「山下」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:14 UTC 版)
2011年に無期懲役が確定した加害者「山下」(事件当時40歳)は1966年(昭和41年)生まれ・石川県金沢市出身。「山下」は「闇の職安」で用いていた偽名であり、本名のイニシャルは「K・K」である。2019年(令和元年)6月29日時点で、刑務所に服役中である。 子供のころに腎臓病を罹患したことが原因でいじめを受け、高校進学後からその反動で不良として非行に走るようになり、少年鑑別所に収監されたこともあった。高校を出た後、富山県富山市内で、大手警備会社に就職して7年間勤務した。1999年(平成11年)8月、住宅ローンを組み、愛知県瀬戸市内の分譲マンションを購入。妻・子供4人と共に暮らしていたが、このころ(事件の8年ほど前)から携帯電話で闇サイトを利用し始め、「闇の職安」を通じて入手した偽の運転免許証を用いて、振り込め詐欺用の銀行口座を開設・販売していた。2000年(平成12年)ごろ以降は、愛知県内の運送会社を転々とした が、各社に提出していた履歴書には、多くの虚偽記載があった。 その後、金に困るようになり、住宅ローン・税金を滞納したため、2002年(平成14年)には瀬戸市などにマンションの部屋を差し押さえられた。2002年12月、瀬戸市内の運送会社に就職し、会社が借り上げたアパートに住み始めたが、それから数か月後には妻子に逃げられ、妻と離婚した。その後、2003年(平成15年)8月ごろにトヨタ・スターレットを、当時の職場(瀬戸市内の会社)を通し、毎月の給与から代金を天引きする形で購入。しかし2004年(平成16年)5月ごろ、荷物を積んだトラックを駐車場に放置したまま、会社に出勤しなくなり、車とともに夜逃げした。その後は同県尾張旭市の運送会社に勤めたが、そこでも給料を前借していたほか、他に警備会社・運送会社を転々とし、遺体遺棄現場となった瑞浪市周辺に住んでいたり、殺害現場付近の愛西市で勤務していた時期もあった。先述したように詐欺事件で執行猶予付きの有罪判決を受けて以降も、金欲しさから闇サイトへの投稿・閲覧を続けていた。事件直前、「仕事が嫌になった」と無断欠勤し、車中で路上生活を始めたが、その前の約1年間は、派遣工として月10 - 20万円の収入を得て生活していた。 逮捕後は「犯行場面の幻影を見て眠れなくなった」と精神安定剤を服用するようになり、曖昧な受け答えをするようになった。第一審でKTと堀が死刑を宣告された一方、自身は唯一死刑を免れる形となった際には、FNN記者との面会で以下のように発言している。 「自首したことが認められたことについてはよかったと思う。3人一緒に死刑だと思っていたから驚いた。誰のおかげで事件が解決したのかという思いだったから、満足している。〔A〕(被害者の実名)さんの前に、何人も物色しているんだから、彼女になったのは、運が悪かったからなんだって。今でも悪いことは、ばれなきゃいいという気持ちは変わらない。でも、生かしてもらえてよかった。ありがたい」 — 被告人「山下」、
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