2012年死刑確定囚(11人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:38 UTC 版)
「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の記事における「2012年死刑確定囚(11人)」の解説
事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)岩手母娘殺害事件 (W) 2012年2月4日 2006年7月19日 1976年(昭和51年)12月17日生まれ。本籍地は青森県三戸郡五戸町。岩手県九戸郡洋野町の民家(母娘2人暮らし)に暴行・強盗目的で侵入して金品を強奪し、母娘2人を殺害して遺体を山林に埋めた。第一審では全面的に起訴事実を認め、2007年4月24日に盛岡地裁(杉山慎治裁判長)で死刑判決を受けた。控訴審(仙台高裁)以降は「産業廃棄物の不法投棄グループから犯人に仕立て上げられた」と無罪を主張したほか、上告審でも事実誤認・量刑不当を主張した。しかし、2009年2月3日に仙台高裁(志田洋裁判長)で控訴棄却判決を受け、2012年1月16日に最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた。上告審判決への訂正申し立ても、2012年2月2日付の同小法廷決定で棄却され、同月4日に死刑が確定。2015年12月18日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(39歳没)。 光市母子殺害事件 (O) 2012年3月14日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1999年4月14日 1981年(昭和56年)3月16日生まれ。2021年9月20日時点で広島拘置所に収監中(現在41歳)。少年死刑囚。犯行時の年齢(18歳1か月)は1966年以降の死刑確定囚として史上最年少。山口県光市の社宅に強姦目的で侵入し、計2人(住人の女性と生後11か月の娘)を殺害。第一審・山口地裁(渡辺了造裁判長・2000年3月22日)および控訴審・広島高裁(重吉孝一郎裁判長・2002年3月14日)は無期懲役判決だったが、広島高検が上告。最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)は口頭弁論を経て2006年5月20日に原判決破棄(広島高裁への審理差し戻し)判決を言い渡し、差し戻し後の控訴審・広島高裁(楢崎康英裁判長)が2008年4月22日に死刑判決を言い渡した。2012年2月20日に最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立てを行ったが、2012年3月14日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。死刑確定判決となった2012年の差し戻し上告審判決では裁判官1人(宮川光治)が反対意見を述べ、死刑事件としては極めて異例の展開となった。 本庄夫婦強盗殺人事件 (I) 2012年3月2日(上告審判決宣告日) 2007年2月21日 1945年(昭和20年)4月28日生まれ。2007年2月21日、埼玉県本庄市の知人男性宅で、男性とその妻を殺害して現金1万円を奪った。第一審・さいたま地裁(飯田喜信裁判長・2008年3月21日)では無期懲役判決を受けたが、2009年3月25日に控訴審・東京高裁(若原正樹裁判長)で一審破棄・死刑判決。2012年3月2日に最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。2021年12月11日、収監先の東京拘置所で心不全により病死(76歳没)。 香川・坂出3人殺害事件 (K) 2012年7月12日 2007年11月16日 1946年(昭和21年)1月20日生まれ。金銭トラブルを抱えていた女性(義理の姉)とその孫姉妹の計3人を殺害。2009年3月16日に高松地裁(菊池則明裁判長)で死刑判決を受け、同年10月14日に高松高裁(柴田秀樹裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2012年7月12日に最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定。2014年6月26日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。 大阪連続強盗殺人事件 (K) 2012年8月4日 2000年7月29日2008年2月1日 1950年(昭和25年)1月3日生まれ。2000年7月に大阪市中央区の路上で中国人留学生からバッグを奪い、追いかけてきた被害者を刺殺したほか、2008年2月には大阪市北区の商業施設「D・Dハウス」にて強盗目的でナイフを用い、会社員男性を刺殺するなどした。後者事件の被害者はプロ野球選手(投手)・久保康友(事件当時は千葉ロッテマリーンズ所属)の義兄だった。2009年2月27日に大阪地裁(細井正弘裁判長)で死刑判決を受け、2009年11月11日に大阪高裁(湯川哲嗣裁判長)で控訴棄却判決を受けた。上告審では殺意を否認したが、2012年7月24日に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け、同年8月4日付で死刑が確定。2013年12月12日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。 ※横浜港バラバラ殺人事件 (I) 2011年6月16日 2009年6月18日 - 19日 1978年(昭和53年)1月31日生まれ。本籍地は神奈川県横浜市港南区。2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中(現在44歳)。男Kらと共謀し、男性2人(歌舞伎町の麻雀店経営者)らを千葉県船橋市内のホテルに監禁し、チェーンソーやナイフなどで殺害。遺体を東京湾(横浜市金沢区沖)や山梨県の山中に遺棄し、約1,340万円を奪ったほか、Kらと共謀して覚醒剤密輸などの事件を起こした。2009年6月24日に金沢区幸浦二丁目の岸壁で被害者の遺体が発見され、Iは覚醒剤密輸事件で逮捕された後、強盗殺人・死体遺棄などを自白した。2010年11月16日に横浜地裁第5刑事部(朝山芳史裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を言い渡されたが、朝山裁判長は判決宣告後、異例となる控訴を勧める説諭を行った。その後、弁護団が控訴したが、2011年6月16日にIが自ら控訴を取り下げた。弁護人が審理継続を申し立てたが、2012年7月に「死刑確定者」の処遇に切り替わった。裁判員裁判で初めて死刑判決を受け、確定した人物である。共犯Kは2009年12月15日付でICPOを通じて国際手配され、2011年時点でも指名手配中。 ※宇土市院長夫人殺害事件 (T) 2012年9月10日 2004年3月13日2011年2月23日 1971年(昭和46年)4月26日生まれ。2004年に熊本県宇土市にて強盗目的で女性を殺害し、2011年には熊本市の民家で夫婦を殺傷。2011年10月25日に熊本地裁(鈴木浩美裁判長・裁判員裁判)で死刑判決を受け、2012年4月11日に福岡高裁(陶山博生裁判長)で控訴棄却判決を受けた。その後上告したが、2012年9月10日に自ら上告を取り下げ死刑確定。裁判員裁判での死刑判決で刑が確定したのは3人目。2016年11月11日に福岡拘置所で死刑執行(45歳没)。 品川製麺所夫婦強盗殺人事件 (S) 2012年10月19日 2002年8月31日 1977年(昭和52年)9月7日生まれ・中国籍。2021年9月20日時点で東京拘置所に収監中(現在44歳)。強盗目的で東京都品川区の製麺所兼ラーメン店へ侵入し、同店の経営者(自身が当時住んでいたアパートの大家)夫婦を殺害した。2006年10月2日に東京地裁(成川洋司裁判長)で死刑判決を受け、2008年10月9日に東京高裁(須田贒裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2012年10月19日に最高裁第二小法廷(須藤正彦裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定。 群馬県暴力団組長等3人射殺事件 (T) 2012年11月14日 2001年11月 - 2005年9月 1955年(昭和30年)4月20日生まれ。山口組系暴力団元組長。組員と共謀して対立していた暴力団の組長ら3人を射殺した。配下の組員に指示し、2001年11月に群馬県碓氷郡松井田町(現:安中市)において土木作業員の男性(当時60歳)を射殺させ、2005年4月には安中市の自身の組の事務所を訪れた男性元組員(同35歳)を自ら射殺した。更に配下の組員に指示し、2005年9月には安中市内の路上において対立していた暴力団の組長の男性(当時61歳)を射殺させた。2008年2月4日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で死刑判決を受け、同年12月12日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決。2012年10月23日に最高裁第三小法廷(大谷剛彦裁判長)で上告棄却判決を受け、同年11月14日付で死刑が確定。2014年8月29日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。 山梨キャンプ場殺人事件(阿佐吉廣) 2012年12月11日(正式な確定は2013年) 1997年3月 - 2000年5月 1949年(昭和24年)5月21日生まれ。1997年3月頃、自身が経営する建設会社の従業員だった身元不明の男性を木刀で殴り、死亡させた。2000年5月には暴力団関係者(事件後に病死)らと共謀し、同じく従業員だった当時51歳と50歳の男性を絞殺。3人の遺体を山梨県都留市のキャンプ場に遺棄した。2人への殺人罪・1人への傷害致死の罪に問われ、2006年10月11日に甲府地裁(川島利夫裁判長)で死刑判決。2008年4月21日に東京高裁(中川雄孝裁判長)で控訴棄却判決を受けたが、上告審では第一審で「阿佐が被害者2人を殺した」と証言していた男性受刑者が証言を一転させ「阿佐は事件当時、現場にいなかった」とする陳述書を提出。結審後に再び弁論が開かれる異例の展開になったが、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は2012年12月11日に一・二審の死刑判決を支持して被告人・阿佐の上告を棄却する判決を言い渡し、訂正申し立ても2013年1月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定。東京拘置所に収監されていたが、2020年1月14日に気胸の症状が見られ、治療中の同年2月11日に間質性肺炎のため同拘置所内で死亡した(70歳没)。 お台場フィリピン人バラバラ殺人事件 (N) 2012年12月14日 1999年4月22日2008年4月3日 1959年(昭和34年)8月29日生まれ。1999年・2008年にそれぞれ交際していたフィリピン人女性2人を殺害した。1999年の事件後に被害者の死体を損壊・遺棄したとして死体遺棄・損壊罪などで検挙され懲役刑に処されたが、当時は被害者の死亡経緯が不明だったため殺人罪では立件されず、刑務所出所後の2008年に2回目の殺人事件を起こして逮捕。その後1999年の殺人容疑も認めたため、2人への殺人罪で起訴された。2009年12月16日に東京地裁刑事第17部(登石郁朗裁判長)で無期懲役(2008年の事件)+懲役14年(1999年の事件)の判決を受けたが、2010年10月8日に東京高裁第12刑事部(長岡哲次裁判長)で2008年の事件について一審破棄・死刑判決を受けた。2012年12月14日に最高裁第二小法廷(小貫芳信裁判長)で上告棄却判決を受けたことにより死刑が確定した。2020年(令和2年)12月13日に慢性腎不全のため収監先・東京拘置所内で獄死(61歳没)。
※この「2012年死刑確定囚(11人)」の解説は、「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の解説の一部です。
「2012年死刑確定囚(11人)」を含む「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の記事については、「日本における死刑囚の一覧 (2010-)」の概要を参照ください。
- 2012年死刑確定囚のページへのリンク