オウム裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:26 UTC 版)
その後も、中川智正(5月17日逮捕)、松本知子(6月26日逮捕)、岡崎一明(9月6日逮捕、後に宮前に改姓)、上祐史浩(10月7日逮捕)など教団幹部の逮捕は続いた。地下鉄サリン事件以降484人の信者が逮捕され、1998年(平成10年)までに189人が起訴された。 裁判に際して弁護側は麻原について「全て弟子の責任」として無罪を主張し、麻原以外の教団幹部について「麻原にマインドコントロールされていた」として減刑を主張した。また、麻原公判など一部の刑事公判では弁護士解任による公判延期や弁護士側の並行審理拒否や審理のボイコット、検察側が提出した申請証拠の不同意と法廷での直接尋問などの要求、被告人に訴訟能力はないとして控訴趣意書の提出を拒否したことなどは一部からは裁判の遅延行為と非難された。そのため、検察が松本・地下鉄両サリン事件の重軽症者を大幅に減らす訴因変更や被害者がいない事件の起訴を取り下げたりと、異例の裁判となった。 2011年11月21日に最後の上告審判決が言い渡され、同年12月12日にこれに対する判決訂正の申立てが却下されたことから、13人への死刑判決・5人への無期懲役判決が確定し、逃亡犯を除く全ての裁判が一旦終結した。 またオウム裁判の傍聴希望者は、麻原彰晃第1審初公判(1万2292人)、麻原彰晃第1審2回公判(5856人)、麻原彰晃第1審判決公判(4658人)、中川智正第1審初公判(4158人)、青山吉伸第1審初公判(3076人)と多く、世間の関心の高さを物語った。
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