初入閣後
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2010年9月、菅第1次改造内閣において経済産業大臣として初入閣。入閣に伴い、民主党茨城県総支部連合会会長を退任。 2010年9月29日、現役閣僚の経済産業大臣として出席中国建国61周年を祝うレセプションに出席が判明した。 2010年11月16日、中国のレアアース禁輸処置に世界が揺れる中「中国とレアアース(希土類)の代替材料やリサイクル技術を共同研究したい」との意向を示した。 2011年1月に行われた菅第2次改造内閣の組閣では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加に積極的な海江田万里の経産相就任に伴い国土交通大臣へ補職変更となった。それに加えて、国務大臣としての担当事項として「海洋に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」も新たに担当することになった。 同年6月2日の菅内閣不信任決議に一旦は賛成を表明した鳩山と対立し、鳩山グループ会長を辞任する意向を示した。6月30日、鳩山の会長復帰に伴い顧問に退く。菅総理の退陣に伴う8月の民主党代表選では、農林水産大臣の鹿野道彦を「尊敬する政治家」と評価し推薦人となるが、鹿野は1回目の投票で4位に終わる。大畠は代表選後に鳩山グループを脱退。素交会(鹿野グループ)の旗揚げに参加し、会長代行に就任する。2011年9月、野田内閣発足に伴い国土交通大臣を退任した。10月21日、衆議院憲法審査会会長に就任。 2012年12月、民主党代表代行に就任。また、素交会(大畠グループ)会長に就任。 2013年7月、代表・海江田万里の下で民主党幹事長に就任。 2014年4月、日本記者クラブで記者会見し、今夏に民主党代表選挙を実施することもあり得るとの認識を示した。会見後、「進退は代表が判断すべき事項で、私が特定の時期を指定したり、否定したりすべきではない。一般論として応答した」と釈明するコメントを出した。 2014年9月、民主党幹事長を退任。 2015年11月、フランスレジオン・ドヌール勲章オフィシエを受章。 2015年12月、民主党副代表に就任。 2016年2月、今期限りでの政界引退を表明した。3月、自身の公設秘書で日立労組役員の浅野哲を後継指名した。 2017年4月、民進党茨城県連会長に就任。 2017年10月の第48回衆議院議員総選挙に出馬せず政界を引退。後継候補の浅野は茨城5区から希望の党公認で出馬し、小選挙区で敗れたものの比例区で復活当選を果たした。 2018年春の叙勲で旭日大綬章を受章。
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