吉田仙太郎とは? わかりやすく解説

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吉田仙太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 14:23 UTC 版)

吉田 仙太郎(よしだ せんたろう、1926年2月 - 2015年4月[1])は、日本のドイツ文学者翻訳家大阪女子大学名誉教授。関西チェコ / スロバキア協会顧問。

来歴・人物

大阪府生まれ。。旧制大阪府立住吉中学校旧制大阪高等学校広島高等学校を経て、1951年に京都大学独文科卒。岡山大学講師、大阪女子大学助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。

トーマス・マンホーフマンスタールなど主に20世紀のドイツ語作家について研究した。フランツ・カフカが専門。新潮社「全集」版では膨大な手紙を訳・担当した。大阪女子大学時代の弟子・中堂恒朗によれば、その訳業は学会でも高く評価されたという[2]

1963年から、大阪府立大学と大阪女子大学との混声合唱団EWA CHORで顧問を務めた[3]

2003年には、広島高等学校時代の先輩である俳人・目崎一三の遺稿詩文集を旧友たちと再刊した。「遺稿集には目崎さんの文才が見事に集まっている」と評している[4]

2006年11月瑞宝中綬章受章[5]。この頃、京都大学大学院ドイツ語ドイツ文学研究室の学生たちと定期的に勉強会を自宅で開いており、受勲のお祝いの言葉を学生からかけられた際、「こんなことで喜ぶとおもっているのか」と電話を切ったが、実際は「ぼくのネックレスだよ」とうれしそうに語っていたという話もある。

晩年の2010年に『伊東静雄日記 詩へのかどで』(思潮社)を共編[6]刊行した。

翻訳

脚注

  1. ^ 吉田仙太郎:みすず書房”. www.msz.co.jp. 2021年8月7日閲覧。
  2. ^ 中堂恒朗「吉田仙太郎先生」『女子大文学. 外国文学篇 川上・吉田両教授退職記念号』第40巻、大阪女子大学英文学科、1988年、13-14頁、hdl:10466/10497ISSN 0286-9276 
  3. ^ EWA CHOR 年譜|大阪府立大学混声合唱団 エヴァ・コール OB・OG会 (EWA CHOR OB・OG会)”. ewachor.jp. 2020年1月29日閲覧。
  4. ^ 福山誠之館・原爆に散った学徒兵 目崎一三の詩才知って”. wp1.fuchu.jp. 2020年1月29日閲覧。
  5. ^ 平成18年秋の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 19 (2006年11月3日). 2007年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月19日閲覧。
  6. ^ 詩人・伊藤静雄は旧制高校時代に接した。新たに発見された日記。編者は他に柊和典(編集者)・上野武彦(図書館長)で各・後輩。

参考




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