熊谷氏の惣領として復権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 21:36 UTC 版)
その後帰国した直経は、南朝:正平2年/北朝:貞和3年(1347年)に、可部の街を見下ろす要衝の高松山に三入高松城を築城し、新たな居城とした。そして分割された所領を幕府の権威等を巧みに使い、宗家に統合。これにより、戦国時代に熊谷氏が雄飛する基礎が完成することとなった。 南朝:正平4年/北朝:貞和5年(1349年)、67歳の時に嫡子・直明が誕生。それ以前に武蔵国熊谷郷の一族から養子を迎えていたが、これを廃して嫡子とした。 南朝:正平20年/北朝:貞治4年(1365年)に嫡子の直明に家督を譲って隠居、同年に死去した。
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