控訴審・名古屋高裁
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「ドラム缶女性焼殺事件」の記事における「控訴審・名古屋高裁」の解説
2002年9月11日、名古屋高裁でN・K両被告人の控訴審初公判 主犯格のN・K両被告人の控訴審初公判は2002年9月11日、名古屋高等裁判所で開かれた。 控訴趣意書朗読で、両被告人の弁護人はいずれも事実誤認・量刑不当を主張した上で、死刑判決を破棄して量刑を無期懲役に減軽するよう訴えた。被告人Nの弁護人は「欧米など世界各国では死刑廃止運動が進んでいる。被告人Nには矯正の可能性があり、死刑は回避されるべきだ。一部被害弁償もしており、被害者遺族のAも今は極刑を望んでいない」と述べた。 被告人Kの弁護人は「被告人Kが主犯格とされているのは事実誤認で、主導権を握っていた被告人Nらの指示に従っただけだ。被告人Kは被告人Wら他の共犯者4人と同じく、単なる実行部隊の一員に過ぎない」と主張した。 一方、検察側は死刑判決をいずれも支持して両被告人側の控訴を棄却するよう訴えた。 第一審判決前から「控訴したくない」と述べていた被告人Nは、この日の控訴審には出廷せず、弁護人に対し「控訴を取り下げてほしい。今後も出廷しない」と語り、説得にも応じていなかった。 2002年10月29日、名古屋高裁でWら共犯者4被告人の控訴審初公判 2002年10月29日、Wら共犯者4被告人の控訴審初公判が開かれた。 検察側は第一審判決について量刑不当を主張し、4被告人全員について原審を破棄した上で、改めて求刑通りW・X両被告人に死刑、Y・両被告人にも懲役15年の判決を言い渡すよう求めた。 一方で被告人側は、いずれも「第一審判決は共謀の認定などの点について事実誤認がある」と主張した上で、「主犯格のN・K両被告人から『犯行に加わらなければ殺す』などと脅されていた」などとして量刑不当を主張した。 同日、検察側証人として出廷した被害者Bの娘は「(主犯N・K両被告人を含めた)6人全員を死刑にしてほしい気持ちは変わらない」と述べた。 2003年3月12日、名古屋高裁(川原誠裁判長)はN・K両被告人の控訴棄却判決(二審も死刑判決) 2003年(平成15年)3月12日、名古屋高裁でN・K両被告人についての判決公判が開かれた。 名古屋高裁(川原誠裁判長)は第一審の死刑判決をいずれも支持し、N・K両被告人の控訴を棄却する判決を言い渡した。 名古屋高裁は判決理由で「ドラム缶の蓋が開かないように細工した上で火をつけるなど、殺害方法の残虐さには戦慄を禁じえない。犯行を認め反省していることを考慮しても、第一審の死刑判決はやむを得ない」と事実認定した。 判決言い渡し後、被告人Kが「聞きたいことがあります」と川原裁判長に切り出して意見陳述した。被告人Kは「1999年、岐阜県岐阜市内で資産回収のトラブルから債務者に発砲された事件」について言及し、「この事件をもみ消した岐阜県警察はどうなるのか。この事件がなければ僕たちは殺人事件を起こさなかった。やったことは極刑に値するとは思うが、隠された部分を知りたい」などと述べた。 閉廷後、被告人Kの弁護人はこの突然の発言について「真相はわからないが、被告人Kは岐阜県警と暴力団が裏取引したと考えている。『警察がこの時に被告人Kらからしっかり事情聴取していれば、後に被害者Aに対する無理な取り立てをすることもなかった』という意味だ」と話した。その上で判決について「犯行動機について事実誤認がある」として最高裁判所に上告する方針を示した。 裁判長を務めた川原は定年退官後、及び両死刑囚の死刑執行後の2009年3月、『読売新聞』の取材に応じ、「『事実審は高裁が最終審』という責任を持たなくてはならない、と肝に銘じてきた。被告人Kは『Wら他4被告人と同じく従属的立場だった』と主張していたが、グループ内の指示系統を疑問が残らなくなるまで調べた結果、死刑判決を支持する結論に至った」と述べた。2003年3月19日まで、両被告人の弁護人が最高裁に上告 被告人Nは「極刑を受け入れる」と表明しており、この日の判決を含め控訴審には一度も出廷しなかった。判決前の2003年3月9日、被告人Nは弁護人と面会した際にも「極刑を覚悟している」と話していたが、弁護人は最高裁に上告する方針を示した。 その後、被告人Kの弁護人は2003年3月18日付、被告人Nの弁護人は翌2003年3月19日付で、いずれも最高裁に上告した。 2003年6月19日、名古屋高裁(小出錞一裁判長)は共犯4被告人の控訴棄却判決(二審もW・X両被告人は無期懲役、Y・Z両被告人は懲役12年) 2003年6月19日、名古屋高裁(小出錞一裁判長)でWら共犯4被告人の控訴審判決公判が開かれた。 名古屋高裁は第一審の判決(W・X両被告人は無期懲役、Y・Z両被告人は懲役12年)をいずれも支持し、検察・弁護人側双方の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した。 名古屋高裁は判決理由で、犯行態様を「まさに地獄絵図の如き犯行で戦慄を禁じ得ない」と表現した一方で、「極めて残虐非道な悪行だが、4人は主犯2人に従属的な立場で犯行に加担した。弁護人の主張通り、4被告人はN・K両被告人から意に従わないと保険金目的での殺害をほのめかされるなどして脅され、指示命令を拒否し難い面はあったが、物理的に拘束されるなど、グループから離脱できない状況ではなかった」と指摘した。 その上で検察側のW・X両被告人に対する死刑主張について「死刑求刑にも相当な理由はあるが、主犯2人と刑事責任は同一ではない」と述べた。 加えて、Y・Z両被告人については「強盗殺人などの犯行に加わらなかったものの、犯行全体についての共謀関係からの離脱は認められない」と結論付けた。 また、指名手配後に自分の居場所を警察に電話した行為を「自首に当たる」と主張した被告人Wについても、「原判決に誤りはない」として主張を退けた。W・X・Yの3被告人が最高裁に上告 W・X・Yの3被告人は一・二審判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した。 一方で検察側・被告人Zはともに上告期限の2003年7月3日までに上告せず、被告人Zは懲役12年の一・二審判決が確定した。
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控訴審・名古屋高裁
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「名古屋大学女子学生殺人事件」の記事における「控訴審・名古屋高裁」の解説
2017年10月26日に名古屋高等裁判所で開かれた公判にて、被告人・元名大生は被告人質問で「第一審判決後も人を殺したいという考えが浮かんだ」と述べ、控訴した理由について「第一審判決の内容だと『人を殺さない自分になりたい』という目的の達成が難しい」という説明を行った。 2017年11月9日に開かれた公判では弁護人が請求した証人・十一元三(京都大学教授・児童精神医学専門家)が「あくまで第一審判決・鑑定書などを検討した上での印象であって正式に精神鑑定したわけではないが、自分の直感では『精神障害は軽度』と判断した第一審判決は適切ではない」と証言した。 2018年3月23日、名古屋高裁(高橋徹裁判長)は第一審・無期懲役判決を支持して被告人・弁護人の控訴を棄却する判決を言い渡した。高橋徹裁判長は、各事件時の精神状態は、躁鬱病の軽そう状態にとどまり、発達障害が動機に影響しているものの限定的だったと指摘して、一審同様に完全責任能力を認めた。 硫酸タリウム事件については、混入時に周囲の状況を確認するなど冷静に行動しているほか、致死量の知識もあったことから「被害者が死亡する可能性を十分認識しながら犯行に及んだと推認される」と述べた。被告人側は判決を不服として2018年4月5日付で最高裁へ上告した。
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控訴審・名古屋高裁
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「愛知県蟹江町母子3人殺傷事件」の記事における「控訴審・名古屋高裁」の解説
2015年7月27日に名古屋高等裁判所(石山容示裁判長)で控訴審の初公判が開かれ、即日結審した。控訴審でも強盗殺人罪成立の是非が争点となり、弁護人は「被害者に暴行を加えたのは強盗のためではなく、Aに大声を出されたためだ。仮に強盗の犯意が認められても、殺害された被害者が2人で殺害の事前計画性もないケースでは、死刑選択は妥当ではない」として、死刑判決の破棄(無期懲役の適用)を訴え、強盗の犯意を否定するための証拠調べ・被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退けた。 2015年10月14日、名古屋高裁刑事第1部(石山容示裁判長)は死刑を選択した第一審判決を支持し、被告人Lの控訴を棄却する判決を言い渡した。名古屋高裁 (2015) は「殺害された被害者数が2人の場合、原則として死刑を選択すべきとは言えない。死刑選択に当たっては、合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」と指摘した上で、「被告人Lは被害者宅に侵入した際、家人と遭遇して騒がれることを予想しており、実際にAに見つかったことで確定的な強盗の犯意が生じた。Aらが抵抗しなくなっても繰り返し暴行を加えるなど、犯行の態様は執拗で残酷だ。死刑を選択した原判決は具体的な根拠から導き出された合理的判断で、是認できる」と述べた。Lの弁護人は判決を不服として同日付で最高裁判所へ上告した。
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控訴審・名古屋高裁
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1987年(昭和62年)3月30日午前に名古屋高等裁判所(吉田誠吾裁判長)で控訴審初公判が開かれた。弁護人は控訴趣意書にて以下の情状から「死刑判決は不当であり破棄した上で無期懲役刑に軽減すべきだ」と主張した一方、検察側は「まれにみる連続殺人であり死刑を持って臨むほかない」と主張して死刑判決支持・被告人側の控訴棄却を求めた。 死刑違憲論(後述) (勝田自身が書いた控訴趣意書より)8人殺害のうち113号事件で殺害した1人を除く死者7人は捜査段階において進んで自供したため自首が成立する上、残る113号事件の1人殺害も「銃の暴発によるもの」であり殺意はなかった。反省の情を酌量してほしい。 控訴審で被告人・勝田の弁護団は以下の3点において死刑違憲論を展開したが、うち前者2つについては既に最高裁判所判例により「合憲」判断が示されていた。 死刑は日本国憲法第36条で禁じられた「残虐な刑罰」である。 刑法では「死刑執行は絞首刑により行う」と規定されているが、その詳細な方法に関する規定はない。絞首刑の具体的な方法を定めた法律がないことから、死刑制度は日本国憲法第31条が定めた「法定手続の保障」に違反する。検察側は「死刑執行方法は1873年(明治6年)の太政官布告(絞罪器械図式)で規定されており、その布告は日本国憲法下でも有効である」と反論した。 かつて死刑執行に携わった刑務官らは過酷な職務に苦痛を受けている。死刑執行に関与する刑務官には苦役となることから、死刑制度は日本国憲法第18条で保障された「苦役からの自由」を侵害する。検察側は「死刑執行に携わる刑務官に関する弁護人の主張は独自見解に過ぎない」と反論した。 弁護人を務めた伊藤静雄・花井増実両弁護士は1987年6月30日付で「死刑制度の違憲性を立証するために必要な証拠調べの採用を却下されたため、公正な裁判が行われない虞がある」として、名古屋高裁に対し控訴審を担当する吉田誠吾裁判長、鈴木雄八郎・川原誠両裁判官の忌避を申し立てたが、名古屋高裁は1987年7月8日までに「弁護人の証拠申請を却下したからといって不公平な裁判をする虞はない」として申し立てを却下することを決定し、同決定に対する両弁護士からの異議申し立ても退けた。 1987年9月9日午後に開かれた第5回公判で、被告人質問に先立って弁護人が「死刑制度の違憲性」主張を立証するため、以下の5人を証人申請した。この時に弁護人は「死に直面する死刑囚の苦悩や、死刑制度に対する国民感情の変化を立証したい」と述べたが、検察側は「証人尋問は必要ない」として申請却下を求めた。 松山事件の冤罪被害者で再審無罪が確定した元死刑囚・斎藤幸夫 東京拘置所の勤務医時代に百数十人の死刑囚と交流した作家・加賀乙彦 死刑執行を体験した元刑務官、各国の死刑制度に詳しい専門家ら 弁護団は最終弁論までに斎藤ら14人の証人申請を行ったが次々と却下されたため、控訴審でも死刑判決が支持される公算が強まった。その後、主任国選弁護人・伊藤静雄弁護士は「訴訟指揮への不満」を訴えて辞任届を提出したが、名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)は1987年12月7日までに「辞任は認めない」という決定を出した。しかし伊藤が今後出廷しない方針だったため、名古屋高裁は残る1人の国選弁護人・花井増実弁護士を副主任弁護人に指定した上で、花井からの要望を受けて同月9日に予定していた第8回公判(最終弁論)を翌1988年1月12日に延期した。 1988年1月12日に開かれた控訴審第8回公判にて最終弁論が行われて結審した。被告人・勝田の弁護人が死刑判決の破棄・無期懲役への減軽を訴えた一方、検察側が死刑判決を支持するよう求めた。 1988年2月19日、名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴審判決公判が開かれた。名古屋高裁は第一審・死刑判決を全面的に支持して被告人・弁護人側の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した。 主任弁護人・伊藤は控訴審判決後、『中日新聞』(中日新聞社)の取材に対し「証拠調べ・事実認定・死刑違憲論議など、あらゆる点で審理が尽くされておらず承服しえない判決だ。「死刑は違憲」と確信しており、上告して争うべきだと考えている」とコメントした。 被告人・勝田は控訴審判決後、収監先・名古屋拘置所で接見した弁護人に対し「死刑違憲論の審理に期待していたが、名古屋高裁は証人申請を認めず踏み込んだ内容にはならなかった」と不満を語った。勝田は控訴審判決を不服として、自ら上告状を作成して1988年3月2日付で最高裁判所に上告した。
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控訴審・名古屋高裁
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「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「控訴審・名古屋高裁」の解説
2002年(平成14年)7月2日までに名古屋高等裁判所は「3被告人の控訴審初公判を翌2003年5月26日に行う」と決めた。 2003年(平成15年)5月26日に名古屋高裁(川原誠裁判長)で控訴審初公判が開かれ、検察官は控訴趣意書にて木曽川事件について「被害者Bを激しい暴行の末に雑木林内へ遺棄した結果、頭内の出血が促されて死期が早められたことは明らか。殺人罪が成立する」と主張した上で、2人 (KA・HM) を無期懲役とした第一審判決の量刑についても「被告人KAは主体的・積極的に集団暴行に関与しており、被告人HMもあらかじめ凶器を準備して実行行為にも積極的に関与した。量刑は著しく軽い」と述べ、第一審の求刑と同じく3被告人全員への死刑適用を訴えた。一方で3被告人の弁護人はそれぞれ「長良川事件の強盗殺人罪は成立しない」と事実誤認を主張し、以下のように「矯正は可能だ」と訴えた。 被告人KMの弁護人 - 死刑違憲論を展開して第一審破棄を訴えた。まずKM自身が執筆した「自分は主犯ではない。真実を述べ、それによって裁かれることこそが反省だ」とする控訴趣意書を代読し、その上で(弁護人による)控訴趣意書にて「社会的適応能力が身についていなかった未成年集団による犯行である点を事実認定・量刑に反映させるべきだ。長良川事件(強盗殺人と認定)にて被害者から金を奪った行為と暴行は別々の機会に行われており、一連の暴行は居合わせた女性をめぐる対抗意識や互いに虚勢を張る『強気の論理』が原因で、殺意はなかった。また『主犯=KM』という考えは、KMに反感を持った事件関係者が自己弁解のために作り上げたものだ」と主張した。 被告人KAの弁護人 - 「KAは形式上兄貴とされていたが、実際にはKMに追随していた。長良川事件では被害者Cへの殺意はなく、KAによるパイプの殴打も被害者Cに致命傷を与えるほど危険な暴行ではなかった。(C・Dへの)強盗殺人・(Eへの)強盗致傷ではなく監禁罪・傷害致死罪・恐喝罪の成立に留まる」と主張した。 被告人HMの弁護人 - 「長良川事件は連続した金品喝取の後の集団リンチであり、『強盗or恐喝+傷害致死or殺人』と2つの犯行に分かれる。大阪事件では最初に被害者Aの首を絞めるふりをしただけで、すぐにその場から離れており、殺害の実行行為・共謀は成立しない」と述べ、量刑面については「KM・KAに従わざるを得ない立場で虚勢を張ることを心理的に強制され、必要以上に乱暴にふるまった可能性がある。無期懲役は不当に重く、相当な範囲の有期懲役刑に処すべきだ」と主張した。 その後、控訴審公判は計36回にわたって開かれた。川原は退官後に『中日新聞』記者からの取材に対し、当時の訴訟の経緯について「3被告人の主張は犯行時の言動をめぐり互いに矛盾していたが、『それぞれの言い分をぶつけ合えば真実が浮かび上がる』と考え、3被告人に被告人質問による多数の発言機会を与えたところ『3人の役割には刑を分けるほどの差はない』という心証になった。3被告人が反省を深めていることは感じていたが、犯行の行為・結果に照らせば極刑を避けることは考えられなかった」と述べている。 2003年6月30日の公判では検察官の証人として、木曽川事件の被害者Bの司法解剖を行った医師が出廷し「暴行の態様から、死因は検察官が第一審で主張したように硬膜下血腫である可能性が高い」と証言した。 2005年(平成17年)3月15日の公判で初公判から約10年にわたった事実審の証拠調べが終わった。同日は長良川事件・被害者Cの父親が被害者遺族の代表として意見陳述し「私は10年間お前たちを見続けている。お前たちは『生きて償いたい』というが、どのように償うのか聞きたい。私はお前たちが社会に出てくることを望んでいない」と陳述した。 控訴審は2005年8月19日の公判で結審した。同日、検察官は「4事件の結果はあまりにも悲惨で重大。木曽川事件は殺人罪が成立する」「3被告人の役割に差はなく、死刑が相当だ」と主張し、改めて3人全員への死刑適用を求めた。一方で3被告人の弁護人はそれぞれ各被告人の事件における主体的な役割を否定し、「一連の犯行は少年の未熟な集団が引き起こした最悪の結果だが、殺意・計画性はない。死刑や無期懲役は重過ぎる」と主張した。 被告人KMの弁護人 - 量刑不当を訴えた。 被告人KAの弁護人 - 「従属的な役割で、3事件のうち2事件については殺意がない」と主張した。 被告人HMの弁護人 - 「1事件には関与しておらず、残る2事件でも殺意はなかった。十分反省している」として有期刑を求めた。
※この「控訴審・名古屋高裁」の解説は、「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の解説の一部です。
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