初優勝から大関へ
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2018年1月場所は初日から連勝し、4日目に大関の高安、5日目に同じく大関の豪栄道に勝利し好調な幕開けとなった。7日目に横綱で全勝同士の鶴竜に敗れるものの、8日目の嘉風戦は難なく勝利し、9日目に1敗同士の関脇・御嶽海戦でも持ち味の力で圧倒した。13日目に自分より38kg重い逸ノ城を右の相四つで下すなど力相撲が冴え渡り、14日目には自身と同じ2006年3月場所初土俵の松鳳山を下し、この時点で春日野部屋では1972年(昭和47年)1月場所の初代栃東以来46年ぶり、平幕力士としては2012年5月場所の旭天鵬以来6年ぶりとなる幕内最高優勝を決めた。千秋楽も遠藤に勝利し、最終的に鶴竜以外全勝の14勝1敗として、初の殊勲賞、2度目の技能賞受賞が決まった。三賞ダブル受賞は2015年9月場所で殊勲賞、技能賞の嘉風以来。3横綱の内2人が休場し、平幕が優勝を果たした例は、戦後15日制下ではこれが3例目であり平成としては最後の平幕優勝となった。躍進の背景には、生まれたばかりの長女に自分の強いところを見せたいという気持ちがあった。この優勝により、部屋の特等床山の床松が1年半後の定年を迎えるまでの間に、床松に部屋の幕内優勝力士の髷を結わせてあげることが実現した。ちなみに、優勝パレードの旗手は同部屋でブルガリア出身、十両の碧山だった。さらなる躍進を妨げないために、場所後1滴も酒を飲まなかった。2月11日の第42回大相撲トーナメントでも初優勝を決めている。14日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見し、そこでジョージアのギオルギ・マルグヴェラシヴィリ大統領から日本の国民栄誉賞に相当する勲章を授与された。自身の活躍によりジョージアでの相撲人気が高まっている中、栃ノ心は「向こうに一つでもちゃんとした土俵をつくりたい。そこで、欧州大会や世界大会がやれたらうれしい」と希望した。2018年2月11日の第42回日本大相撲トーナメントでは、この時点で本場所では25戦全敗と苦手としている白鵬を右四つがっぷりからの寄り切りで下した。3月場所は西関脇に昇進。30歳4ヶ月での関脇昇進はこの時点で外国出身力士の高齢三役昇進記録第5位。高齢関脇昇進記録としては第3位。その3月場所では場所前に左足付け根を痛めるアクシデントがあり、1月場所の好調が影を潜める苦闘の相撲であったが千秋楽に逸ノ城を下して10勝目を挙げた。5月場所は最高位となる東関脇に昇進。初日から12連勝と好調の波に乗り、また12日目に本場所で初めて苦手の白鵬から26戦目にして本割で初めての勝ち星を挙げた。13日目の正代、14日目の鶴竜と連敗を喫して2度目の優勝を逃したが、千秋楽は勢に勝って13勝2敗とした。この結果、日本相撲協会審判部が栃ノ心の大関昇進を協会理事会に諮問するよう要請することとなった。そして5月30日に日本相撲協会理事会及び7月場所番付編成会議により栃ノ心の大関昇進が正式に決定、直ちに春日野部屋に昇進伝達の使者が派遣され、栃ノ心は「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進」と口上を述べ、これにより栃ノ心は春日野部屋所属力士としては1962年5月場所後の栃ノ海(後に第49代横綱)・栃光の同時昇進以来の大関昇進となり、また琴欧洲(ブルガリア)、把瑠都(エストニア)に続く3人目のヨーロッパ出身者の大関誕生となった。三役経験者が幕下陥落後に大関昇進を果たしたのは、昭和以降では琴風(現・尾車親方)と栃ノ心だけであり、その尾車親方は「立派なものだ。けがをして半年間や1年間土俵に立つことができない力士にも、『栃ノ心を見てみろ』と言ってあげることができる。勇気を与える」と手放しで褒め称えた。
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