初優勝時のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 20:39 UTC 版)
1998年、ネピアカップ前日に帰宅途中バイクで転倒し、自分の上にバイクが乗った状態になる。足や肋骨に痛みを感じながらも,大会出場のために東京の芝ボウリングセンターに出向く。事故のため、ボール検量後の練習ができず、ぶっつけ本番で選抜大会の8ゲームに挑み、カットラインから数えて11番目の42位でなんとか予選進出を決める。 大会2日目は起きられなくなり、息をするのも痛い状態になってトレーナーに相談したところ「ひびか骨折」と言われたが、予選12ゲームに出場。11位で準決勝に進出。準決勝8ゲームでさらに順位を上げ、5位で決勝ラウンドロビン進出と、日に日に上昇カーブを描いていく。ところが、前半4ゲームを2勝2敗のタイにするも,翌日のスタートからいきなり3連敗で7位まで順位を落とす。しかし,師匠である木村俊代のアドバイスを受けながら終盤のビッグゲームで第4シードを獲得し,テレビ決勝に進む。 決勝ステップラダーでは、斉藤志乃ぶ、川崎八千代、稲橋和枝を撃破。優勝決定戦では、前年、師匠の木村を決勝で下した因縁の相手、中島政江と対戦。200-175で下す。21歳での初優勝は、小磯尚美、並木恵美子と並ぶ最年少タイ記録。大会後、神戸に帰って受診したところ、肋骨2本の骨折が判明。以後、バイクに乗るのは控えている。
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