熊谷直実との所領争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 06:34 UTC 版)
建久3年(1192年)11月25日、熊谷直実と久下直光が所領の相論のため、頼朝の前で議論をおこなった。直実はうまく答弁できず、頼朝はすこぶる不審に思ったのだが、判決がでない内に直実は書類等を頼朝になげつけ、憤怒のあまり髻をきり遁世に及び、居宅にも戻らず西に向けて逐電したという(『吾妻鏡』)。
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