死刑囚・少年KA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:49 UTC 版)
「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「死刑囚・少年KA」の解説
加害者少年K・A(以下「KA」と表記 / 長良川事件の当時19歳・現在46歳)は1975年7月21日・大阪府松原市生まれ。刑事裁判では傷害罪・殺人罪・監禁罪・強盗致傷罪・強盗殺人罪・死体遺棄罪・暴力行為等処罰に関する法律違反に問われ、第一審・名古屋地裁判決 (2001) では「木曽川事件は傷害致死罪。被告人KMに従属的な役割だった」と認定されたことから被告人HMとともに無期懲役を言い渡されたが、控訴審・名古屋高裁判決 (2005) では「木曽川事件は殺人罪。被告人KMとは罪責に差はない」と認定されKM・HM両被告人とともに死刑を言い渡された。2011年4月1日付で死刑判決が確定し、2019年10月1日時点で死刑囚として名古屋拘置所に収監されている。 死刑囚3人の中では所属暴力団において最上位で、共犯KMとの初対面時は「山口組所属」と自称していたが、大阪事件の共犯・少年UはKAを「突っ張っていたが、根は気が弱くて喧嘩もできないような奴」と評している。弁護人によれば第一審の間は自ら死刑を求めていたが、判決公判では無期懲役を言い渡された一方で「兄貴分の立場にありながら犯行を止められなかった事なかれ主義が最悪の結果を招いた」と断罪され、人目をはばからず号泣していた。2008年時点では名古屋拘置所内で請願作業(時給二十数円)を続け、その収入を被害者遺族に送ろうとしており、被害者遺族への謝罪の手紙を書き続けていたほか、後述のように上告中は#木曽川事件の被害者遺族と面会していた。また青木宛の手紙で、事件について「悔やんでも悔やみきれない。自分自身でもこのような大きな事件を起こしたことが信じられず、『人との出会いが人生を左右する』と思えてならない」と述べている。 死刑確定後の2013年1月に名古屋高裁へ再審請求したが、2016年12月に最高裁で請求棄却が確定し、同月中に名古屋高裁へ2回目の再審請求を行っている。
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