2011年死刑確定囚(23人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:38 UTC 版)
「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の記事における「2011年死刑確定囚(23人)」の解説
事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)オウム真理教事件(土谷正実) 2011年3月7日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1995年3月他多数 1965年(昭和40年)1月6日生まれ。オウム真理教の元幹部で松本サリン事件・会社員VX殺害事件・地下鉄サリン事件などに関与。殺害行為には直接関与しなかったが、サリンなど一連の化学兵器製造に関与しており、大量殺傷事件の共同正犯として2004年1月30日に東京地裁(服部悟裁判長)で死刑判決を受けた。2006年8月18日には東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決を受け、2011年2月15日に最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた。上告審判決への訂正を申し立てたが2011年3月7日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。 渋谷駅駅員銃撃事件(熊谷徳久) 2011年3月1日 2004年(4月26日・5月29日・6月23日) 1940年(昭和15年)5月8日生まれだが、戦災孤児で2つ戸籍があり、もう1つの戸籍では「1938年(昭和13年)1月25日生まれ」となっている。後者の戸籍名は「入佐求」。2004年4月12日に福島刑務所を出所した直後、同月26日に「東京駅地下のキオスク集金所」(実際は勘違い)へ強盗に入ろうとしたが、失敗したため、用意していた軽油を撒いて放火したほか、同年5月29日には横浜中華街の料理店主宅へ押し入り、店主の男性を拳銃で射殺。さらに6月23日には渋谷駅で東京地下鉄(東京メトロ)職員を集金係と勘違いして銃撃し、現金を奪った。渋谷駅事件の被害者には重い後遺症が残った。2006年4月17日に東京地裁(毛利晴光裁判長)は無期懲役判決を言い渡したが、2007年4月25日に東京高裁(高橋省吾裁判長)は「殺害された被害者は1人だが、死刑を直ちに回避すべき事例とはいえない」として原判決を破棄し死刑判決を言い渡した。2011年3月1日に最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。著書に『奈落-ピストル強盗殺人犯の手記-』がある(#参考文献を参照)。2013年9月12日に東京拘置所で死刑執行(73歳没)。 福岡3女性連続強盗殺人事件 (S) 2011年3月27日(正式な死刑確定日) 2004年12月 - 2005年1月 1969年(昭和44年)3月22日生まれ。本籍地は福岡県鞍手郡小竹町。強盗・強姦目的に飯塚市・北九州市・福岡市で凶行に及んだ。2006年11月13日に福岡地裁(鈴木浩美裁判長)で死刑判決を受け、2008年2月7日に福岡高裁(正木勝彦裁判長)で控訴棄却判決。2011年3月8日に最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)で上告棄却判決を受け、同年3月25日付で同小法廷から判決訂正申し立て棄却決定を出されたことにより死刑確定(正式な死刑確定日は2011年3月27日)。2019年8月2日に福岡拘置所で死刑執行(50歳没)。 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KM) 2011年3月30日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1994年9月28日-10月7日 1975年(昭和50年)3月19日生まれ。下記KA・HMの共犯で少年死刑囚(事件当時19歳)。2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中(現在47歳)。不良少年グループによる連続リンチ殺人事件の主犯格。戦後の少年犯罪史上、複数の被告人の死刑が確定した初のケース。主犯格3人の中で唯一、第一審・名古屋地裁でも死刑判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁では第一審が傷害致死事件と認定した「木曽川事件」について殺人罪と認定され、原判決破棄の上で改めて死刑判決を受けた。2011年3月10日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決の訂正を申し立てたが2011年3月30日付の同小法廷決定で棄却されたため、下記2人とともに死刑が確定。この他に3つの事件で共犯7人が刑事処分を受け、5人の有罪判決が確定し、2人は少年院送致された。 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KA) 2011年3月30日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1994年9月28日-10月7日 1975年(昭和50年)7月21日生まれ。上記KM・下記HMの共犯で少年死刑囚(事件当時19歳)。2021年9月20日時点で名古屋拘置所に収監中(現在46歳)。旧姓Ko、死刑確定直前にOへ改姓し、現姓はKu。第一審・名古屋地裁では「木曽川事件」が傷害致死罪と認定されたほか「事件への関与の度合いもKM被告人より低い」と判断され、KAとともに無期懲役判決を受けたが、控訴審では木曽川事件について殺人罪と認定されたほか、「3人の刑事責任はいずれも重い」とされ、被告人3人全員が死刑判決を受けた。再審請求中。 大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (HM) 2011年3月30日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1994年9月28日-10月7日 1975年(昭和50年)10月23日生まれ。上記KM・KAの共犯で少年死刑囚(事件当時18歳)。旧姓K。2021年9月20日時点で名古屋拘置所に収監中(現在46歳)。獄中で国家賠償請求訴訟を多数起こしている。 広島・岡山独居老人強盗殺人事件 (K) 2011年3月24日(上告審判決宣告日) 2003年9月28日・2004年12月10日 1931年(昭和6年)7月13日生まれ。本籍地は広島県福山市。2003年9月に広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で一人暮らしの91歳無職女性を強盗目的で絞殺したほか、2004年12月に岡山県井原市で一人暮らしの76歳蕎麦屋店主男性を強盗目的で撲殺した。2人への強盗殺人罪で起訴されて死刑を求刑されたが、岡山地裁(松野勉裁判長)は2006年3月24日に広島の事件について殺意を認めず強盗致死罪を適用し、無期懲役を言い渡した。しかし検察官が控訴したところ、広島高裁岡山支部(小川正明裁判長)は2008年2月27日に、「広島の事件でも確定的殺意を持って被害者の首を絞めた」と殺意を認定し、2件とも強盗殺人罪の成立を認定した上で、一審を破棄して死刑判決を言い渡した。2011年3月24日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で控訴審判決支持・上告棄却の判決を受けたことで死刑が確定(79歳での死刑確定は戦後最高齢)。上告中の2008年10月にアルツハイマー病と診断され、死刑確定後の2016年1月14日に収監先の広島拘置所で意識不明となって拘置所外の病院に入院したが、2016年2月14日にアルツハイマー病による摂食障害・衰弱のため広島県内の病院で死亡(84歳没)。 東大阪集団暴行殺人事件 (K) 2011年3月25日(上告審判決宣告日) 2006年6月19日 1984年(昭和59年)12月22日生まれ。2021年9月20日時点で大阪拘置所に収監中(現在37歳)。被害者2人が男性2人を恐喝・暴行したことに対し、「殺さなければ殺される」と考え仲間9人で岡山県で生き埋めにして殺害。殺害実行犯・首謀者であるKが死刑に処されたほか、共犯8人のうち殺害発案者は無期懲役、最初に暴行された2人は懲役11年および懲役9年、重機を操作した少年は懲役15年、被害者2人を呼び出した暴力団関係者は懲役17年、見張り役は懲役7年の判決がそれぞれ確定している。また他の2人(事件当時少年)は殺人罪で起訴されず家庭裁判所送致になっている。2007年5月22日に大阪地裁(和田真裁判長)で死刑判決を受け、2008年5月20日に大阪高裁(若原正樹裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2011年3月25日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年4月15日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。 同僚・妻連続殺人事件 (O) 2011年5月9日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 2004年・2005年 2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中。自身の不倫相手を中傷されたことに腹を立てて同僚男性を殺害したほか、不倫を知り離婚を迫った妻を殺害し遺体をバラバラにして遺棄。事件当時の姓は「T」。2007年2月26日に静岡地裁(竹花俊穂裁判長)で死刑判決を受け、2008年3月25日に東京高裁(安原文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2011年4月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月9日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。 宮崎の口封じ連続殺人事件 (F) 2011年5月20日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1999年 1969年(昭和44年)1月23日生まれ。2021年9月20日時点で福岡拘置所に収監中(現在53歳)。保険金詐欺常習犯が分け前を巡るトラブルから仲間を殺害し、次いで事件の真相を知った税理士を殺害。1件については無罪・もう1件についても事実誤認を主張。進行性筋ジストロフィー症で自力歩行も困難とされる。2003年5月26日に宮崎地裁(小松平内裁判長)で死刑判決を受け、2007年1月23日に福岡高裁宮崎支部(竹田隆裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2011年4月19日に最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。 広島連続保険金殺人事件 (O) 2011年6月7日 1998年10月・2000年3月1日 1961年(昭和36年)7月26日生まれ。本籍地は広島県広島市佐伯区。2021年9月20日時点で広島拘置所に収監中(現在60歳)。それぞれ保険金目的で1998年に義父を交通事故を装って殺害したほか、2000年には妻を浴槽につけて殺害し、遺体を遺棄した。2005年4月27日に広島地裁(岩倉広修裁判長)で死刑判決を受け、2007年10月16日に広島高裁(楢崎康英裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2011年6月7日に最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定。 ※川崎アパート3人殺害事件 (T) 2011年7月4日 2009年5月30日 1952年(昭和27年)1月2日生まれ。川崎市内のアパートで隣室に住む夫婦を刺殺。さらに被害者の兄で、アパートの大家であった男性を刺殺した。2011年6月17日に横浜地裁(秋山敬裁判長)で死刑判決を受け、同年7月4日付で自ら控訴を取り下げたため、死刑が確定。裁判員裁判で2例目の死刑確定(横浜港バラバラ殺人事件の死刑囚〈表では#2012年死刑確定囚(11人)に記載〉に次ぐ)。2015年12月18日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。裁判員裁判による死刑囚として初の死刑執行。 大牟田4人殺害事件 (KM) 2011年10月3日 2004年9月16日・18日 1959年(昭和34年)4月26日生まれ。2021年9月20日時点で福岡拘置所に収監中(現在63歳)。KSの妻で、IT・KTの母親。福岡県大牟田市で発生した連続殺人事件。裁判経緯は次男IT(当時はK姓)と同一(夫KS・長男KTとは分離公判)で、2006年10月17日に福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)でITと共に死刑判決を、2007年12月25日に福岡高裁(正木勝彦裁判長)で控訴棄却判決を受け、2011年10月3日に最高裁第二小法廷で上告棄却判決を受けたことにより死刑確定。戦後日本14番目の女性死刑囚。 大牟田4人殺害事件 (IT) 2011年10月3日 2004年9月16日・18日 1984年(昭和59年)6月9日生まれ・福岡県大牟田市出身。2021年9月20日時点で福岡拘置所に収監中(現在37歳)。KS・KM夫妻の次男で、夫妻とその長男(異父兄)K3の共犯者。松ヶ根部屋の元力士「三池山」。旧姓K。父・母・兄(K姓)とは違う姓(I姓)になっている。 大牟田4人殺害事件 (KS) 2011年10月17日 2004年9月16日・18日 1944年(昭和19年)1月12日生まれ。KMの夫で、KT(KMと前夫との子供)の養父・ITの実父、元暴力団組長。2021年9月20日時点で広島拘置所に収監中(現在78歳)。裁判経緯は長男KTと同一(妻KM・次男ITとは分離公判)で、第一審にて妻子との共謀を否定し自身の単独犯を主張したが、2007年2月27日に福岡地裁久留米支部(高原正良裁判長)で妻子との共謀を認定され死刑判決を受けた。控訴審では一転して共謀を認めた一方で強盗目的を否定したが、2008年3月27日に福岡高裁(正木勝彦裁判長)で控訴棄却判決。2011年10月17日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定したが、本事件では妻と息子2人を含め、犯行に関与した一家4人全員が死刑判決を受け確定する異例の事態になった。 大牟田4人殺害事件 (KT) 2011年10月17日 2004年9月16日・18日 1980年(昭和55年)12月20日生まれ・福岡県大牟田市出身。2021年9月20日時点で大阪拘置所に収監中(現在41歳。KS・KM夫妻の長男。父KSとは養子縁組関係・弟K4とは異父兄弟関係である。大島部屋の元力士「旭竜神」。引退後は母KMが経営していた建設会社で働いていたが、19歳だった2000年6月25日には福岡県三潴郡城島町(現:久留米市城島町)で同僚の少年(当時18歳)を不良仲間6人とともにリンチして死なせる傷害致死事件を起こし逮捕・起訴された。2001年6月26日に傷害致死罪で福岡地裁久留米支部から懲役3年6月の実刑判決を受け、2004年春まで刑務所に服役していた。逮捕後の2004年11月13日に福岡地検久留米支部庁舎から一時逃亡し、単純逃走罪で追起訴された。 福岡一家4人殺害事件 (G) 2011年10月20日 2003年6月20日 1979年(昭和54年)11月14日生まれ。中国河南省出身。2001年(平成13年)に留学のため来日したが、2003年に福岡市東区中国人3人組による一家4人殺害事件を起こした(主犯)。2005年5月19日に福岡地裁(川口宰護裁判長)で死刑判決を受け、2007年3月8日に福岡高裁(浜崎裕裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2011年10月20日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告棄却判決を受け、2011年11月に正式に死刑が確定した。2019年12月26日に福岡拘置所で死刑執行(40歳没)。共犯の被告Y・Oは中国に逃亡後、中国当局により身柄を拘束された。2005年1月24日に中国遼寧省遼陽市中級人民法院はYに死刑・Oに無期懲役の判決を言い渡し、いずれも後に確定。Yは同年7月12日に死刑執行(25歳没)。 オウム真理教事件(中川智正) 2011年12月8日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1995年3月他多数 1962年(昭和37年)10月25日生まれ。オウム真理教の元幹部。坂本堤弁護士一家殺害事件で弁護士の長男を殺害し、松本・地下鉄の両サリン事件ではサリンの製造に関与した。2003年10月29日に東京地裁(岡田雄一裁判長)で死刑判決を受け、控訴審の鑑定では「入信直前 - 犯行時は解離性障害ないし祈祷性精神病」と診断されたが、東京高裁(植村立郎裁判長)は2007年7月13日に完全責任能力を認定して控訴棄却判決を言い渡した。2011年11月18日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月28日付で判決の訂正を申し立てたが、2011年12月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、再審請求中の2018年7月6日に同所で死刑執行(55歳没)。 オウム真理教事件(遠藤誠一) 2011年12月12日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1995年3月他多数 1960年(昭和35年)6月5日生まれ。オウム真理教の元幹部。松本・地下鉄の両サリン事件でサリンの製造などに関与した。2002年10月11日に東京地裁(服部悟裁判長)で死刑判決を受け、2007年5月31日に東京高裁(池田修裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2011年11月21日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、12月1日付で判決の訂正を申し立てたが、2011年12月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定し、1995年6月から始まったオウム裁判は(この時点で逃亡中の高橋克也ら3人を除き)完全に終結した。再審請求中の2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(58歳没)。 マブチモーター社長宅殺人放火事件 (M) 2011年11月22日 2002年(8月5日・9月24日・11月21日) 1950年(昭和25年)10月17日生まれ。2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中(現在71歳)1989年に殺人・窃盗罪で懲役12年に処された前科あり。4人が殺害された一連の連続殺人事件は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定された。2006年12月19日に千葉地裁(根本渉裁判長)で死刑判決を受け、2008年3月3日に東京高裁(中川武隆裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2011年11月22日に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。共犯である畠山鐵男(旧姓:小田島)は2007年11月に控訴を取り下げ死刑が確定していたが、2017年9月16日に食道癌で病死。 愛知交際2女性殺害事件 (K) 2011年11月29日 1999年8月15日・2003年5月25日 1957年(昭和32年)10月30日生まれ。本籍地は愛知県弥富市。2021年9月20日時点で名古屋拘置所に収監中。交際していた女性2人を殺害し、バラバラにして遺棄した。2007年2月23日に岐阜地裁(土屋哲夫裁判長)で死刑判決を、2008年9月12日に名古屋高裁(片山俊雄裁判長)で控訴棄却判決を受け、2011年11月29日に最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告棄却判決を受けたため死刑が確定。 北九州監禁殺人事件 (M) 2011年12月12日 1996年2月 - 1998年6月 1961年(昭和36年)4月28日生まれ。本籍地は福岡県柳川市。2021年9月20日時点で福岡拘置所に収監中(現在61歳)。1996年2月 - 1998年6月にかけてマンションで同居していた男女6人(共犯者として無期懲役が確定した女の母親・妹夫婦やその子供ら)を相次いで殺害し、女の父親も虐待の末に死亡させた。7人への殺人罪で起訴され(刑事裁判における認定では被害者6人は殺人・1人は傷害致死)、2005年9月28日に福岡地裁小倉支部(若宮利信裁判長)で「被害者全員の遺体を解体・遺棄した事件の首謀者」と認定されて死刑判決を受けた。2007年9月26日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却判決を受け、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)にて2011年12月12日に上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。殺害実行犯とされた共犯者の女性は第一審でMとともに死刑判決を受けたが、控訴審では「Mから長年にわたり暴力・虐待を受けたことで正常な判断力が低下し、Mに追従していた」として原審破棄・無期懲役判決を受け、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)が2011年12月12日付で検察側の上告を棄却する決定を出したことにより無期懲役が確定。 ファミレス2人射殺事件 (H) 2011年12月27日 2005年4月25日 1948年(昭和23年)9月18日生まれ。千葉県市原市にあったファミリーレストランで暴力団員同士の話し合いがこじれ、2人が射殺された。犯人3人のうち1人は自殺し、共犯1人 (M) は2009年6月に最高裁で上告棄却判決を受け死刑確定。もう1人の共犯は犯行後に自殺。2007年10月26日に千葉地裁(古田浩裁判長)で死刑判決を受け、2008年9月26日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決。2011年12月15日に最高裁第一小法廷(横田尤孝裁判長)で上告棄却判決を受け、同年12月27日付で死刑が確定。死刑確定から1年4か月後の2013年4月26日に東京拘置所で共犯Mとともに死刑執行(52歳没)。
※この「2011年死刑確定囚(23人)」の解説は、「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の解説の一部です。
「2011年死刑確定囚(23人)」を含む「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の記事については、「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の概要を参照ください。
- 2011年死刑確定囚のページへのリンク