オウム神仙の会時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 07:59 UTC 版)
「麻原彰晃#オウム神仙の会」も参照 当時、松本家は千葉県船橋市に住み、3女をもうけ貧しく家族全員で1つの寝室を共有していた。後の麻原の著書のいくつかは、知子が書いたものであった。麻原は子供に向かって「蚊に刺されると痒くていやだね。でも蚊も生きているんだよ」とか「お釈迦様によれば、私たちは死後生まれ変わり、もしかしたら蚊に生まれ変わるかもしれない」などと話していたが、一方知子は蚊を平気で殺していた。ヘビが苦手で麻原からヘビを見せられて気絶したこともある。 自著『転換人生』の中で20代に許容量をはるかに超える精神的葛藤のために、精神の異常が現れ始め、神経症に罹ったと告白。その後、対人恐怖症・外出恐怖症を発症、強迫神経症もひどくなる。三女によれば、1982年に麻原が薬事法違反で逮捕されたことや、宗教にのめり込み家に戻らなくなったことと関係しているという。このため、家庭でも精神不安定が目立ち、外で愛想のよい笑顔を浮かべた日に限って家庭では些細なことで怒りを爆発させていた。夫婦喧嘩の末に家出をすることもあり、「もう勝手にして!こんな家、出て行くわ」と叫びながらも実際に家を出るまで怒鳴りながら部屋と玄関の間を何往復もしていた。しかし、3姉妹の中で知子についていくものはなく、三女の麗華が気の毒になり何度か家出について行った。夕食の時間に戻らなかった時には麻原は、インスタントラーメンを作ろうとし湯を煮詰めて鍋を焦がしたことがあり、それ以降は長女にラーメン作りを依頼するようになる。
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