伊東静雄
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伊東 静雄(いとう しずお、1906年(明治39年)12月10日 - 1953年(昭和28年)3月12日)は、日本の詩人。現在の長崎県諫早市出身。
- ^ 下村氏ノーベル化学賞受賞 長崎新聞 2008年10月10日閲覧
- ^ 萩原朔太郎が編んだ『昭和詩鈔』(冨山房百科文庫、復刻1977年)にも収録された。
- ^ 三島は十代後半に、生涯一度だけ大阪で会っている。1942年(昭和17年)の三島宛の葉書では「これからも沢山書いて、新しき星になつて下さい、それを信じて待ちます」と三島を励まし作品を評価している。しかし、戦後公開された日記の中では、三島のことを「俗人」「三島から手紙。面白くない。背伸びした無理な文章」などの酷評が残されている。また伊東が三島を「吹けば飛ぶような小才子」と評したとの証言も明らかにされた。三島は『新潮』1966年11月号に「伊東静雄の詩 わが詩歌」で「あの人は一個の小人物だつた。それでゐて、飛び切りの詩人だつた」と述べ、三島に与えられた「俗人」という評価に抗しつつ、その世俗に汚れなかった繊細な魂と詩を哀悼、賞賛し、全集推薦の辞でも「伊東静雄氏は私のもつとも敬愛する詩人であり、客観的に見ても、一流中の一流だと思ふ」と述べている。
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)35頁
- ^ 第7刷が最終。刊行後に判明した追補資料が別刷りで添付されている
- ^ 収録作品は、伊東静雄詩集(わがひとに与ふる哀歌/夏花/春のいそぎ/反響抄/反響以後/拾遺詩篇より)と、日記抄。
- ^ 16歳から23歳までの書簡133通と資料解説
- ^ 近年発見され、高校時代より大学国文科をへて中学校教員になるまでの日記5冊分を、編者による詳細な注釈を付け完全収録。編者の柊和典・吉田仙太郎・上野武彦3名は、伊東が住吉中学校(旧制)の教員時の生徒。
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