リルケと日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 18:00 UTC 版)
「ライナー・マリア・リルケ」の記事における「リルケと日本」の解説
1901年にパリに出たリルケはリュクサンブール博物館で葛飾北斎や鈴木春信の浮世絵を観て、またゴンクールの浮世絵研究『北斎』に触れ、深い感銘を受けた。1904年にスウェーデン旅行を行なった際には、その途上のデュッセルドルフで北斎や喜多川歌麿、鳥居清長らの浮世絵を研究し、スウェーデンには北斎の『漫画』を携えていった。1907年の『新詩集 別巻』には北斎を主題にした詩「山」が収録されている。また1920年にフランスの文芸誌『新フランス評論』で日本の俳句が特集されるとリルケはこの独特の詩形に興味を持ち、「ハイカイ」と題するフランス語による3行詩を三度制作している。 日本においてリルケはまず森鷗外によって断片的に訳されたのち茅野蕭々『リルケ詩抄』(1927年)によって本格的に紹介され、とりわけ堀辰雄、立原道造、伊藤静雄ら「四季」派の詩人に影響を与えた。 他にドイツ文学での作家では片山敏彦、川村二郎、古井由吉が訳している。
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