木曽川事件の被害者遺族
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「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「木曽川事件の被害者遺族」の解説
一方、木曽川事件の被害者Bの遺族も第一審の公判では実母が「『息子Bが激しい暴行を受けて死んだ』と知り、ショックで約1か月間仕事にも出かけられなかった。犯人たちにはできるだけ厳しい処罰を与えてほしい』と述べていたほか、Bの実弟も「犯人を許せない。早く極刑に処してほしい」と述べ、それぞれ厳しい処罰感情を明らかにしていた。また控訴審判決前もBの母親・弟は『毎日新聞』(毎日新聞中部本社)の取材に答え、母親は「できるならこの手で3人を殺してやりたい」、弟も「死刑で死ぬのではなく、無期懲役で一生苦しんでほしい」と処罰感情を表明していた。 しかし控訴審判決後、Bの母は被告人KAから出された謝罪の手紙を読んだことに加え、KAの弁護人・村上満宏(愛知県弁護士会)からの勧めもあって2006年4月12日、Bの弟(四男)とともに名古屋拘置所へ出向き、当時上告中だった被告人KAと面会した。その際、Bの弟は謝罪の言葉を繰り返し述べたKAに対し「誰か止める者はいなかったのか」「殴っているときは気持ちよかったのか」「兄は最後、何を言っていたのか」などと激しく詰問したが、同時に「希望を持て」「生き続けろ。頑張って出て来い。そうしたら兄の分、お前を10発殴ってやる」と声を掛け、Bの母親も「出てきたらBに線香をあげてほしい」と語りかけた。その後、2人は面会終了時に互いを隔てるアクリル板をそれぞれ掌で挟み込むことでKAと「握手」をしていた。2008年夏に青木からの取材に対し、Bの母は「息子のことを忘れたことは1つもないし、(KM・HMを含めた)3人を赦すつもりにはなれない。しかし3人ともずいぶん反省しているようだし、死刑になっても自分たちの気持ちは癒えない」と述べたほか、Bの兄も「赦すか否か以前に『KAは本心から反省している』とわかった。(KAを)死刑にするより、反省し続けて生きてほしい」と述べている。 その後、Bの兄(7歳年上)もKAからの謝罪の手紙を読んだことに加え、母・弟がKAと面会したことを知って2009年4月7日に村上らとともに初めてKAと面会した。その面会の際、Bの兄はKAに「頑張って社会に出てこい」「お前から送ってもらっているお金(KAが獄中で自ら志願して行っている内職により貯め、被害者遺族に送金している金)はありがたい。仏壇に上げている」「人の温かさを忘れず、人を裏切るな。ちゃんと人を信じて約束を守れ」などと声を掛けていた。その後もBの兄は弁護人・村上に対し「KAはきちんと反省しているので死刑にしないでほしい。もし死刑になるなら自分を死刑にしてほしい」などと書いた嘆願書を託したほか、青木(2012)によれば死刑確定後も面会を続けている。
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