初公判から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:14 UTC 版)
3被告人の初公判は、2008年9月25日に開かれた。3被告人とも、起訴事実のうち被害者Aの殺害については認めたが、それぞれ「殺害を主導したのは自分ではない」「殺害の計画性はない」と主張。以下のように争った。 争点表検察官の主張KT(および弁護人)の主張堀側の主張「山下」側の主張罪状認否 詳細が一部異なる 「Aに手錠をかけた」という点は事実ではない 殺害方法の順番が異なる 計画性3被告人の間で、事前に殺害に関する合意があった。周到な計画性まではなかったが、元から無差別に通りがかりの女性を狙うことを決めており、刑事責任を軽くする要因にはならない。 虚勢を張り合う中で起きた偶発的な犯行であり、殺害方法や場所も決めていなかった。計画性は認められない。 強盗殺人などの共謀の成立時期事件当日15時ごろ、KTの「最後は殺しちゃうけど、いいよね」という言葉に堀と「山下」が賛同した時点 共謀の成立 - ファミリーレストランを出て車に乗り込んだ時。(堀からハンマーを見せられ「顔を見られたら殺すのか」と発言したのは)冗談交じりの発言に過ぎない。当初は強盗殺人までは考えていなかったが、2人が殺人まで考えていると聞き、「強盗の誘いを断れば、自分が襲われる」と思い、承諾したような返事をした。殺意 - 確定的ではなく、最悪を想定した未必的なもの。金槌による殴打は確実に殺害するためではなく、Aが長い間苦しまないようにするため 殺害現場で共謀が成立した。(左のKTの発言に対し)「そうですね」と応じたのは、その場限りでの発言だ。 (左のKTの発言に対し)「仕方ないでしょう」と応じたのは見栄を張るためで、当時は殺人まで犯すつもりはなかった。 犯行への関与の程度特定の誰かが主導したわけではなく、3人がいずれも重要な役割を果たしており、刑事責任は同等。 Aの首を絞めていた時点で、「山下」は運転席にいた。 首謀者は『闇の職安」で呼びかけた自分だが、3人は同格。主犯はKT で、KTと堀の責任は自分より重い。(殺害行為には)KTと堀がAの首を絞めるなど殺害行為をしていたため、やむを得ず加わった が、それまでは車の外にいた。 分け前は平等で、(自分たち3人は)同格だった堀がAから暗証番号を聞き出した後、「もうやっちゃいましょうか』と自分に殺害を提案してきたが、「まだ暗証番号が本当なのかわからない」と思い、首を絞めて失神させようとした。しかし「山下」がAを襲い、騒がれる恐れがあったため、殺害せざるを得なくなった。 KTが犯行を主導していたKTから「素手で殺害する」と言われ、犯行への加担を決意した が、それまでは拉致して金を奪うことはともかく、「殺す」という話は出ていなかったし、殺害を提案された際には疑問を感じたが、反対はしなかった。 量刑判断における被告人側の事情預金の引き出しに失敗したことから、次の強盗殺人を計画するなど、犯罪性向と反社会性が根深い。3被告人の刑事責任は同等で、「山下」の自首も反省に基づくものではなく、刑の減軽には値しない。 (弁護人)幼少期から安定した生活を送れず、社会への適応が困難だった。計画性がない点、被害者が2人である点や、殺害方法も(他の死刑事件と比較すると)残虐性が低い点などに照らし、無期懲役か有期懲役が妥当だ。 (本人)KTが30回以上、Aの頭部を殴打したのを見て「もういいんじゃないか」と言ったが、KTは殴るのをやめなかった。(弁護人)性格は柔和で犯罪性向は低く、犯行を深く反省している。矯正不可能とはいえず、生きて罪の償いをさせるべきだ。 (弁護人)犯行は従属的。自首は事件直後、良心の呵責に耐えきれず行ったもので、「山下」の自首によって捜査が容易になった。法廷での発言はともかく、心底では反省している。 一方、第2回公判(2008年10月10日)および第4回公判(2008年10月31日)に証人として出廷した「杉浦」は、「KTがグループに加わって以降、強盗殺人の話が出るようになった」と証言した。 被告人3人は当初、いずれも被害者Aや遺族への謝罪の弁を述べず、KTは自身の交際相手に対し、Aを侮辱したり、事件を「仕事」と形容したりする内容の手紙を書いたが、その手紙についてKTは「犯行時の正直な気持ちを書くよう求められてそう書いた」と説明した。「山下」は第6回公判(11月7日)で、KT・堀の両被告人に対し、「(被告人としてこの場にいるのは)お前らのせいだ」と暴言を吐き、第14回公判(12月11日)の被告人質問の際、検察官から「(被害者への心境などについての質問に対する答えが)他人事のように聞こえる」と指摘されたり、近藤裁判長からも「開き直っているのか」とたしなめられたりしていた。また、堀は証言の際に涙を見せたが、近藤から「他人のせいばかりにして、本当に反省しているのですか」と厳しく問い質される場面があった。 一方、第13回公判(2008年12月8日)では、同日以前から3被告人への極刑適用を求めた署名運動を行っていたAの母親B(後述)および、Aと交際していた男性Cが証人として出廷し、Bは「同種の犯罪を抑止するため、3人への死刑を臨む」と陳述。また、BおよびCは、Aが3人に伝えた虚偽の暗証番号「2960」の意味について、「Aは生前、よく数字の語呂合わせをしていた。『憎むわ』の意味だと思う」と証言した。加えて、KTおよび「山下」の父親は、それぞれ息子に対する量刑について「被害者や遺族に申し訳ない。極刑が妥当」と述べた。 検察官は裁判員制度を意識した ほか、2008年12月に施行された被害者参加制度を先取りする形で、法廷で被害者Aの写真を映し出すなど、視覚的に訴える立証に力を入れた。また、遺族が集めた極刑を求める署名(当時30万件以上)については、証拠採用はされなかったが、検察官が冒頭陳述・証人尋問・論告で繰り返しその存在について言及し、処罰感情の強さを強調した。
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