森脇真琴
- ^ a b 週刊TVガイド 1981年7月17日号 p.24「『ドラえもん』10月から金曜7・30に引っ越し」
- ^ a b 『日本TVアニメーション全史』(2014年12月30日、世界文化社発行)127ページ。
- ^ 「テレビ秋の陣 地上波の模索(下)アニメバブル 長持ちソフト期待」『朝日新聞』1998年10月2日夕刊、11面。
- ^ 「古今東西TVアニメ作品人気番付」『読売新聞』1987年1月1日付、37頁。
- ^ 大塚康生『リトル・ニモの野望』徳間書店、2004年
- ^ 『まんだらけZENBU Vol.96 別紙壮一インタビュー(聞き手:星まこと)』まんだらけ出版部、2019年12月15日、353-354頁。
- ^ a b c 楠部三吉郎『「ドラえもん」への感謝状』小学館、ISBN 978-4-09-388379-5(2014年9月3日)、pp.12 - 25
- ^ 双葉社『ミラーマン大全』旭通信社『ミラーマン』担当 佐野吉秀インタビュー pp.252
- ^ 『アニ民249人目』元読売テレビアニメプロデューサーの佐野寿七さん - スワッチのアニメ日記
- ^ 『「ドラえもん」への感謝状』pp.26 - 27。ここには上記の佐野寿七の話は記されていない。
- ^ 高橋 2014, pp. 120–122, 第4章 異例ずくめのアニメ「ドラえもん」の船出.
- ^ 高橋 2014, pp. 122–124, 第4章 異例ずくめのアニメ「ドラえもん」の船出.
- ^ 高橋 2014, pp. 124–126, 第4章 異例ずくめのアニメ「ドラえもん」の船出.
- ^ 『「ドラえもん」への感謝状』pp.29 - 30
- ^ a b 『「ドラえもん」への感謝状』pp.31 - 32
- ^ 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌50号, p.34
- ^ 出典:1979年4月5日の山梨日日新聞テレビ欄(番組欄のドラえもんに「(新番組)」と記載あり)
- ^ 富山新聞 1980年4月5日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『北日本新聞』1980年4月5日から2005年3月22日付までの各日付の朝刊テレビ欄より。
- ^ 北國新聞 1979年10月4日付朝刊テレビ欄
- ^ 『北國新聞』1988年4月10日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b c 朝日新聞 1990年7月23日付朝刊テレビ欄
- ^ 1979年8月25日の岩手日報テレビ欄(番組欄のドラえもんに「(新番組)」と記載あり)
- ^ 『河北新報』1979年8月25日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1979年9月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 1979年6月8日、1980年9月26日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 1980年9月26日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 『福島民報』1979年4月10日付朝刊テレビ欄。
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- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年10月号、徳間書店、98頁。
- ^ 北國新聞 1979年6月19日付朝刊テレビ欄
- ^ 北國新聞 1985年9月23日付朝刊テレビ欄
- ^ 『アニメディア』1989年9月号(学研)テレビ局ネットワーク 91頁。
- ^ 出典:1979年4月5日の陸奥新報テレビ欄(番組欄のドラえもんに「(新番組)」と記載あり)
- ^ 出典:1991年9月24日の東奥日報テレビ欄(番組欄のドラえもんに「終」マークが付されている)
- ^ 北國新聞 1985年11月1日 - 12月20日付各朝刊テレビ欄
- ^ 北國新聞 1985年12月24日付朝刊テレビ欄
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- ^ 北國新聞 1991年9月22日付朝刊テレビ欄
- ^ 出典:1979年7月17日の秋田魁新報テレビ欄(番組欄のドラえもんに「(新番組)」と記載あり)
- ^ 「TV STATION NETWORK」『アニメディア』1992年10月号、学研、107頁。
- ^ 『山形新聞』1989年10月1日付朝刊テレビ欄より。
- ^ 『河北新報』1979年10月2日 - 10月30日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 藤子・F・不二雄★ワンダーランド『ぼくドラえもん01』より 『楠部三吉郎インタビュー』
- ^ 「ソラえもん号」が骨川家の周りを一周するたびに1年単位で家ごとタイムスリップさせる設定であり、タイムスリップの途中ではスネ夫のママが見ていたテレビが古くなると共に放送している「ドラえもん」が当時の作品から初期の作品へ変わっていく演出もあった。
- ^ ただし前年『24時間地球大騒ぎ!!カウントダウン2000』内で放送された『未来を守れ!のび太VSアリ軍団』で試験的にステレオ放送された。
- ^ “たてかべさんを「ドラえもん」で追悼 番組冒頭にテロップ”. gooニュース (2015年6月19日). 2015年6月19日閲覧。
- ^ “声優の肝付兼太さん死去 『ドラえもん』初代スネ夫役”. ORICON STYLE (2016年10月24日). 2016年10月24日閲覧。
- ^ “スネ夫役・肝付兼太さんへ「ドラえもん」番組内で追悼テロップ「多くの子どもたちに夢と希望」”. SANSPO.COM. (2016年10月28日) 2016年10月29日閲覧。
- ^ “作曲家・菊池俊輔さん、誤嚥性肺炎で死去 89歳 『ドラえもんのうた』『仮面ライダー』など手掛ける”. ORICON NEWS (2021年4月28日). 2021年4月28日閲覧。
- ^ “作曲家の菊池俊輔氏が死去 89歳 ドラえもんのうた、タイガーマスクなど”. 週刊デイリー (2021年4月28日). 2021年4月28日閲覧。
- ^ “菊池俊輔さん死去「ドラえもん」や「暴れん坊将軍」作曲”. 朝日新聞デジタル (2021年4月28日). 2021年4月28日閲覧。
- ^ a b 大山 2006.
- ^ 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌50号, p.69
- ^ DVDBOX『ドラえもんタイムマシンBOX1979』付録パンフレット
- ^ タイムマシンBOX 付属パンフレット
- ^ 藤子不二雄FCネオ・ユートピア会報誌50号, p.39
- ^ 渡辺歩インタビュー
- ^ ドラえもん商品カタログ
- ^ a b c ドラえもん タイムマシンBOX1979 パンフレット
- ^ 詳細は当ページ、9項.のび太の家を参照。
- ^ 藤子・F・不二雄★ワンダーランド ぼくドラえもん02
- ^ 『ドラえもんタイムマシンBOX1979』付録パンフレット
- ^ 鈴木敏夫のジブリ汗まみれ - TOKYO FM 80.0 - 鈴木敏夫 高畑と仕事をしていた鈴木敏夫が証言。高畑は先述の企画書を執筆する際に第1作を視聴し、尺が余ることからシナリオライターを起用して間延びさせているところがダメだという感想をスタッフに述べていた事が本作の制作スタイルに反映されたという。
- ^ 1981年10月2日放送『ドラえもんだいきらい!?』
- ^ 藤子・F・不二雄★ワンダーランド『ぼくドラえもん02』より
- ^ DVD用にマスターが作り直され16:9スクイーズ化された劇場版は『南海大冒険』、『宇宙漂流記』、『太陽王伝説』、『ワンニャン時空伝』のみ。
- ^ 「マッチ売りのドラえもん」(1993年12月24日放送)などが該当する。
- ^ Wayback Machine
- ^ ドラえもん不適切表現で謝罪、作品収録DVDを修正済みのものと交換へ。 ナリナリドットコム 2012年4月23日閲覧
- ^ 読者・ご購入者の皆様へ 〜『ドラえもんDVD』に関するお知らせ〜 小学館 ニュース 2012年4月24日閲覧(2012年4月24日時点のアーカイブ)
- ^ ドラえもんDVDに「○○」「××」 小学館が「性的文言」謝罪、製品交換(2012年4月24日 J-CASTニュース 2014年8月17日閲覧)・問題の箇所の画像拡大(記事名は一部伏字にしている)
- ^ 金曜版以前の帯番組時代の作品の放送形態は日曜版を採用。
- ^ 大みそかだよ!ドラえもん 歴代大みそかドカンと36時間一挙放送SP!!
- ^ 新作放送休止前に最後に放送された新作は「リクエスト小切手」(1994年10月28日放送)。
「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の例文・使い方・用例・文例
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