「山あげ」と「余興公演」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 09:27 UTC 版)
「山あげ祭」の記事における「「山あげ」と「余興公演」」の解説
「笠揃」から「笠抜」まで、4日に渡り所作狂言(歌舞伎)や神楽などの余興公演を10数回市内各所にて行う。担当は当番町。余興公演は若衆達が舞台や太夫席、背景である「館」「波」「前山」「中山」「大山」等を公演場所で組み立て(山あげ)、公演中はそれら背景を特殊効果などで操作したり、花火や音響、光等で幻想的に演出する役割も請け負っている。公演が終わるとそれらを素早く解体し、舞台を変形させて「地車(じんぐるま)」にして積み込み、次の公演場所に向かう。当番町がこれら山あげの役割を担う為におよそ100名からなる若衆が必要で、また、舞台の設営や撤収の動作が非常に機敏なのは、各町内同士の対抗意識から来ている。早く、正確である事は大変誉れなことで、逆に不手際により設営に手間取ったり、次の公演場所へ向かう先陣隊となる「地車」の担当若衆達が上手く「地車」を操作出来なかったりすると、市民から囃されたり、煽られたりする場面が見られる。 現在、所作狂言(歌舞伎)は地元の山あげ祭り保存会芸能育成部の部員が演じる。代表的な演目は「将門」「戻り橋」「子宝三番叟(こだからさんばそう、笠揃に必ず公演される)」「関の扉(下)(笠抜に公演される)」「老松(千秋楽として関の扉に続いて公演)」「吉野山」「蛇姫様」「梅川(上)」等。中でも「将門」は当町民の人気も高いため一番公演機会が多く、山あげ祭りのマスコットともいうべき「ガマ」が登場する。演目が始まって暫くすると、滝夜叉姫を乗せたガマが花道奥からゆっくり舞台前に移動してくる。町内の演出担当によって異なるが、大抵の「ガマ」は口から煙を吐き、目を光らせるという様な演出が施されている。公演が終わり、次の公演場所に移動する際、「ガマ」は「地車」の一番上にちょこんと置かれて移動するのが各町内の決まり事でもある。近年は地方(演奏)、常磐津(浄瑠璃=語り)さらに以前は手で奏でられた雷などの効果音までも音響機器が導入され、舞台の前に有料の観覧席を設けるなど変化も見受けられる。 舞台から約100メートルの間に「波」「館」「木」「前山」「中山」「大山」等を設置する。若衆は「木頭」をリーダーとし、「副木頭(金井町のみ行司)」が補佐を行う。約100名の若衆は各部門毎に分担して作業を行い、各部門では「主任」がリーダーとなる。特に「前山」「中山」「大山」を組み立て、上げる作業には大変手間と時間がかかるため、各部門は自部門の作業を終えたら直ぐに山の作業を手伝うために走る。これら一連の作業で若衆達の団結と連携が強まって行く。
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