富永貞義とは? わかりやすく解説

富永貞義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 01:17 UTC 版)

とみなが さだよし
富永 貞義
プロフィール
生年月日 (1947-01-24) 1947年1月24日(78歳)
出身地 日本大阪府
職業 アニメーター
キャラクターデザイナー
ジャンル アニメーション
その他 文星芸術大学非常勤講師
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富永 貞義(とみなが さだよし、1947年1月24日 - )は、日本男性アニメーター(廃業)、キャラクターデザイナー大阪府出身。文星芸術大学非常勤講師[1]。元「トミプロダクション」主宰。

来歴

元々絵画志望であったが、近所に貧乏な絵描きが居た事から絵描きでは食べていけないと知り、新聞広告に募集が出ていたサンプロダクションに応募し入社。同期には山口泰弘がいる。 研修期間中に『ビッグX』の動画を担当し、『オバケのQ太郎』の原動画を経験した。『オバケのQ太郎』終了後に木下蓮三が上京し成功したのを知り、山口泰弘や白梅進らと共に東京へと上京した。 東京ムービーの下請けに参加していた映音に入社し、『ウメ星デンカ』や『珍豪ムチャ兵衛』まで映音にて活動した。[2]

いじわるばあさん』参加時に、当初参加していた作画監督が問題を起こしていた事から急遽代理を頼まれ、メインスタッフとして深く関わっていた。 その際に収入が増えた事からナックの西野聖市から税金対策としてプロダクション設立を進言され、トミプロダクションを設立する。[2]

元祖天才バカボン』以降は東京ムービーの元請作品減少の影響を受け、荒木伸吾の紹介で東映動画(現:東映アニメーション)の作品に参加する。 後に広岡修の紹介でオカスタジオの作品に参加。オカスタジオ設立前には広岡がトミプロに机を借り、『宇宙戦艦ヤマト』の作業をトミプロで行っていた事もあった。[2]

諸事情によりオカスタジオの仕事から外れ、トミプロを休業状態にする予定であったが、スタッフを食べさせていくために再稼働を余儀なくされた。 その際、シンエイ動画楠部三吉郎から放送が決定する前の『ドラえもん』に誘われ、正式に決定するまで『おれは鉄兵』に参加する事となった。[2]

その後はシンエイ動画を主軸として活動するようになり、『ドラえもん』を始めとした藤子アニメ作品に数多く関わった。 特に『映画ドラえもん』には第2作目から第23作目まで作画監督として長らく関わっている。

2002年の『のび太のロボット王国』制作時に腎盂腎炎を発病。映画ドラえもんを降板し、翌年の2003年は短編作品の『Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン』に移る事となった。 2007年には悪性リンパ腫のステージ4が発覚し、スタジオ維持の困難を受けてトミプロを解散。その際に『ドラえもん』の作画監督を降板している。[2]2008年からはシンエイ動画嘱託アニメーターとして現場復帰し、再び『ドラえもん』に参加。新作の藤子アニメにもキャラクターデザインなどで関与した。

2025年現在はアニメーターを引退している。ただし、本多敏行の呼び掛けにより、同じく引退した中村英一と共に『小さなジャムとゴブリンのオップ』(2024年制作)で一作限りのアニメーター復帰を果たした[3]

富永曰く、トミプロでは、普段スタッフは自宅で作業をし、仕事が大詰めの時にはスタジオに結集するというスタイルをとっているという。

主な参加作品

テレビアニメ

劇場アニメ

脚注

  1. ^ http://www.bunsei.ac.jp/teacher/index.php?course=5
  2. ^ a b c d e 「富永貞義インタビュー」『まんだらけZENBU 88号』2018年、まんだらけ出版部、207 - 219頁。 
  3. ^ ASCII. “70歳以上の伝説級アニメーターが集結! かつての『ドラえもん』チーム中心に木上益治さんの遺作をアニメ化 (3/3)”. ASCII.jp. 2025年2月16日閲覧。
  4. ^ はいからさんが通る”. 日本アニメーション. 2016年6月3日閲覧。
  5. ^ フウムーン”. 手塚治虫公式サイト. 2016年5月20日閲覧。

関連項目


富永貞義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:40 UTC 版)

ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の記事における「富永貞義」の解説

映画シリーズのほとんどの作品総作監督担当したアニメーター映画第2作のび太の宇宙開拓史』にて映画作品で初の作画監督担当。そこから22年間、『のび太とロボット王国』まで作画監督後期では総作監督)を全うし映画ドラえもんならではの雰囲気作り上げた渡辺歩次いで作画監督をした作品数が多い(劇場用作品含めて)。 自身にとって藤子・F・不二雄先生存在とはという質問対し私の夢多く実現してくださった方。人生目標です」と語っている。 第2作第2期でも渡辺歩と共にキャラクターデザイン担当した2007年中村英一と共に番組降板した(のちに復帰)。

※この「富永貞義」の解説は、「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の解説の一部です。
「富永貞義」を含む「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の記事については、「ドラえもん (1979年のテレビアニメ)」の概要を参照ください。

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