死刑執行とその後とは? わかりやすく解説

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死刑執行とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:40 UTC 版)

永山則夫」の記事における「死刑執行とその後」の解説

1997年平成9年7月25日午後法務省矯正局刑事局死刑執行に関する秘文書会議され、同月28日には松浦功法務大臣東京高等検察庁の濱邦久検事長永山死刑執行命令し東京拘置所永山収監先)にも矯正局から「8月1日永山則夫ら、死刑囚2人死刑執行されたい」と連絡入った奇しくも同日にはその永山への面会人(女性)が東京拘置所訪れ、「身元引受人のことについて面会に来た。金銭差し入れたい」という旨を伝えた死刑執行4日後に控えていたため、東京拘置所幹部たちは彼女を永山面会させることに否定的だったが、処遇部長首席との議論結果引受人の話は認めるが、差入れ許可しない時間17時まで」との条件面会許可した。この時、永山本人死刑執行間近に迫っていることを感じノート執筆当たっていたが、その際には「自分は(死刑執行時に徹底的に抵抗し無残な遺体になるかもしれない」「東京拘置所朝食薬物混入させ、摂取させることで身体のコントロールを効かなくするかもしれない遺体解剖して死因突き止めてほしい」という言葉ストレートに書いたほか、同様の内容暗号パズルなどを用いて記載していた。また週刊文春の報道によると、「本省忖度し執行しようという当時所長の意を汲んだ幹部職員が『死刑執行できない事情無し』という法務省望んだ答えそのまま結論ありき報告書作成し提出したとされる死刑囚永山則夫はこの死刑執行指揮により、死刑確定から7年3か月後となる1997年8月1日東京拘置所死刑執行された。同日8時25分、永山独房から「面会だ」と呼ばれて出房させられたが、やがて廊下出てから多数刑務官取り囲まれたことで刑場連行されることを悟り激しく暴れた。しかし刑務官たちに制圧され10時過ぎに首にロープ巻かれた状態で絞首刑執行され同日10時39分に死亡した48歳没)。 永山遺体法律により、24時間拘置所内の遺体安置室置かれたが、翌日8月2日)に拘置所車でもう1人死刑囚遺体とともに四ツ木斎場運ばれ火葬された。これについて、坂本 (2010) は「事前会議では『遺体火葬し遺骨引き渡す』と決まっていた。拘置所永山激しく抵抗し死刑執行される前の時点流血し、激し暴行受けたことで無残な姿になっていたため、その証拠隠滅するために遺体焼却された」と述べている。なぜならば、本来は死刑執行後、遺体遺族身元引受人引き渡すのものであるが、拘置所引受人である弁護士に遺体見せず東京都葛飾区斎場にて火葬した4日に、遺骨引き取りに来るよう通知したとされるためである。 差し戻し上告審国選弁護人務めた弁護士遠藤誠死刑執行を受け、4日午後に永山遺骨引き取った葬儀遺骨引き取った遠藤喪主務め同年8月14日林泉寺東京都文京区)で営まれた。遺骨故郷の海であるオホーツク海に、元妻だった和美の手によって散布された(差戻し控訴審中に離婚成立)。死後永山の「著作印税国内世界貧し子どもたち寄付してほしい」という遺言を受け、「永山子ども基金」が創設された。

※この「死刑執行とその後」の解説は、「永山則夫」の解説の一部です。
「死刑執行とその後」を含む「永山則夫」の記事については、「永山則夫」の概要を参照ください。

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