熊谷敬一とは? わかりやすく解説

熊谷敬一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 23:54 UTC 版)

熊谷 敬一(くまがい けいいち、1886年7月8日 - 1962年1月17日[1])は、日本の陸軍軍人第15師団長、留守第4師団長を歴任する。階級は陸軍中将勲一等

経歴

静岡県出身。静岡県立静岡中学校を経[2]1907年(明治40年)5月31日、陸軍士官学校を卒業。同年12月26日、陸軍歩兵少尉に任官 。1917年(大正6年)、陸軍大学校29期)卒業。1922年(大正11年)12月12日、大尉の時、アメリカ大使館付武官補佐官に就任し、1924年(大正13年)10月14日までこの職に在る。以後歩兵将校として累進し、1931年(昭和6年)8月1日、陸軍大佐陸軍歩兵学校教官を命ぜられる。翌年8月8日鳥取連隊区司令官に移る。1933年(昭和8年)8月1日、歩兵第43連隊長を拝命する。

1935年(昭和10年)12月2日、第16師団司令部付に移り、1936年(昭和11年)3月7日、陸軍少将に進級する。同月23日、第16師団留守司令官に就任し、同年12月1日、歩兵第32旅団長に就任する。1939年(昭和14年)3月9日、陸軍中将に進級し、留守第4師団長に補される。1940年(昭和15年)4月29日、勲一等瑞宝章を受章し、翌月の5月28日、第15師団長に移る。1941年(昭和16年)8月20日、参謀本部付となり、同年10月15日待命、同10月30日予備役編入となる。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

陸軍大学校29期同期に、インパール作戦を指揮した牟田口廉也、士官候補生第19期同期に、第8方面軍司令官今村均大将第12方面軍司令官・田中静壱大将、航空総軍司令官・河辺正三大将、第1方面軍司令官・喜多誠一大将ら。

脚注

  1. ^ 熊谷 敬一 - Webcat Plus”. webcatplus.nii.ac.jp. 2022年6月9日閲覧。
  2. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 45頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。

熊谷敬一(陸士19期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 14:37 UTC 版)

駐在武官」の記事における「熊谷敬一(陸士19期)」の解説

大正11年12月12日-大正13年10月14日駐米大使館付武官補佐官陸軍歩兵大尉)。後に陸軍中将

※この「熊谷敬一(陸士19期)」の解説は、「駐在武官」の解説の一部です。
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