あこう‐し〔あかほ‐〕【赤穂市】
読み方:あこうし
⇒赤穂
赤穂市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 06:04 UTC 版)
赤穂市(あこうし)は、兵庫県の南西部、岡山県との県境に位置する市。瀬戸内海国立公園の一部を成す。西播磨県民局の管轄で、1951年(昭和26年)に市制施行。
注釈
出典
- ^ 「赤穂の天塩」のこだわり 株式会社天塩 2019年1月5日閲覧
- ^ 10立方メートル使用時の月額料金は367円で、国内最高値の群馬県長野原町の3510円と比べると約10倍の格差がある。2014年(平成26年)日本水道協会調べ。
- ^ 神吉和夫、箟源亮、多渕敏樹、中西英之、広山堯道「赤穗水道の沿革と現状」『日本土木史研究発表会論文集』第1巻、土木学会、1981年、78-83頁、doi:10.11532/journalhs1981.1.78。
- ^ ◆コラム◆ 赤穂上水道について 赤穂市教育委員会
- ^ 「日本第一」の塩を産したまち 播州赤穂
- ^ 荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~
- ^ a b c d e “赤穂は「あかほ」、忠臣蔵でも「あかほぎし」 では、いつから、なぜ「あこう」に?”. 神戸新聞. 2021年11月25日閲覧。
- ^ “(4797) Ako = 1978 VY9 = 1985 QB4 = 1989 SJ”. 2022年7月5日閲覧。
- ^ 赤穂市中心に巨大カルデラ 8200万年前に形成 神戸新聞
- ^ 巨大カルデラ兵庫・赤穂に 阿蘇や姶良に匹敵、産総研 神戸新聞
- ^ 赤穂市は恐竜時代のカルデラの中にできた町だったことが判明 産総研
- ^ 兵庫に巨大カルデラ=白亜紀後期に噴火の跡-産総研 時事通信社
- ^ a b c 『赤穂市史』第一巻. 赤穂市. (1981)
- ^ 『赤穂市史』第四巻. 赤穂市. (1984)
- ^ “木簡庫 奈良文化財研究所:詳細”. mokkanko.nabunken.go.jp. 2019年7月27日閲覧。
- ^ a b c d 『赤穂市史』第二巻. 赤穂市. (1983)
- ^ a b c d “国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト”. 赤穂市教育委員会. 2019年7月28日閲覧。
- ^ 1976年(昭和51年)9月11日夕刊、3版、9面
- ^ 旧・中三原、門三原村は赤穂浅野氏の領地。いじめ問題にも積極的に取り組んでいる。
- ^ 農村歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」が活発に上演される。
- ^ 赤穂民報「小豆島2町と災害支援など連携へ」(2017.1.28)
- ^ ともに吉良義央を絶命させた功労者・武林隆重の祖父・孟二寛の出身地。
- ^ グラントウキョウノースタワー内に吉良邸在宅者の供養碑など。
- ^ 栗崎道有邸に義央と戦死者の墓および追悼塔。
- ^ 市谷筑土八幡町に吉良家関係者の供養施設。
- ^ 巣鴨の慈眼寺に小林央通と曽孫・葛飾北斎の墓。
- ^ 旧・人見村は吉良氏の領地。
- ^ 市内に吉良の男系子孫・米沢藩の飛び地あり。色部安長と子孫・色部久長の顕彰碑。
- ^ 「吉良家文書」を松浦家が保管。また、松浦清による著書『甲子夜話』が現存。
- ^ ただし、吉良の男系子孫である現当主は12月14日に先祖・戦死者の供養のみならず、2月4日には義士の供養もされており、サミットなどの行事にゲスト参加の場合がある。
- ^ 駒澤大学名誉教授・廣瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』など(金石文『曹洞宗全書』より)。明治に民間から海外に流出したとされる(ウイーン美術館)。当時の住職による義士遺品の無断売却とは無関係。
- ^ 浅野内匠頭の遺品について赤穂市への返還問題があり、浅野氏による散逸責任を理由に一般公開もされていない。
- ^ 赤穂民報「イタリア大使館で義士慰霊祭」(2015.12.5)ほか
- ^ 明星院義士祭は市の主催でなく、あくまで特定の宗教法人が実施するイベントとしての扱い。
- ^ 『平成9年 忠臣蔵サミット』」資料より「忠臣蔵ゆかりの地」(赤穂市)
- ^ 雲火焼、料理彩る 江戸期赤穂で生まれた幻の陶器 神戸新聞
- ^ 赤穂緞通(あこうだんつう) 赤穂市
- ^ 赤穂緞通について 工房ひぐらし
- ^ 当時の泉岳寺住職により、義士遺品の大半が売却されてしまっている。勝部真長1994『日本人的心情の回帰点 忠臣蔵と日本人』(PHP研究所)p.169-73
- ^ 「原惣右衛門(元辰)が使った可能性のある脇差が発見」読売新聞・地方版(2009.11.14)
- ^ 「近松勘六行重 吉良邸討入りで使用したと伝わる槍を子孫が奉納」赤穂民報(2010.12.13)
- ^ 池田輝興は岡山、永井直敬は岩槻にて死去したため、池田家と永井家の墓は花岳寺に無い。(『播州赤穂 台雲山花岳寺』より「境内案内」)。また、森家は森長孝の代に臨済宗に改宗しており、長孝から十一代・忠典まで花岳寺を使用していない。それでも、現当主の森可展は森家の供養に参加されている(「赤穂民報、2013年5月19日」)。
- ^ 後藤仁公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」後藤仁公式ブログ「後藤 仁(GOTO JIN)の制作・旅日誌」
- ^ 釣俊輔 Profile アゲハスプリングス
- ^ 戦国大名の赤松氏・宇喜多氏も赤穂を統治しているが、佐用・龍野などからの間接統治(宇喜多家文書「宇喜多秀家士帳」など)。
- ^ 国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト
- ^ 発掘調査ではその痕跡の可能性がある遺構が発見されている“赤穂城跡二之丸門枡形発掘調査現地説明会資料”. 赤穂市教育委員会. 2019年8月2日閲覧。
- ^ 中山成彬Twitter@nakayamanariaki(午前9:10 · 2013年7月6日)
- ^ 小池百合子「自宅で親を看取る」(幻冬舎、2014年)
赤穂市
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赤穂市立海洋科学館・塩の国 - 萬平・神部が製塩法を学びに訪れた赤穂の塩田。
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