熊谷徳久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 14:04 UTC 版)
本事件の加害者である熊谷 徳久(くまがい とくひさ)は1940年(昭和15年)5月8日生まれだが、戦災孤児でもう1つの戸籍があり、そちらでは「1938年(昭和13年)1月25日生まれ」となっている(後者の戸籍名は「入佐 求」)。熊谷本人は自著 (2006) で、「1938年1月25日に鹿児島県川辺郡枕崎町(現:枕崎市)で私生児として生まれた。自分の本来の名前は『求』(もとむ)だった」と述べている。 刑事裁判の第一審では無期懲役判決を、控訴審では死刑判決を言い渡され、2011年3月1日に最高裁で上告棄却判決を受ける。同年3月12日付で死刑が確定し、死刑囚・熊谷は2013年(平成25年)9月12日に収監先・東京拘置所で死刑を執行された(73歳没 / 法務大臣:谷垣禎一)。死刑確定後の2011年(平成23年)6月20日 - 8月31日には参議院議員・福島瑞穂が実施したアンケートに対し、「同年3月8日に(東京拘置所の独房から)脱走を企て、同月31日に懲罰(40日間)を受けた。また、同年6月24日にメガネのフレーム(鉄)で心臓を突き刺して自殺しようとしたができなかった」と述べている。
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